—- 【憤怒】
一人の少年が採石場でつるはしを振るっていた。岩を叩く音が坑道に木霊する。
この少年、グレゴールは、この鉱山で働くようになって二年が経つ鉱員だ。
《渦》によって両親を失い、妹と共に養護院の世話になっていた。だが数年前に妹が病気を患い、その医療費を稼ぐために、鉱山で働くようになった。
◆
この鉱山で採掘される鉱物は、研磨すると透明に輝く特殊な鉱物だった。
鉱物の原石は採掘されると宝石会社に買い取られ、そこで研磨された後に宝石として世に出回る。
原石の取引価格は非常に高く、その収益の半分は鉱山の管理費に回されるものの、残りの半分は鉱山で働く鉱員達に平等に分配される仕組みとなっていた。
原石が見つかれば、グレゴールのような年齢であったとしても、一緒に働いている年上の男達と同様の金銭を手に入れることができた。
もらえる額は安定しなかったが、それでも、その収入は妹の治療費を何とか賄える程度にはあった。
仕事はきつくて辛いものだった。そりが合わない鉱員もいた。しかしそれでも、グレゴールは妹と共に生きるために、つるはしを振るい続けた。
◆
グレゴールのつるはしが岩に食い込み、大きな岩塊が剥がれ落ちた。
その先に、鈍く光る原石の一部が顔を覗かせている。
グレゴールは大慌てで近くにいた兄貴分やリーダーを呼びに駆け出した。
経験の浅いグレゴールでは、採掘中に原石を傷付けてしまう可能性があった。
皆が集まり、熟練の手によって原石が採掘される。少しずつ原石の全貌が顕わになるに従って、集まった鉱員達は息を飲み、緊張を走らせた。
グレゴールが見つけた原石は、この鉱山で過去に採掘された例のない、最大級の大きさであった。
「すげえ。よく見つけたな!」
「お手柄だ!」
「こ、これだけ大きければ……」
専門家による精査を経ないと何とも言えないが、それでも、巨万の富を鉱員達にもたらすことは想像に難くなかった。
◆
「宝石会社が来るのは明日になるそうだ」
リーダーはグレゴールが見つけた原石を丁重に金庫にしまうと、鍵を二重に掛けた。
片方の鍵はリーダーが、もう片方の鍵は副リーダーが預かる。こうすることで、買い取られる前の原石が勝手に持ち出されるのを防ぐことができる。
「いやあ、それにしても緊張するぜ」
「はは。明日になって業者が引き取るまでの辛抱さ」
「しかし、どれくらいの値がつくかねえ」
「故郷に帰れるくらいになったらいいなあ」
「心配すんな。これだけの大きさだ。土産をたんまりと持って帰っても、まだ釣りがくるだろうぜ」
「お前のところは、いい出産祝いになるな」
「リーダーだって、新しい家を建てたいとか言ってましたよね」
大きな原石は鉱員達の夢想を掻き立てる。
約束された希望を胸に、グレゴール達は各々の住処へと帰っていった。
◆
翌朝、グレゴールが鉱山に行くと、自警団が坑道の入り口や支度場を慌しく出入りしていた。
随分と物々しいその様子に、グレゴールはただ呆然と見ているしかできなかった。
「おう、ボウズ。おはよう。騒がしくてすまんな」
グレゴールの姿を見つけたリーダーが声を掛けてきた。しかしリーダーの表情は険しく、緊張で強張っている。
その表情から、目の前で起きている物々しさが只事ではないことを、グレゴールは感じ取った。
「おはようございます。一体何があったんですか?」
「落ち着いて聞いてくれ、昨日お前が発見した原石なんだが、あれが金庫から盗み出されたんだ」
「え……?」
あまりの内容に、グレゴールはそれ以上の言葉を発することができなかった。
「すまん。俺達の管理不足だ」
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ほどなくして、盗まれた原石を買い取ったという宝石商を自警団が見つけ出した。
宝石商は誰から原石を買い取ったのかを審尋され、すぐに副リーダーが原石を売りに来たと証言した。
副リーダーはリーダーが持つ片方の金庫の鍵を複製しており、過去にも度々、この宝石商に小さな原石を売り払っては小金を手にしていたということだった。
皆が副リーダーの行方を捜す。すぐに副リーダーの姿を見つけたが、事態を察知した副リーダーは一目散に走り出し、入り組んだ鉱山の中へと逃げ込んでいった。
◆
自警団とグレゴール達は慌てて副リーダーの後を追い、鉱山に入っていく。
鉱山は度重なる採掘で深く入り組んだ構造となっている。ここに逃げ込まれると見つけ出すのは容易ではない。しかも副リーダーは鉱山内の地理をよく知っている。
今は使われていない、忘れ去られた緊急脱出用の通路もあり、そこから逃亡される可能性が高かった。
そうとわかっていながらも、グレゴールは副リーダーを探した。それは執念ともいえた。
◆
皆の幸せを台無しにした盗人は許せない。その怒りがついに、副リーダーを見つけ出させた。
別の坑道へと続く通路を、人のような影が入っていく。
その影を追うと、副リーダーの姿が遠目に見えた。今は使われていない通路から脱出するつもりなのだろう。
逃げ出すことは許さない。グレゴールは足元に放置されていたつるはしを手に取り、副リーダーを追い掛ける。
坑道の番号板が視界に入ると、グレゴールは大声を上げた。
「奴を見つけたぞ! Aの二二坑道に逃げた!」
グレゴールの声を聞いた鉱員達は一斉に集まり、副リーダーを追い詰めるべく、坑道の通路を全て塞ぐように立ちはだかった。
◆
グレゴールは坑道の行き止まりに副リーダーを追い詰めた。
副リーダーの手にはいつの間にかアタッシュケースが握られていた。その中にこそ、あの原石を売った金が入っているに違いない。
「それは皆のものだ。返せ、返せよ!!」
「ははは、この金は全部俺のもんだ! 誰にもやらねえ!!」
副リーダーはアタッシュケースを抱えて笑う。その姿に、グレゴールは激しい怒りを覚えた。
原石を見つけたのは自分であったが、それを大人達がルールに則って扱い、グレゴールにも利益をもたらすのであれば何も問題は無かった。皆と山分けであったとしても、病に伏せる妹を助けるには十分すぎる金銭が手に入る筈だった。
だが、それをこの盗人は台無しにした。明日への活力を奪い、一人だけで利益を貪ろうとした。
グレゴールは目の前の盗人を許すことができなかった。
あの原石の売り上げは、ここで働く鉱員達の救いとなる筈のものだった。
鉱員を纏める男は、老いた両親が安らげる家を買う予定だった。皆の兄貴分である男には、出産を控えた妻がいる。今回の収入で故郷に帰れると喜んだ友人がいる。
そして、グレゴールには病気の治療を待つ妹がいる。
そんな仲間達の願いを踏みにじる盗人を、グレゴールは憤怒の目で見つめた。
「アンタって人は……!」
グレゴールは怒りに任せて、先程拾ったつるはしを副リーダーに向けて振り下ろした。
「なっ……!」
副リーダーはグレゴールを侮っていた。グレゴールが反撃する筈はないと。
もし反撃されたとしても、自分よりも遥かに年下で、体格も小さなグレゴールなんかに負ける筈などないと。
◆
グレゴールの手に、岩とは違うものにつるはしを打ち付けている感触が伝わってきた。
副リーダーは、初めこそ助けを請うように叫んでいた。しかしすぐに、およそ人間が出すとは思えないような音を出し、のたうち回るようになった。
グレゴールはとにかく怒りに任せていた。盗人が何を喚こうが叫ぼうが、そんなものはどうでもよかった。
この盗人のせいで妹が死んでしまったらどうしよう。もしそうなったとしても、この盗人は責任など取りはしないだろう。
「死ねよ。お前なんか、死んじゃえよ!」
そんな奴に、生きている価値なんかこれっぽっちもないと思った。
つるはしはグレゴールの怒りのままに、副リーダーの身体を貫いていった。
◆
「はぁ……はぁ……」
グレゴールの頬や服に副リーダーの血が飛び散っていた。
副リーダーはぴくりとも動かない。固い石や岩を砕くためのつるはしで滅多打ちにされ、欲に塗れた人生を閉じていた。
「全部……、全部お前が悪いんだ……」
グレゴールはアタッシュケースを副リーダーの死体から奪い取ると、坑道の外へ出るために歩き出した。
◆
坑道の外は、何もない真っ暗な空間だった。
ぼんやりと周囲を見回す。どこまでも暗闇が続いており、自分がこの空間でどのように存在しているのかすら認識できなかった。
それに、敬愛する自らの主人の声も聞こえず、姿を見ることもできない。
「……ご主人様、どこ?」
グレゴールの呟きは、闇の中に吸い込まれて消えていった。
「―了―」