02アイザック4

3398 【決別】

構えていたライフルを降ろし、アイザックはエヴァリストと刺客の間に素早く割って入った。遠巻きに自分の連れた兵士達がいる。アイザックは微動だにしない仮面の男の瞳を見つめた。その瞳に動揺を感じている様子は無い。アイザックはこの男の次の一手が読めなかった。自身の状況をかなぐり捨ててでも目的を達するのではないか、と直感していた。緊迫した一瞬の後、仮面の男は身を翻して闇の中に走り去っていった。

追撃しようとする兵士を手で押しとどめる。兵士達に直接理由を言うことはなかったが、小さく呟くように吐き捨てた

「……無駄死にすることはない」

エヴァリストが刺客に襲われて数日。現在は一命を取り留め、帝國最大の病院にいた。もはや帝國内でも大きな力を持ったエヴァリストの元には、医師が一部の見舞客を断るほど、日夜大勢の見舞客が訪れた。そのような状況の中、アイザックはエヴァリストの護衛のために次の間に詰めていた。

「本当に大丈夫なのですか? エヴァリスト」

「問題ありません。すこし大げさに報道されているだけです。たいした怪我ではありません」

「そう、よかった。もしあなたに何かあったら、私は……」

扉の影に立つアイザックの耳に、エヴァリストとアリステリアの会話が漏れ聞こえてきた。太陽はとうの昔に姿を消し、外では虫の音が秋の訪れを告げていた。見舞客の姿は既に無く、現在は皇妃アリステリアがひとりエヴァリストの元を訪れていた。お忍びであれ、皇妃がわざわざ臣下を見舞うなどというのは前代未聞のことだったが、それは二人の関係がすでに帝國の深奥に認められていることを表していた。

二人の会話が続く中、アイザックはアリステリアの護衛の人数と配置を窓と廊下から確認していた。お忍びのため大げさではないが、かなりの人数が配置されていた。

やがてアリステリアが名残惜しそうに部屋を去ると、エヴァリストは大きな溜息をついた。その溜息を合図に、アイザックが部屋に入る。

「……ようやく姫のお帰りか。偉くなると怪我をする事もできねえな」

アイザックの皮肉に、エヴァリストは苦笑を浮かべた。

「すまんな、警護のためにわざわざ詰めてもらって。だが、ここならもう大丈夫だろう。元の仕事に戻ってくれ」

「本気で言ってんのか?」

アイザックはエヴァリストのベッド脇に座った。

「どういう意味だ」

「お前はインクジター共がオレ達を見逃すとでも思っているのか?」

「あの時は油断したが、もう新しい警備計画を立てさせた。二度目は無い」

「そんなものは無駄だ。知ってるだろう、相手はオレ達と同じ力を持ってる。本気を出せば何だってやれる」

「私達がやってきたようにか?」

「そうだ」

「買いかぶりすぎだな。所詮は一人の騎士にすぎんよ。予めわかっていれば防げる。あいつらのチャンスは一度だけだった」

「お前、誰がインクジターをここに呼んだか、見当はついているのか?」

「エンジニアの手は長い。それに私は目立ちすぎた。ただ、リスクは勘案済みだ」

「オレは帝國の人間がお前を嵌めたと思ってるぜ」

「いや、それはない。状況は掌握している」

「ずいぶんな自信だが、お前はオレがいなきゃ死んでたんだぜ」

少しアイザックは声を荒げて言った。

「感謝は忘れていないさ。 何をイライラしている?」

アイザックはしばし沈黙した。そして、眼を逸らして絞り出すように言った。

「そろそろ潮時じゃないのか」

「何が潮時なんだ?」

眼鏡の奥の目を細めて、エヴァリストは聞き返した。

「ここにいるのが、だ」

アイザックの言葉はいつになく真剣な調子だった。

「傷を治すまではこの部屋にいてもいい。だが、治ったらここを出よう。オレ達だけならどこへだって行ける、何だってできる」

「今だって何でもできるさ。何を恐れている」

エヴァリストは冗談を聞き流すように、軽く肩を竦めてみせた。

「オレは恐れちゃいない。何度も死んだも同然の目に遭ってきた」

アイザックは声量を抑えず、畳み掛けるように語る。

「だが、このまま二人がばらばらにいたら必ず仕留められちまう。今のオレ達は狩る側じゃない、狩られる側だ。不利すぎる」

エヴァリストはアイザックの言葉に耳を傾けなかった。

「らしくないな、アイザック。もう少しで私達は全てを得られるんだ。落ち着け」

「全てを得られる? 得てどうする、何が変わるんだ? オレが欲しいのは権力でも富でもない……」

立ち上がったアイザックに、エヴァリストは諭すように言う。

「お前の気持ちはわかった。いつも面倒を掛けているのは私の方だ。すまないと思ってる」

そしてアイザックを見つめ、はっきりと答えた。

「だが、これは私の人生だ。私の賭だ。いま降りる訳にはいかない。もし納得がいかないのなら、ここで終わりだ」

アイザックはエヴァリストの言葉を聞いて、少し俯いた。そして絞り出すように答えた。

「そうか、わかった……ここで終わりにしよう」

呟くようにアイザックは言った。

沈黙が部屋を包んだ。

「……残念だ。 今まで世話になったな」

黙っていたエヴァリストは、握手の手を差し伸べながら切り出した。

アイザックはポケットに手を突っ込んだままで、握手には応じない。

「エヴァ、お前はいつも冷静に、そうやってうまくやってきた」

アイザックの声は少し震えている。

「これからもうまくやっていけよ。 じゃあな」

アイザックは視線を合わさず、病室から出て行った。

アイザックが出て行った後も、その扉をエヴァリストは暫くの間見つめていた。そして、眼鏡を外すとゆっくりと目を閉じ、電灯を消して眠りについた。

アイザックは護衛の敬礼を無視して、早足で病院から飛び出した。

ふと振り返って、窓から漏れる明かりを見つめた。その明かりの下は先程までいたエヴァリストの病室だ。

まだ逡巡している自分に腹が立った。エヴァリストに怒ってはいなかった。自分の弱さに腹が立っていた。

あいつは変わっていない。変わったのは自分の方だと言い聞かせた。

窓を見つめていると、護衛が声を掛けてきた。

「どうかしましたか?」

「……なんでもない。 ちょっとした思い違いのようだ」

護衛にそう言って向き直ると、アイザックは二度と振り向かず、黙々と歩いていった。

「―了―」