3382 【協力者】
「ロッソ技官、ラーム作戦技官が探してましたよ」
自分の研究室に籠もってコア生物を調査しているロッソに、同僚技官のファルケンが声を掛けた。
「ラームが?」
「はい。自分の部屋まで来てほしい、と言っていましたが……」
「取り込み中だ。用があるならそっちが来いと言っておけ」
ロッソは振り返ることもせず、面倒くさそうに答えた。
「そんなこと上官に言えるわけないでしょう。……伝えましたからね、僕は。ったく」
ファルケンはそう言うと、部屋の扉を閉めた。まったく伝言の意を介さず、ロッソの意識は再びコア生物の調査へと向けられた。
コア生物は渦から発生する異界の生物の総称だが、いまロッソが研究しているのは、その中でもコア近くにいた、レジメントと直接対峙した生物だった。
複数の渦から持ち帰った資料と見比べ、ロッソなりのある仮説を証明しようとしていた。
そして数時間が経過した。ロッソは時間のことなど忘れたように研究に没頭していた。高く昇っていた太陽は西へと下り、研究室の床を長く伸びた木の影が覆っている。
コンコン。
研究室の扉を誰かがノックした。が、ロッソは答えない。
「………………」
コンコン。
コンコン。
コンコン。
「……誰だ、うるさいぞ!」
執拗に繰り返されるノックの音に、ロッソは根負けして返事をした。
「私だよ、ロッソ。ラームだ」
「……待ってろ」
面倒だが、やって来てしまったのなら相手をしなければならない。ロッソは立ち上がり、渋々研究室の扉を開いた。
「やあ、ロッソ。調子はどうだね」
ロッソの不機嫌そうな顔とは裏腹に、ラームは笑顔を浮かべていた。散々待たされた挙げ句、自分から足を運ぶ羽目になっても気にしていない様子だった。その笑顔を見て、ロッソは眉間の皺をますます深くした。
「……良かったさ。あんたが来るまではね」
殊更に大きな音を立てて椅子に座り直す。そして、再びコア生物の研究に没頭した。
「見ての通り忙しい。何か用があるなら、手短にしてくれ」
「まあ、そう邪険にしないでくれ。実は、君に会わせたい人がいてね」
「……今日は駄目だ。明日なら会おう」
相手が上官でも言いたいことは言わせてもらう。そんな気持ちが滲み出るようなロッソの返答だった。
「わかった。それじゃあ、明日の昼に私の部屋に来てくれ」
苦笑しながら、仕方ないという風にラームは言った。
「そっちが来ないのは、どういう理由だ?」
「会わせたい人がいる、と言っただろう。あまり人気のある場所で遭わせるべき人ではないんでね」
「……わかった」
上司にそこまで言われてしまっては、ロッソといえども撥ね除ける訳にはいかない。それを聞いたラームはにっこり笑って、部屋を出て行った。
◆
次の日、ロッソは眠い頭を振りながらラームの執務室へ向かった。昨晩は研究に没頭しすぎて、気が付いた時にはもう夜が明けていた。
これまで、ラームはロッソの非礼に対して命令や怒りで反応したことがなかった。その奇妙な態度に、ロッソは却って不気味な印象を覚えていた。
部外者ということは、パンデモニウムの人間を連れてくるのだろうか。ラームがおそらく隠しているであろう真意に考えを巡らしてみたが、答えは出ない。
あまり他人に興味のないロッソでも、ラームが自分に対して何かしらの執着をもっていることは理解できている。
「面倒な話はごめんだぜ。ラームのおっさん」
そう呟くと、ラームの部屋の前に立った。
◆
扉を開けると、そこにはラームと見知らぬ一人の女性が立っていた。
「やあロッソ、来たか」
ラームは相変わらずの笑顔を浮かべていた。隣の女性はロッソの方を向いて小さく礼をした。傍には小型のドローンが浮かんでいる。パンデモニウムの一部のエンジニアには、自身のライフログやサポートのために連れて回る者もいるが、地上で見るのは初めてだった。
「会わせたい人、というのはこちらの人だ。名前はマルグリッド。我々の『同志』だ」
「マルグリッドよ。よろしくね、ロッソ」
「同志……」
それはまた胡散臭い言葉が出てきたな。差し出された手を握り返しながら、ロッソは眉を顰めた。
「それでは、メンバーも揃ったことだし、話を始めようか。座ってくれ」
ラームはロッソに席を勧め、自分も横に座った。マルグリッドと呼ばれた女は、ラームから少し放れた場所に立ったままだ。
「さて、まずロッソ。君のこれまでの経歴、および功績を見せてもらった。素晴らしい成果だ」
「……そりゃどうも」
「そして未知なる物への探求心。成果はもちろんだが、こちらの方が、より評価できるな」
「………………」
「ロッソ、君は世界の真実を知りたくはないかね。人類が新たな進化を遂げるために」
「……一体、何が言いたい?」
ラームの持って回った言い方に、ロッソは声を荒げた。
「我々はケイオシウムの力を解明したいと考えている。そこのマルグリッドは、その賛同者だ」
「ケイオシウムだと……」
「昨日、君はコア生物を解析していたね。それはコアに秘められた力を研究していたのだろう?」
ラームの目に妖しい光が宿る。
「ああ、そうだ」
「それこそ我々の為すべきことだ。君ならケイオシウムをその手でコントロールすることができる」
正確に言えば、コア生物の研究は渦が引き起こす現象を理解し、レジメントの活動に役立てるためのものだった。しかし、コアとそれを成り立たせているケイオシウムの力に惹かれていたのも事実だった。
「あなたは素晴らしい技術を持っている、と聞いているわ」
マルグリッドが美しい顔に笑みを浮かべながら、声を掛ける。
「どうかしら、私達に協力してもらえない?」
魅力的な女だが、どこか人間らしさが無い。
「話はわかった」
姿勢を大きくそらし、ロッソはさも飽き飽きした風に話し出した。
「だが、自分のメリットがない。研究は一人でやってきた。別に困っている訳じゃない」
「もっともだ」
ラームは余裕を崩していない。
「今日連れてきた彼女は、まさしくケイオシウムの可能性を体現した人物なのだ、ロッソ」
再び、紹介するかのようにラームはマルグリッドの方へ振り返った。
「説明が足りないな。あんまり回りくどい真似をされるのは好きじゃない」
するとマルグリッドの姿が、まるで電灯の光が消えるように、一瞬にして消えた。
「ドローンで投射していたのか。どうりで突っ立ったままでいる訳だ。だが、画像投影の技術なんざ珍しくもない」
「よく見たまえ。ドローンから投射しているのではない」
すっと再びマルグリッドは姿を現し、机の上にあったコップを手に取った。そして、ロッソ達の座っている席の反対側に椅子を引いて座った。
「……たしかに投射している訳じゃあないようだ。くだらん手品じゃないだろうな」
「タネはある。彼女は生けるコアとなったのだ。そのドローンは今や彼女の『本体』なのだよ」
「どういう意味だ?」
自分でも気が付かない内に、ロッソは身を乗り出していた。
「彼女は不幸な事故で、研究中にケイオシウムのコアと融合してしまったのだ。信じられないことだが。そして体や記憶の一部を失ったが、こうしてエンジニアとしてこの世界に実存し続けている」
「私は生まれ変わったの。一度死んでね。そして、このコアが作る多元世界を行き来できるようになった。この世界での実体を失う代わりに」
マルグリッドは不適な笑み絶やさないまま、机の上に手を組んで顎をのせた。
「それが事実なら、確かに興味深い……」
「こんな御伽噺みたいなことは信じられんかね?」
ラームは真剣な表情でロッソに聞いた。
「オレが知っている渦の中じゃあ、どんなことがあっても不思議は無い。多元世界はこの目と耳で経験してる」
「さすがだ、ロッソ」
「マルグリッドっていったな、あんたに興味がでてきたぜ」
「ありがとう」
マルグリッドは微笑みながら答えた。
「少しの間、一緒に研究をしてみてはどうかな。人前に姿を現す訳にはいかんが」
ラームが言った。
「あんたは気にくわないが、研究としてはおもしろい話だ」
「私のことはどうでもいい。研究の前進こそ、我々の望みだ」
ラームの差し出した右手を、ロッソは握り返した。
「―了―」