3393 【戦場と血】
グリュンワルドが最後の帝國兵に対して剣を振り上げる。
「降伏させてくれ! 捕虜になる! 死、死にたくな……」
両手を上げて命乞いをする帝國兵の言葉は、最後まで発せられる事なく途切れた。
再び剣を振り、血を飛ばすと鞘に収める。その日は完勝と言っていい程の勝利だった。
数において劣る状況ながらも、ロンズブラウ王国軍は善戦を続け、グランデレニア帝國の侵攻を阻んでいた。
◆
ルビオナ国境に陣を置いてから数ヶ月、グリュンワルド達は個々の戦闘では勝利を収めていた。しかし、地力に勝り領土拡大の意志を抑える事のない帝國側は、講和を持ち出す気配を見せていない。ロンズブラウ・ルビオナ軍にはいまだ帝國を打ち負かす程の軍事力が無い為、その戦力はゆっくりと、だが確実に磨耗していった。
◆
「お待ちください。 本日も前線へ向かわれるのですか」
参謀長が必死な形相でグリュンワルドを諫める。
「……」
黙々と武具の手入れを続けるグリュンワルド。
戦地に赴いてから幾度となく繰り返されたやりとりだった。
「どうかご自愛ください。勝利を続けているとはいえ、帝國の力は侮れません。貴方様はロンズブラウの総大将、奥でどっしりと構えていただければよいのです。第一、御身に万が一のことがあっては、国王陛下に顔向けができませぬ」
何度も同じ進言を受けたが、グリュンワルドの考えが変わる事はなかった。
「私の剣は血を欲している。 血だ……、それもたくさんのな」
刀身に傷がないかを確認しながら不気味に呟く黒い王子に、参謀長は怖気を震った。
「本国からの兵員・物資の補充は充分か?」
突然の話題の切り換えに参謀長は驚いたが、その意図を知ると、また恐怖した。
「……いえ、あまりうまくはいっておりません」
当初こそ要望通りに送られていた兵員・物資の補充は、戦争が長期化するに従い、何かと理由をつけられて遅延や減少する事が常態化していた。その事が、細事を報告される事のない立場にあるグリュンワルドに気付かれていたのだった。
「標的にされやすい私が前に出れば、兵の消耗も減るというものだ」
幾度となく前線に立ち、戦功をあげてきた事実がそこにあった。
「ですが」
「それとも、報告を怠っていた罪で首を跳ねられたいと?」
「……くれぐれも無茶はなさらぬよう」
参謀長は観念したという表情で白旗をあげた。
「考えておこう」
グリュンワルドは頷くと、馬のいる場所へ向かって歩き出した。
◆
『ロンズブラウ日報』
「グランデレニア帝國軍恐るるに足らず!」
「常勝無敗王国軍!」
「健闘! ルビオナ軍!」
◆
城下で発行された新聞を眺める臣民達は、口々に王子の活躍を語っていた。
「今日もずいぶんと威勢のいい事が書いてあるな」
「なんでも、敵兵の半分は王子が一人でやってるらしいぜ」
「おいおい。いくらなんでも、そりゃ盛りすぎだろう」
「まぁ、相当に活躍してる事は確からしい」
「しかし、兄王子二人が亡くなり、あの薄気味悪い黒太子様が戻ってくると知った時はどうなる事かと思ったが」
「神様の思し召しってのは、あるもんだな」
「この調子なら王国も安泰だ」
「戦勝祝いに税金でも下がってくれりゃいいんだがね」
「ははっ、違いねぇ」
新聞を肴に思い思いの事を語る臣民達。戦地は遠く、また戦勝報告が続いているという事もあり、城下の雰囲気は明るいものだった。
◆
それに反して、家臣団の表情は一様に暗いものだった。
一人が紙の束を取り出し、机の上に広げる。
「これを見ろ」
「おかげで臣民達に黒太子と恐れられていた殿下の評判は、今やこのとおり」
ロンズブラウ日報を始めとした王国の新聞記事。王国軍の勝利と王子を称えるものばかりだった。
家臣団は一様に苦々しい表情を浮かべている。
「これでは何のために兵員・物資の補充を何かと理由を付けて最小限に抑えているのか、わからんではないか」
「敗北の責任を殿下に取らせ、実権を奪う計画がこの有様だ」
「もしこのまま凱旋でもされては、我々の立場、いや命が危うい」
「話が違いますぞ。どうなさるおつもりか、ガイウス卿!」
一同が家臣団の中でも最も地位のあるガイウスを見つめる。国政からの王子排除は彼が言い出した事でもあった。
「恐らく、殿下は自身の立場を理解しておいでです。いずれは我等の思うようになるでしょう」
◆
自軍以外に立つ者のいなくなった戦場で、倒れた敵兵を砕く剣の鈍い音だけが響く。
「殿下」
胸を刺し、腹を刺し、手を切り、脚を切り、あるいは頭蓋を叩き割る。
倒れた敵兵を切り刻み続けるグリュンワルドの姿があった。
「殿下!」
息のある者に止めを刺すという理由だけではなかった。
グリュンワルドは、人体が砕ける「音」が好きだったのだ。
剣先から伝わる衝撃も、飛び散る肉片も心地良かった。
生から死への不可逆な変化、それを自由にしている感覚こそ、彼の望むものだった。心が真に開放される瞬間だった。
兵団長の再三の呼び掛けで、やっと鈍い音は止んだ。
「もうここに戦う相手はおりません。 陣地まで退きましょう」
「……わかった」
我に返り、兵団長の用意した馬に乗る。
総大将として赴きながら誰よりも前に出て、誰よりも戦功をあげていたにもかかわらず、グリュンワルドの心はより一層飢餓感を強めていた。王子は己の昏い欲求にすっかり飲み込まれていた。
「―了―」