3373 【胎動】
戦いは無残に終わった。ミリアンの周りには異形の獣達の屍がある。全て彼の手によって葬られたものだ。圧倒的な剣圧で破壊された獣達に、原型は残っていない。血生臭い空気が辺りを包んでいる。
小さな勝利の後には、ただ徒労感だけが残っていた。
廃墟に残って獣達を狩る日々。僅かな仲間達も少しずついなくなっていった。
渦から現れる獣達に限りはなかった。この廃墟となった故郷を取り戻すことなど不可能だと、頭では理解していた。
しかし、この戦いが無駄であったとしても、そこに戦い続ける意味はある、と信じていた。
ミリアンの家族はここで暮らし、渦の厄災に巻き込まれて死んでいった。自分だけ逃げるわけにはいかない、という想いがあった。
◆
補給のために街へと戻った。故郷からはかなりの距離があるが、そこで故郷の住民達と、難民として細々と暮らしていた。
難民としての彼らは、この街の外周や、半ばスラムと化した城下町に、押し込められるようにして生活していた。元から住む住民達との間に軋轢はあったが、街の守備隊の連中がミリアン達を無下に扱うことは無かった。同情だけでなく、外の世界で自分達の代わりに化け物共を退治してくれる訳だから、実利もあった。
◆
ミリアンは守備隊から許可をもらい、街の中へ入った。食糧の補給や、得られた戦利品――異界の獣の毛皮などは高く売れることもあった――を取引するには、こちらの方が効率がいい。
いつもの商店で食料を買おうとすると、店主が言った。
「悪いな、これ以上あんたらに物は売れないんだ。こっちも商売でな、評判ってやつがあるんだ。すまないな」
「そうか、いままでありがとう」
ミリアンはひどい扱いを受けたとは思わなかった。相手の立場を考えれば、仕方のないことだと思った。
「すまんな」
ばつの悪そうな顔をして、店主はもう一度あやまった。
店を後にしたミリアンは市場の露天商とも交渉したが、どの店でも冷たくあしらわれた。
そんな様子のミリアンに向かって、通りすがりの若い男達が毒突いてきた。
「難民風情が市内をうろちょろするな」
「疫病神め」
「おまえらに食わせるものなんてねえよ」
慣れっこになっていた嫌がらせの言葉だったが、徒労感と恥辱が合わさり、衝動を抑えるのに苦労をした。
不穏な空気を感じたミリアンは、黙って人混みから去ろうとした。しかしその時、誰かが腐った果物を投げつけてきた。
結構な衝撃に、思わず剣に手が伸びた。
城内での武装は、守備隊のお目こぼしで許してもらっていた。
ミリアンがしまったと感じたときには既に遅く、一斉に憎悪が自分へ向けられたのがわかった。
罵声と共に様々な物がミリアンに投げつけられる。
「こいつ、武器を手に取ったぞ」
「追い出せ! ここで暴れる気だ」
「守備隊は何をやってんだ」
ミリアンは市場から離れようとしたが、怒った群衆が自分を取り囲み始めていた。相手は一般人だ、自分が剣を振るえば簡単に収められるだろう。しかしそんなことをすれば、最後に破滅するのは、今は難民と呼ばれて蔑まされている同郷の仲間達だ。
「剣を取り上げろ」
「殺せ」
睨み合うことしかできないミリアンと民衆達。しばらく互いに牽制していたが、民衆の憎悪が収まることはなかった。
その時、守備兵の銃声が市場に響いた。
「どけ、どかんか!」
数人の武装した守備兵が市場に駆け付けてきた。
守備兵はミリアンを組み伏せようとする。ミリアンは抵抗せずに膝をついた。
「馬鹿者が。騒乱などを起こしおって!」
と、守備兵の指揮官が銃床でミリアンの顔を殴った。鮮血が辺りに飛び散る。
「この者は我々が逮捕した。みなとっとと立ち去れ。こいつの処理は我々に任せろ!」
指揮官が居丈高に周りに言いつけると、激昂していた市民達もしぶしぶと立ち去っていった。ミリアンへの憎悪は、この指揮官の態度に焦点をそらされた格好になった。
◆
守備兵に引き摺られるようにして、ミリアンは営倉らしき場所に連れられてきた。
「さっきは手荒なことをして、すまなかったな」
指揮官はミリアンと顔見知りだった。鮮血で汚れた口を拭くようにと、タオルを手渡してきた。
「助かったよ」
守備兵が止めていなければ、民衆に殺されていただろう。ミリアンは抵抗するつもりは無かったが、かといって、命乞いをすることもできない男だった。
「お前らの街から来た難民の犯罪が増えていてね。みな苛立ってるんだ」
怒りも悲しみも無かった。ただ、諦観だけがあった。
「俺達は、この街から追い出されれば、故郷を取り戻すことができなくなる」
「ああ、わかってる。だがな、今の状況がそれを許さんのだ。 悪いが武器を預からせてもらう。帰るときに返す」
ミリアンは黙って腰の剣を渡した。
「街を出て行けとは言わん。いつ俺達の街も襲われるか、そしてお前の立場になるかわからん世の中だ。だがな、もう諦めたらどうだ。死んだ者は帰ってこない」
「諦める? あの街も、記憶も、俺自身なんだ。それはできない」
「そうか……。俺達にお前を止める権利は無いがな……」
◆
ミリアンは営倉から出された。
仲間の元に戻る前に酒場に寄った。下町の汚い酒場では、ミリアンを気にする者はいない。
安い酒をいくら飲んでも、酔うことはできなかった。
これからの事など、全く想像できなかった。
死。その事が頭をよぎった。
街の外では仲間が待っている。皆が死ぬまで戦いを続けるのか。故郷と共に何もかもがこの地上から消えて無くなるまで。
◆
「どうした、暗い顔だな」
黒いコートを羽織った老齢の男が声を掛けてきた。隣のテーブルに座って手招きをしている。
「こっちに来い」
そう言ってミリアンを呼びつけた。
風体はしっかりしており、この酒場には似つかわしくない。
「いろいろ古傷が痛んでな、そっちに行くのが億劫だ」
「誰だ」
「ワシはスターリング。 これはおごりだ、とりあえず座れ」
ぶっきらぼうに酒瓶を差し出してきた。
「軍人か」
顔の傷や身なりから十分類推できた。
「長いこと帝國で働いていた者だ」
「帝國の軍人が、こんなところで何をしている?」
ミリアンは受け取った酒瓶を机に置き、向かい合う形で席に座った。
「お前に会いに来た。外で渦の化け物共と戦っているそうだな」
「ああ、故郷を取り戻すためだ」
「その戦いに勝ち目はあるのか?」
挑発するような言い方ではなかったが、スターリングの質問にミリアンは一瞬言い淀んだ。
「勝ち負けで戦ってるわけじゃない。 あの場所は俺の死に場所なんだ」
絞り出すようにミリアンは言った。
「惰弱な考えだ。目の前の本質から逃げてるだけだな」
スターリングはミリアンを突き放すように言った。
「お前に何がわかる」
「ああ、わからん。負けるための戦いなどな。戦いは勝利のため、価値のためにこそ命を捧げられるものだ」
「帝國ならそれも可能なんだろう。だが渦に飲み込まれた小さな街じゃ、そんなことは戯言みたいなもんだ」
「ワシも渦の脅威と戦ったさ。お前が生まれるずっと前にな。すべて負け戦で撤退戦だった。逃げて逃げて逃げまくった。城を築き、鍵を掛けて引き籠もりもした。そして、こうして生き残った」
「それが誇りある戦いだったと言うのか?」
「ワシはこうして二本の足で立っている。たしかに、今じゃうまくは歩けなくなった。だがな、誇りも希望も失っていない」
「俺に説教をしに来たのか?」
「いや、協力を頼みに来た」
グラスを傾け、酒をぐいとスターリングは飲んだ。随分と飲んでいるようだが、あまり態度に変化はない。
「それにしては、ずいぶんと腐してくれる」
「ワシは口がうまくない。所詮、軍人だ。嘘も苦手だ。だがな、男を見る目はあるつもりだ。戦士としてのな」
「戦士か」
「我々は渦と戦える男達を集めている。渦の化け物だけじゃない、渦自体と戦うことのできる男だ」
「帝國がか?」
「いや、このヨーラス大陸全土から集める。新しい組織だ」
「渦と戦う? どうやってだ。渦に近寄って帰ってきた者などいないぞ」
「そう。だが、我々にはパンデモニウムのエンジニア達がついている。奴らが戦士を集めているのだ。ワシは戦士をまとめる立場となっている」
「エンジニアか。ならば、あいつらのテクノロジーとやらで片付ければいい話じゃないのか?」
「エンジニアだけでは遂行できない作戦だ。何しろ渦まで行って帰ってくることなど、あの青瓢箪のエンジニア共には不可能だからな」
そう言うと、大きな声で笑った。
「お前のような歴戦の勇士の力が必要なのだ。お前は化け物を恐れていない」
憎めない人物だとミリアンは感じていた。戦場において何度も絶望を味わってきたであろうにもかかわらず、決して希望を失わないその姿勢に、憧れに似た感情を抱いた。
「なるほど」
「失ったお前の街を取り戻すことができるかもしれん。協力してくれるか?」
「戦う場所はどこでもいい。あの街を取り戻すことができるのなら」
「そうか、よかった」
スターリングは乾杯のグラスを掲げた。その老人の笑顔は少年のような力の満ちたものに、ミリアンは感じた。
「―了―」