3395 【手紙】
夜明けにアベルは自然と目を覚ました。隣ではイレーネが寝息を立てて眠っている。
目的地ミリガディアへの途中、道すがらに泊まった宿で深い仲になった女だ。一人で寝るよりは幾分かましだと思い、自分から誘ったのだった。
イレーネは、自分は隊商と共にミリガディアへ帰る貴族の娘だ、と言っていた。
寄り掛かって眠っているイレーネを起こさぬように、枕元に置いてあった手紙を取り出し、眺めた。
親友からの手紙だった。
「ずいぶんと真剣な顔をするのね」
いつの間にか目を覚ましたイレーネが、アベルをからかうように尋ねた。
「俺はいつも真剣さ」
手紙を放り出して彼女に覆い被さった。
「まあ、調子のいい」
「お前といれば、これからもずっといい感じでいけるぜ」
覆い被さったまま、アベルはイレーネに口づけをした。
◆
手紙が届いたのは二日程前のことだった。隊商宛に届いたものだった。自分がここにいることは誰にも伝えていなかった。が、差出人には覚えがあった。
レオンからだった。
ミリガディアで落ち合おう、という話だった。
詳細は会って話すとしか書かれていなかったが、手紙の調子は切迫していた。
旧友と会うのは楽しみだったが、手紙の真意を測りかねていた。
レオンと一緒に過ごした時間は数年だったが、気の置けない仲間だった。自分が国を出て始めて出会った、心許せる男だった。荒んでいた自分を生き返らせてくれた、と感じていた。
別れてから会う機会は少なくなったが、それでも奴の頼みは聞いてやりたかった。
◆
ミリガディアへの道は順調に進み、無事に目的地へ到着する事ができた。
積み荷が現金に変わり、この上なく上機嫌になった隊商長は、アベルを見つけると早足で向かってきた。
「上手くいったようだな」
「ああ、あんたが俺達の隊商を守ってくれたお陰だ。ありがとよ」
「約束の報酬だ。受け取ってくれ」
渡された報酬はアベルが想像していたよりずっと多かった。訝しげに顔を上げると、疑問を察した隊商長はアベルが質問する前に口を開いた。
「なに、手練には相応の報酬を払うってことさ。それだけの支払いができる商売をしてる、ということでもあるな」
隊商長は胸を張る。必要だと判断したところには金を惜しまない、良い商人のようだ。
「ところで、引き続きに護衛を引き受けちゃくれないかい。当分はインペローダとミリガディアを往復する日が続きそうでね」
「もちろん、報酬も今回と同等以上は出せると思うぜ。どうだい、悪い話じゃないだろう?」
アベルが何も答えずにいると隊商長は少しばかり表情を陰らせた。
「ここら辺も物騒になってきた。魔物じゃなくて人間どもさ。野盗がずいぶんと増えてな」
返事はもとより決まっていたが、少々思案するふりをした後に答えた。
「悪いがそれは受けられん。ちょっと用事ができてな」
隊商長は大げさな溜息をついたが、顔を上げると、人の良さそうな普段の顔に戻っていた。さすが商人だけあって切り替えが早い。
「そうか。俺達もまだ数日はここにいる予定だ。気が変わったら声を掛けてくれよ。待ってるぜ」
隊商長と別れると、イレーネがそっとアベルの傍に寄ってきて、腰に手を回してきた。
「ねえ、私の家に来ない?」
「そうだな、それも悪くない。でもな、ちょっとやることがあってな」
「大事なことなの?」
「ああ、友達と会う約束なんだ」
「そう。じゃあ、その用事が終わったらまた会える?」
「もちろん」
イレーネと抱擁で別れたアベルは、レオンの指定した酒場に向かった。
しかしその晩、レオンは現れなかった。
次の日も、その次の日も待ったが現れなかった。
心配はしていなかった。だが、三日経って現れないとなると、次の行動に移らないといけないと思っていた。
あと数日待つか、またイレーネのところにでも行くか、隊商の護衛や他の雑事を引き受けてもいい。
思案しながら酒場を出ると、適当に街をさまよった。
いつの間にかアベルはスラムと呼ばれる地域に入っていた。普段なら立ち寄らないが、暇潰しだと思ってそのまま物見遊山を続けた。
どん、と後ろから軽い衝撃があった。ぶつかった少年はあやまりもせず、足早に通り過ぎていった。走り去る少年の表情がちらっと笑ったように見えた。
自分の腰を見ると、金の入った革袋がまるまる消えている。かっと頭に血が上った。酔っていたとはいえ、子供にまんまと不意打ちを食らわされたのだ。
アベルは少年が消えた路地に向かって走り出した。
「まて、小僧!」
夜中のスラムで大声を出しても何の反応も無い。足場の悪い路地を駆け抜け、次の通りに出る。そこに少年の姿はなかった。
眼を閉じ、耳を澄まし、気配を感じる方角を探す。酔いは覚めていた。落ち着いて力を使えば探し出せる筈だ。
アベルは気配の方角を定めると、もう一度走り出した。しばらく走ると怒号が聞こえてきた。
路地には柄の悪いチンピラが三人、さっき自分から盗みを働いた少年を追い詰めていた。
どうやら自分以外への悪さが見つかったらしいな、とアベルは思い、しばらく成り行きを見守ることにした。
「今日は逃がさねえぞ」
頭目らしき男が声を掛けると、周りの男達が長刀を抜いた。
子供相手に物騒な話だが、アベルは見物を続けた。
その少年は目の前の刀を見ても動じた様子を見せなかった。恐怖している様子はなく、まるで楽しむかのような表情になったのが、暗がりの中でも見て取れた。
「気をつけろ、力を使うぞ」
「わかってる。 捕まえてからいたぶってやる」
男達がそう会話すると、一番後ろにいた男が網を少年に投げかけた。
路地に追い詰められた少年の身体に網が巻き付く。
これでは、どんなに動きか素早かろうと無駄だろう。
「今だ、さっさととどめをさせ!」頭目が叫ぶ。
異常な殺気にアベルは飛び出した。
「おい、相手は子供だぜ。殺すことはねえだろ」
「なんだテメエ、仲間か?」
人間に殺意があるかどうかを、アベルは区別することができた。
明らかにこのチンピラどもは少年を殺しにかかっている。
「関係ねえんだったら今すぐ失せろ。まとめて始末しちまうぞ」
面倒なことになったと思いながら、アベルは自分の剣を抜き出した。
「―了―」