3394 【新女王】
「ふう……」
少女は小さく溜息をついて、その小さな体には大きすぎる玉座に腰を下ろした。年の頃は十代の前半に見える。まだ幼さの残るその端正な顔には、疲労の色が見えていた。
「よく頑張りましたね、アレク。いえ、もうアレキサンドリアナ女王陛下とお呼びしなければなりませんね」
傍らに控える女性が、少女をいたわるように優しく声を掛けた。
「……もう、そんな風に呼ばないで。エイダにはいつも通りアレクと呼んでほしいわ」
エイダと呼ばれた女性は、わざとしかつめらしい顔をして首を振った。
「そうは参りません、陛下。 周りの者に示しがつきません」
その仰々しい顔にアレキサンドリアナは目を丸くし、続いてくすくすと笑い出した。それにつられてエイダの顔も綻びる。
少女の名はアレキサンドリアナ。弱冠十二歳にして、昨日までは連合国の盟主たるルビオナ王国の第一王位継承者だった。そして本日、正式に王位を継ぎ、ルビオナ王国女王となったのだ。
その傍らに控えるエイダ・ラクランは、アレキサンドリアナより八歳年上だ。こちらも、二十歳という若さにして、ルビオナが誇る装甲猟兵『オーロール隊』に所属する腕利きの戦士である。エイダはアレキサンドリアナが幼い頃から、彼女の護衛として、また、よき話し相手として側に仕えてきた。だが、それも本日をもって終わりを告げることだろう。
◆
先の女王アウグステの急死は王国に混乱をもたらした。息女であるアレキサンドリアナはまだ十二歳。帝國との戦争が激化し、連合国内の連帯にも乱れが見えるこの時期である。先王が文武双方に秀でていただけに、少女の双肩に国の運命を乗せるのはあまりにも危険だった。
だが、貴族達の様々な思惑と、他に有力な候補が居なかったという理由で、結局はアレキサンドリアナが王位を継ぐこととなった。もちろん、幼い少女が国政を動かすことなどできない。執政は周りの有力公家が行い、少女は奉られるだけの存在であった。
◆
「でも」
アレキサンドリアナは小さな、しかし力の籠もった声を出した。
「私はなるべく犠牲を少なくしたいのです。エイダ」
「陛下……」
「確かに、私には力も知識もない。大部分は大臣やその他の官僚が決めてしまうでしょう。ですが、私にできることが、きっとあると思うのです」
そう言うアレキサンドリアナは、幼いながらも女王の顔となっていた。
エイダはアレキサンドリアナの決意に胸を打たれた。そしてそれまでの親しげな態度を改め、膝をつき、
「陛下の決意、エイダはしかと承りました。不肖の身ではありますが、微力を尽くして陛下を支えて参ります」
そう言って深く頭を下げた。一瞬戸惑ったアレキサンドリアナだったが、すぐに表情を引き締め、精一杯威厳のある声を出した。
「ありがとう、エイダ。これからも私のために励んでくださいね」
それは、歴とした王と臣下の姿だった。二人はこの時を以て、長年共に生きてきた姉妹のような関係を脱却したのだった。
◆
「そのためにも、私は一刻も早い戦争の終結を望みます。たとえそれが講和であっても……。エイダ、それは可能でしょうか」
女王の無垢な瞳を向けられたエイダは、難しい表情を浮かべた。
「今のままでは無理でしょう。帝國は恐ろしい野心をもった国家です。貪欲な彼らは、どこまでもその版図を拡げようとしています。今の状況で講和など、彼らは到底飲まないでしょう」
「そうですか」
少女の顔に落胆が浮かんだ。エイダはその純粋な思いに深く共鳴した。しかし、政治は感情とは分離した世界だと、エイダは理解していた。
「なぜ、彼らは争いを求めているのです?」
「彼らの戦争の理由は、自ら戴いた不死皇帝とやらの勅命だとうそぶいています。曰く『地上を平定して黄金時代を復活させる』と。 野蛮な彼らは死んだ皇帝の名を借りて、民衆をその戦争の熱狂に駆り立てているのです」
「説得の余地は無いと」
「はい。彼らの野蛮さと戦争を欲する姿は、渦が無くなった今、より明確になりました。かの国の建国の過程をみてもそれは明らかです」
「しかし、民衆が苦しんでいるのです……」
「帝國に敗北すればより苦しむのです。我々ルビオナが連合王国としてここにあるのも、彼らの野望、妄執を食い止めるためだとお考えください」
エイダは軍人であった。しかしその部分をアレキサンドリアナに見せたことはなかった。今は臣下として、軍人としての本分を語っていた。
「わかりました」
幼い新女王は落胆で肩を落とした。自身の未熟さをたしなめられた気分だった。しかしそれでも、アレキサンドリアナは戦争を止めたかった。
エイダは落ち込んだアレキサンドリアナの顔を見て胸が苦しくなる。精一杯慰めようと、手を肩に置いて優しく語り掛けた。
「ですが、こちらが優勢になれば帝國も和平に応じるかもしれません。我が国には堅固な要塞もあります。彼らの意気を挫くことも不可能ではありません」
「多くの人が苦しみますね。きっと」
「犠牲はつきものです。陛下」
「ただ、皆を苦しめるとは思わないで下さい。王国のために戦う兵士は皆、大義を理解しています。私を含め」
あらためてエイダは女王の手を握りしめた。
「陛下は、我々兵士が安心してその大義に尽くせるよう振る舞ってくださればいいのです」
これを求めるのは酷なことだとエイダはわかっていた。しかし、女王になるということの意味を理解してもらわなければならなかった。
「わがままを言いました。あなたたちは、よく頑張ってくれているのに」
「いいえ。もったいないお言葉です。陛下の和平への想いが一日も早く実現する様、我々一同、命を懸けて奮闘致します」
「ありがとう、エイダ」
「陛下、今日はお疲れでしょう。早めにお休みください。明日からは御政務もございます」
「そうさせていただきます。 エイダ、また来てくれますか?」
「陛下がお望みとあれば、いつ如何なる時にも参上致します」
エイダはそう言うと、頭を深く下げて、女王の居室を後にした。
「ありがとう、エイダ。どうかあなたも無事でいて……」
そう呟いたアレキサンドリアナの声は、エイダの背中には届かなかった。
◆
即位後初めてのオーロール隊への謁見が行われる日、エイダ達隊員は礼服に整え、王宮で待機していた。
「どうした。浮かない顔だな」
同じ隊に所属するフロレンスが声を掛けてきた。彼女は同い年の親友であり、戦闘でのパートナーでもあった。装甲猟兵はその特性として、武装は豊富だが視覚や行動に制限があった。それをカバーするために、戦闘中は常に二人で行動する。その結びつきは非常に強固だった。
「陛下と話をした。とても苦しんでおられる」
「まだ幼い。仕方の無いことだ」
フロレンスは感情を込めずに言った。
「私にできることなど何もない」
「かもしれんな。だが、彼女の代わりに戦うことはできる」
「……そうだな」
オーロール隊は本来王宮付きのエリート部隊であり、前線に出ることは殆ど無かった。しかし帝國の攻勢が強まり、トレイド永久要塞へと到達したため、彼らも恒久的に派遣されることとなった。そのための、出陣式を兼ねた閲兵であった。
◆
整列の号令が掛かり、オーロール隊の面々が並んだ。隊長の号令の下、敬礼を行う。
現れたアレキサンドリアナ女王の表情は凛としていた。
その顔を見て、エイダは少しの安心を感じると共に、自らの戦いへの思いを強くした。
「―了―」