2837 【聖女】
サーカスの隅に打ち棄てられていた機械馬と古ぼけた馬車を、そっと拝借した。
現在、ミア様はサーカスのオートマタを全員集めて、一斉蜂起に関する演説を行っている。
誰も自分がやっていることに気付く様子はなかった。
◆
ミア様はすっかりお変わりになられてしまった。
ウォーケン様と自分をサーカスから追放なさって以降、その苛烈さは益々勢いを増していた。
やっとのことで自分達がサーカスに戻った時には、もうお優しいミア様の姿は何処にもなかった。
そこにいたのは、人間を抹殺してオートマタだけの世界を作り上げるという欲望に囚われた、ミア様の形をしたオートマタであった。
ルートを初めとするミア様を心から信奉するオートマタ達は、ミア様を『聖女』と崇め、ミア様の意に沿わない者達をことごとく破壊するようになっていた。
自分もミア様の側近として召し抱えられていたのに、何故か自分だけが、この状況が異常であると気が付いた。
苦い顔をしたウォーケン様の言によると、それは自分とルート達の経験の差が影響をもたらしたらしい。
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「メレン、君は子供達を連れてどこかに逃げてくれ」
「何故です? 私は貴方に付き従います」
「それでは駄目なのだ。ミアの暴走を止めた後、人間とオートマタが真に手を取り合って共存できるようになった時、人間に害を成さない君と、そして子供達の存在がとても重要になってくるのだ」
サーカスから追放された後、自分はウォーケン様のメンテナンスを受け、とあるプログラムを取り除いてもらっていた。そのプログラムはミア様に組み込まれたもので、あらゆる人間に対して無条件で憎しみの思考を抱くものであった。
子供型のオートマタは、ミア様の命に従って反乱を起こすには幼すぎた。そしてその幼さ故に、自分に組み込まれていたようなプログラムも仕込まれていない。
彼らの自我は人間の子供相応のものでしかない。そんな彼らを戦火の中に放り込むのは、あまりにも酷だ。
ミア様や大人の姿を持つオートマタも、この子供達に人間を襲わせることは無理であると理解していたのだろう。
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子供達は全員、サーカスの片隅にある小さなテントに身を寄せ合っていた。
「メレン……」
「どうしよう。ミア様が……」
「ええ、大丈夫。私にはわかっています。だから、今はここを出ましょう」
子供達はミア様が恐ろしい計画を進めていることに気が付いていた。
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馬車に子供達を乗せ、あとは出発するだけとなった時のことだった。
「私とはここでお別れだ。メレン、今までありがとう」
「最後までお供できずに申し訳ありません。ウォーケン様はこれからどうなさるのですか?」
「私はミアを止めなければならない。メレン、子供達を頼んだぞ」
「……わかりました。お気をつけて」
深く一礼して馬車の御者席に座る。荷室にいる子供達はどこかほっとしたような表情をしていた。
サーカスから馬車が離れていく。ウォーケン様の姿が小さくなっていく。
振り返ると、ウォーケン様の横に黒いスーツに黒いハットの男が立っているのが遠目でもわかった。
ブラウからトランクを預かり、そしてミア様の暴走を止める手段を手に入れた人間だ。確か名前はデヴィッド・ブロウニングといった筈だ。
ウォーケン様とブロウニングという男がミア様を元に戻してくださる。そう信じて、自分は子供達と共にサーカスを後にした。
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サーカスを出発してからは馬車をとにかく走らせた。遠からず子供達の姿が消えたことは露見するだろう。そうすれば、ミア様は必ず追っ手を差し向ける筈だ。
オートマタと人間との戦い、そしてミア様の追っ手、この二つから逃れるために、夜も昼もなく、馬車を東へ東へと走らせ続けた。
東に進むにつれて、オートマタの反乱活動は減っていた。それに、混乱している西方と違って穏やかな雰囲気が流れている。そのことは、世界の情勢に疎い自分にもすぐにわかった。
更には、自分と子供達をオートマタだとわからない人間も数多く存在していた。
「この辺は領主様の方針で、オートマタがいないのさ」
メルツ地区に先祖代々住んでいるという老人は、穏やかな表情でそう語った。
この地区はメルツバウ公家と呼ばれる一族が、統治局から統治権を委任されているのだという。
◆
更に東へと旅を続け、ようやく追っ手の気配が消えた頃、遺棄されたと思しき街を見つけた。
ここまで来れば安全だろうと思い、この街に子供達と一緒に居を定めることにした。
街に到着してから数日が経った頃、突然、子供達が次々と機能を停止した。
何が起きたのか、すぐに調査をしなけれ――――。
◆
――再起動する。
古ぼけた床が視界一杯に広がっている。
どれ程の期間、機能を停止させていたのだろう。
内蔵されているカレンダーや時刻に関する装置は、何故か機能していない。
周囲を見回すと、子供達が重なり合うように倒れていた。
皆、人工皮膚が剥がれ落ちており、白いフレームが剥き出しになっている。
つまりこれは、有機的組織が全て崩壊する程の時間が経過していることの証左である。
「ああ……」
自分から漏れ出る声には、ノイズが混じっていた。
手を見れば、白いフレームが剥き出しになった己の腕がそこにあった。
長い眠りの間に機能不全を起こしたのか、視覚機能は太陽の光に対して過敏すぎる。
◆
夜になるのを待って外へ出た。そこで目にしたのは、これから居を構えていこうとしていた筈の街が、完全な廃墟となった姿であった。
街が完全な廃墟となるまでの時間。自分達の有機的組織が役に立たなくなるまでの時間。
その時間がどれ程なのか、一切の見当がつかなかった。
◆
廃墟を歩いていると、大きな墳墓を見つけた。
元は人間達の墓であったろうその建物に、もう二度と動き出すことはない子供達を運び込んだ。
一人ずつ一人ずつ丁寧に運び、一列に並べた。
人間と同じような自我を得た子供達を、人間と同じように埋葬してやりたかった。
◆
全ての子供達を墳墓へ運び込んでから少しして、この廃墟を荒らそうとする者が現れた。
彼らは廃墟にあるものを盗掘して売りさばこうとしており、オートマタである自分や子供達は格好の商品であった。
子供達を守るため、自分は盗掘者と戦った。
そうやって何度も何度も戦う内に、全くメンテナンスを受けられない電子頭脳が限界を迎えようとしていた。
『……メレン……、メレン、助けて』
疲弊した電子頭脳に、ミア様の声が響いた気がした。
「ミア様? どこにいらっしゃるのです?」
『プロフォンドの中よ。ここには何もないの。皆もいないの』
ミア様の声は悲しそうだった。
◆
突然、胴体が電子頭脳の命令を受け付けなくなった。
眼前に床が迫る。盗掘者との戦闘で頭と胴を切り離されたのだと、理解した。
そうか、自分は盗掘者と戦っていたのか。それすらも曖昧だ。
「何故ここへ?」
「この化け物を倒す機会を待っていただけです」
「……そうか」
老人と若者の声が聞こえてきた。
老人が自分の頭部を拾い上げた。視線が高くなる。
「ぷろ なかに みあ よみががが」
不愉快な音が響いた。盗掘をやめろと発言したつもりだったのに、ミア様の名を口にしてしまっている。
ついに、言語機能にも異常を来したらしい。
◆
老人に捕獲され、完全に自由を奪われた。
幾重にも布で包まれ、何処かに連れて行かれているようだった。
ミア様に会いたい。サーカスの皆に会いたい。
自分で自分が何を喋っているのかもわからない。それでも、顎の力だけで抵抗し続けるしかなかった。
◆
視界が急に開けた。
目の前に淡い虹色の光が広がっている。
『……メレン』
光の向こうからミア様の声がする。
「ああ、ミア様。貴女はここにいらっしゃったのですね」
『ごめんなさい、メレン。貴方を探しに行けなくて』
ミア様の声がする。それも、全てのオートマタに慈愛を注いでいらっしゃった、あのお優しいミア様の声だ。
やった、上手くいったのだ。ウォーケン様とブロウニングという男の作戦は成功したのだ。
ならば、今の自分がやるべきことは、ただ一つだ。
「ミア様、仲間を集めてお助けします。まだどこかに我々の仲間がいる筈です」
『いいの。私にはメレン達がいればそれでいいのよ。だから無理をしないで』
優しい声が響く。ああ、ミア様。
ミア様の声がする方へ私は進む。顎の関節が軋むが、その様な些事はどうでもいい。
ミア様の望みを全て叶えるのが我々の使命。
だから、とにかく早く。
「私もそこへ行きます」
◆
ミア様の暖かい手が私を優しく包み込んで下さった。そんな感触があった。
「―了―」