15マルグリッド2

3378 【追跡者】

マルグリッドは自らの行なっている研究が外に知られた場合、どうなるかを理解しているつもりだった。かつてパンデモニウムに吹き荒れた大粛正を知らぬ訳がなかった。

ケイオシウムに対する研究が「異端」とされ、記録や成果の放棄が求められた。頑迷に拒否し続けた工学師《エンジニア》は命を落とし、そうでない者もパンデモニウムから地上へと逃亡した。

身の危険があるとわかっていても、パンデモニウム以上に研究環境が充実した場所は無かった。何より急を要する研究だった。ここを動く訳にはいかなかった。細心の注意を払っていたつもりだったが、それでも協定審問官《インクジター》達はマルグリッドの元へやって来た。

「こちらで協定違反研究を行なっているとの情報があった。まずは本部へ来てもらおう。それから、ここの機材は我々の管理下に入る」

反論を許さない、高圧的で一方的な通告だった。抵抗してどうにかなる相手ではない。マルグリッドは黙って審問官に従った。

本部と呼ばれた場所の地下に到着すると、両手両足に枷を嵌められた。

「子供の食事に間に合うようにしてくれると、ありがたいのだけど」

マルグリッドの軽口に答える者は誰もいなかった。各々が何らかの準備を始めており、これから起こるであろう事をマルグリッドに予感させた。

「では聴取を始める」

審問官の言葉にマルグリッドは思わず笑いそうになる。これから始まるものは、そんな生易しいものでない事が明らかだった。

審問官の興味はマルグリッドの研究そのものよりも、マルグリッドに接触してきた相手――開放派と呼ばれる者達にあるようだった。不定期な情報交換のみで彼らの背景は詳細に知らなかったが、マルグリッドは開放派の情報は一切話さなかった。

「何度聞かれても、知らないものは答えようがないわ」

初めから全てが自分個人の独自研究だと言い続けた。

今の研究が自分の息子を助ける唯一の望みだった。研究を続けるためには、何としてもここを出なくてはならない。組織的な開放派と見られれば、ここから出られなくなる。

「ここのやり方は原始的だが、とても効果的だ。 抵抗は無駄だ」

「……っ!」

何度目かの強烈な電撃がマルグリッドを襲い、ついに気を失った。

同じ質問をされ、同じ回答をし、電気ショックを与えられる。気を失うまで繰り返され、目を覚ましたら再開された。

受け答えもできないほど衰弱したマルグリッドに対し、淡々と休みなく「聴取」を続ける審問官。

自身がこんな場所で時間を浪費している間にも、我が子の残り時間は確実に減っている。一秒でも早く研究を再開しなくてはならないのに。マルグリッドの中には我が子に会えない焦燥だけが募っていった。

声にならない声を上げながら戒めを解こうとするも、当然びくともせず、電気ショックを与えられて気を失った。

全てを語って楽になってしまおうという誘惑に駆られたが、我が子が生きる可能性は自分に掛かっているのだと思い直し、その誘惑を断ち切った。

マルグリッドを突き動かすのは、我が子の命への執念だった。

目を覚ますと、戒めは解かれ、診療台と思わしき上にマルグリッドは横たわっていた。傍らには夫であるイオースィフの姿があった。

「イオースィフ」

力なく名前を呼ぶと、イオースィフはほんの僅かに静止した後、マルグリッドを抱きしめた。

「あの子は……」

「もちろん元気にしているよ。さぁ、帰ろう」

そう微笑みかけるイオースィフの顔には疲れが見えていた。マルグリッドを助ける為に各地を奔走した所為だったが、それをマルグリッドに説明する事はなかった。

体力が回復していないマルグリッドをイオースィフが支えながら、本部を後にする。

「テクノクラートとはいえ、次はありません。努々お忘れなきよう」

出入口前にいた審問官の一人が、冷たい表情でマルグリッドとイオースィフへ告げた。

研究室へ戻ると、作り上げた装置は跡形もなく消え去っていた。研究記録も、コデックスも、全てが無くなっていた。

「なんにせよ、君が無事で良かった」

イオースィフの優しい言葉に、マルグリッドは素直に頷くことができなかった。もう少しで何かが掴めそうだったのに、振り出しに戻ってしまった。そのことが悔しくてたまらなかった。

「とにかく、今後は審問官に目を付けられるような真似はしないことだ。いいね」

「……私はあきらめない」

小さなベッドに眠る我が子の頬に触れながら、マルグリッドは言った。

「絶対に、可能性はあるわ……」

次は無い、と審問官に言われた。その通りにしたところで我が子の病は治らない。この笑顔をいつまで見ることができるのか。この子の行き先を思うといたたまれない。最後の時を座して待つなど、マルグリッドには耐えられないことだった。

開放派の思想や背景には興味がなかった。しかし、この状況で頼れるのは彼らしかいなかった。

「審問官の手は長い。あなたも危険な目に遭うかもしれません。もし困るような事になったら、パストラス研究所跡地まで来てください。力になれる筈です」

いつか連絡係から聞いた言葉だった。

大粛正の直後、パストラス研究所は治安部隊によって焼き払われた。開放派にとって重要な場所だったのだろう。とりあえず連絡を付けるために、マルグリッドは研究所跡地へ向かった。

夜になって跡地に着いた。研究所跡地は周囲を含め、人気の無い、忘れ去られた廃墟となっていた。

「先日は災難でしたね。そろそろ来て頂ける頃だと思っておりました」

突然背後から話し掛けられた。驚いて振り向くと、何度も会った事がある連絡係の男がそこにいた。

落ち着かない様子で周囲を見渡すマルグリッドを見て、連絡係の男はその原因に思い当たった。

「大丈夫、周囲に連中はいません。いたのなら私は出てきません」

「私は研究を続けたいの。 協力してほしい」

「あなたはあの審問にも負けなかった。 もう我々の同志です。 協力を惜しみません」

「私は研究を続けたいだけ。 時間が無いの」

「わかっています。 今からそれができる場所へ行きましょう」

物陰に隠されていたクリッパーに乗り、マルグリッドと連絡係は廃墟を後にした。

クリッパーは夜のパンデモニウム周辺を低高度で飛び回った後、街路灯一つ無い、更地が続く場所に降り立った。

「ここは……」

案内された場所はパンデモニウム内でありながら、マルグリッドの知らない場所だった。

「整理区域を知っていますか? 中央が定期的に古い区画を整理している区域です。 パンデモニウムは完全な人工都市ですから、全てを定期的に刷新する必要があるのです」

「ここで研究ができるの?」

「我々は中央の制御システムに穴を見つけましてね。 整理区域の地下を一時的に中央の管理から取り除くことに成功したのです」

そう言うと、何でもない地面がゆっくりと地下へ下がっていった。

こうして、マルグリッドはパンデモニウムから姿を消した。夫と、あれだけ執着していた子供を残して。

数ヶ月が経ち、マルグリッドと開放派の研究員達は巨大な「ゆりかご」を完成させた。

人工的にケイオシウム渦を創り出し、その「影響力」を特定の人物に与える装置だった。

テストは済んでいた。あとは我が子を連れてくるだけだ。

深夜、イオースィフは物音で目を覚ました。別の部屋に人の気配がしていた。

パンデモニウム内で泥棒が入るとは考えづらい。しかもセキュリティが反応していない。

「マルグリッド?」

呼び掛けると共に部屋の明かりを点ける。そこには我が子を抱きかかえたマルグリッドの姿があった。

「その子をどうするつもりだ」

「何も聞かないで。これが終われば三人でいつまでも暮らせる。それだけで十分だと思わない?」

「僕は君が心配なんだ。 わかってくれ」

「行かないと。必ず帰ってくるわ」

そう言うと、マルグリッドは子供と共に部屋を出ていった。

イオースィフは追わなかった。ベッドに座り、しばらく虚空を見つめていた。

そして溜息をつくと、ベッドサイドの通信装置に手を伸ばした。

「イオースィフです。こちらに来ました。ええ、子供も一緒です。発信器に問題はありません」

「―了―」