3394 【死者の力】
前回の戦いから数日後。ベリンダとその部隊はトレイド永久要塞から離れること約2リーグの位置に集結していた。
「ガレオンの調子はどう?」
「はっ。大きな問題は見られませんが、第二エンジンの出力が若干落ちております」
「艦の運行に支障はないのですね」
「はい」
「わかりました」
報告を受けたベリンダは、頷いて下士官を下がらせた。
下士官がいなくなると、ベリンダは立ち上がって窓から外の様子を眺めた。
眼下にはガレオン強襲部隊の兵士達に加え、帝國陸軍の精鋭が戦闘の開始を待っている。昇ったばかりの朝日に剣や盾が煌めき、ベリンダはぞくぞくするような快感を覚えた。
「……もうすぐ始まるのね」
その声には上擦ったような熱が籠もっていた。
やがて陽が完全に昇り、帝國軍の陣容が整った。
「……全軍、出撃!」
ベリンダの澄んだ声が響くと、ガレオンが低い唸り声を上げて動き始める。それに合わせて、地上に居並ぶ帝國兵士達も一斉に進軍を始めた。
王国軍は進撃してくる帝國軍を迎え撃つべく、砦の前に陣を構えている。
「……ふふふ、今、戦いの狼煙を上げてあげるわ。待っていなさい」
ベリンダはそう呟くと、右手のレバーを押し込んだ。
――ズゥゥン。
一瞬の間を置いて王国軍の中央に爆発が起き、そこに大きな穴が開いた。その場にいた筈の兵士達は消え失せていた。
「ふふふ……っはははは! そうれ、もっと喰らいなさい!」
ベリンダがレバーを操作する度、王国軍の兵士が、まるで人形のように吹き飛ばされる。そこへ前回の渡河作戦と同様に陸上部隊が突撃をかけた。砲撃で大きな損害を受けて陣を乱された王国軍はその勢いを押しとどめられず、帝國兵によってその命を刈り取られていった。
「そうよ、もっと死を! 死を私にもたらして! あは、あははははは」
ベリンダは狂ったように笑い、次々と砲弾を放った。見張り塔や城壁から黒煙が上がり、さしもの堅牢を誇るトレイド永久要塞も、もはや風前の灯火に見えた。
「ふふふ、これでさらに戦いが続けられるわ……」
ベリンダがようやく砲撃の手を止めて椅子に腰を下ろした時。
ドゥンッ!!!
鼓膜を揺るがす爆音がして、船体が巨大なハンマーで殴られたように大きく揺れた。
その衝撃でベリンダは椅子からはじき飛ばされた。
「!?」
慌てて立ち上がろうとするベリンダを再度衝撃が襲った。
ガンッ!!
船体はさらに大きく揺れ、損害を知らせるアラートが艦内に響く。
事態を把握できぬまま、ようやく立ち上がったベリンダの元に下士官が飛び込んできた。
「何があったの! 報告しなさい!」
「は、はい! 装甲猟兵による攻撃です。やつらの兵器による攻撃がガレオンまで……」
報告の間も爆音と衝撃の音が続く。やがて、ガレオンは大きく前方へと傾いた。
「このままだと……落下します! 至急、体制を立て直しなさい。砲撃班は装甲猟兵共を集中的に!」
「は、はいっ!」
いつになく厳しい表情のベリンダを見て、下士官は慌てて飛び出していった。
「落とさせるものですか……」
ベリンダ自身もコンソールに貼り付いて必死に体勢を立て直す。地上では王国軍が勢いを盛り返し、ガレオンの被弾によって狼狽した帝國兵を圧倒していた。
「くっ……でも、ヤツらさえ倒せれば!」
敵の攻撃の核となっている装甲猟兵を倒すことができれば、再び形勢は帝國に傾くだろう。ベリンダはガレオンの姿勢を制御しながら、装甲猟兵を狙って執拗に砲撃を続けた。ベリンダでなければ、これほど長く持ち堪えることはできなかったであろう。
しかし、機動力と攻撃力に長ける装甲猟兵を捕らえることは困難だった。やがて、ベリンダの努力も空しく、ガレオンは地上へと落下した。
「かかれ! その戦艦を落とせば勝利だ!」
「させるな! まだ戦闘は終わっていないぞ!」
ガレオンが落ちたのは、帝國兵と王国兵が入り乱れる戦場の真ん中だった。甲板に出たベリンダの目前で、ガレオンの乗組員達もたちまち白兵戦に巻き込まれる。彼らは兵士ではあったが、あくまでガレオンをコントロールする、いわば『水兵』であった。剣を持って立ち向かったが、一合と渡り合うことなく、王国兵に殺されていった。
「………………」
だがその惨劇を見て、ベリンダはこれまでとは比較にならない程の興奮を覚えた。これほど多くの死が自分の間近で発生している。血が飛び散り、絶叫が辺りに響く。その全てが、ベリンダの精神に高揚をもたらしていた。
「あそこにもいるぞ!」
「殺せ!」
恍惚とした表情で立ち尽くすベリンダの元へ、王国兵が殺到する。
「………………」
切っ先が届くかと思われた瞬間、ベリンダの前に氷の盾が現れ、剣をそらした。
「コイツ、怪しげな技を……」
そして、怯んだ王国兵の体を下から氷の刃が貫いた。
「ふふふ、さあ、もっと私に死を見せて。あなた達が苦しむ様を……」
「ば、化け物っ……」
近くにいた王国兵は踵を返して逃げ出す。しかし、氷の刃はそれを追い、次々と串刺しにした。
王国兵の体から流れる血が氷を赤く染め、辺りを血臭で満たした。
「女、貴様が指揮官か」
動く者が誰もいなくなった甲板に、一人の男が現れた。
「あなたは誰?」
「グリュンワルド・ロンズブラウ」
「そう……あなたがあの」
グリュンワルド・ロンズブラウ。ルビオナ連合王国と同盟を組むロンズブラウ王国の王子である。その狂気じみた戦い方は、敵味方の双方によく知られていた。激戦の後を示すようにマントと鎧は返り血にまみれ、右手の剣は先が欠けていた。
「その命、もらい受ける」
そう言うと、グリュンワルドはベリンダへと突進する。そのまま剣を振りかぶり、力に任せて振り下ろした。
ギィン
その剣をベリンダが生み出した氷の盾がかろうじて止める。しかしグリュンワルドの刃は、ベリンダの左肩を僅かに傷付けていた。
「……くっ!」
グリュンワルドは密着した状態のまま連続して剣を振るった。剣戟の早さは、もはや人間の領域を超えていた。ベリンダもよく防いだが、反撃に転じる事ができず、ジリジリと押されてしまう。
やがてベリンダは甲板の舳先へとはじき飛ばされた。
「もう逃げ場は無い」
グリュンワルドが腰を屈めて剣を水平に構える。その構えには一分の隙もなく、ベリンダは蛇に睨まれたカエルの様に動くことができなかった。
「……死ね」
グリュンワルドの体が霞み、次の瞬間にはベリンダの目前に出現した。ベリンダが反応する間もなく、その刃はベリンダの体を貫いた。
「ぐっ……」
ベリンダは自分の腹に突き立った剣を凝視した。これまで数多く見てきた死が、今度は自分を襲っている。
「……私は、まだ」
「まだ息があるか」
グリュンワルドはそう呟くと、無造作に剣を引き抜いた。
その感触には違和感があった。
「貴様……いや、言うまい。死ねば皆同じだ」
そして、剣を振りかぶった。
……まだ死ねない。
私が死ぬ前に、もっと多くの死を。
もっと多くの者を死に追い遣るのだ。
そのためには何が必要か。
死の力だ。
死の力を求めよ!
剣を振りかぶったグリュンワルドの背後で、ビチャリ、と音がした。
若干の粘り気を含んだその水音は、聞く者に生理的な嫌悪感をもたらした。
「……っ」
振り返ったグリュンワルドが眉を顰める。
そこには、あるべきではない光景があった。首は半分千切れ、片腕が無い帝國兵。足の腱も切れているらしく、立っているだけで揺れていた。
その向こうには、同じように片腕の無い王国兵。その隣には、胸に大きな穴を開けた王国兵。焼け焦げてどちらの兵かわからない兵士。すでに死んだ筈の兵士が立ち上がり、フラフラとグリュンワルドへ向かって歩いていた。
「貴様、何をした。女」
「……死を。あなたも私に死を見せてくれるんでしょう?」
甲板に体を横たえたまま、ベリンダは微笑んだ。その微笑みはいつものベリンダと同じく、柔らかく、かわいらしい。しかしその目は光を失い、ユラユラと蠢く死者の軍勢を映していた。
「―了―」