11シェリ4

3391 【暗夜】

何も手掛かりがない状態では、ドクターの居場所を探し出すのは難しい。シェリは屋敷を探っていた。

しかし、すでに襲撃者達によって屋敷の中の重要な書類等は持ち去られているようで、何らかの手掛かりになるような物は、一つも残っていなかった。

主とドクターはどこかで連絡を取り合っていた筈だが、その手段がわからなかった。

シェリは途方に暮れたが、何もせずにこの場に留まり続ける訳にはいかない、と感じていた。食事は必要ない。いつまでも動く自動人形として、ここでただ生き続けることはできる。でも、動かなくなったロブをそのままにしておくことはできない。

手掛かりが無いまま、シェリは屋敷を出ていった。

シェリの住む屋敷は帝都ファイドゥにあった。主が関わっていた仕事の拠点として、この帝都は都合がよかった。関わった陰謀について、背景を含め詳細を知ることはなかったが、暗殺者として送り込まれる彼女には、それに関する必要最低限の知識があった。

主を殺した人間に対しては何の感情も沸かなかったが、まずは、殺された主に関する情報を得ることから始めなければならない。

とりあえず、何度か屋敷で会ったことのある政治家の元を訪ねた。彼は政界でもかなりの地位にいたので、探し出すこと自体は容易かった。

執務室らしき部屋に明かりが灯ったのを見て、シェリはそっと姿を現した。吐息はおろか心音すら無い人形のシェリは、誰にも気付かれずにターゲットに近付くことができる。

「こんばんは、カンドゥンさん」

扉の傍のクローゼットから突然現れた少女に、カンドゥンと呼ばれた男は身を強張らせた。屋敷のセキュリティを掻いくぐって潜むくらいのことは、シェリにとってどうということはなかった。

「お前はギブリンのところにいた……」

カンドゥンはそっと引き出しに手を伸ばす。

すると、空気を切る音と共に、ナイフが机の上に突き立った。カンドゥンは手を急いで引っ込める。

「何もしないわ。 ただ、聞きたいことがあって来ただけだから」

「私がお前の主人を始末したわけではないぞ。 奴はやり過ぎた、だから彼らが……」

必死に言い訳をするように、カンドゥンは語る。

「そんな話を聞きに来たんじゃないの。 あなたは主と一番親しくしていたでしょう。ドクターの話を聞いたことはない?」

「医者? 奴の医者のことなど知らん」

「そういう意味じゃないのよ。 私を作った人を探しているの」

呆れた風な表情をシェリはつくった。

「意味がわからん。 とにかく私は、お前の主人のことなど大して知らん。あくまで金で依頼をしただけだ。 お前も金が欲しいのならやる。だから、早くここから出て行け」

「話にならないわね。 少し、記憶が戻ってくるような刺激が必要なのかしら?」

ナイフを出してカンドゥンに近付くと、カンドゥンは後退りしながら懇願を始めた。

「やめろ!お前の主人を始末したのはカストードだ。 私は彼らを止めることなどできん。 たのむ。私はお前の主人の死には関係無い!」

「カストード……皇宮を守っている衛兵達のこと?」

帝國でも謎に満ちた存在だが、その存在は政界や貴族など、権力に近しい者なら誰でも知っている集団だ。

「そうだ。だが、彼らは裏で我々を監視しているのだ。 私のところにも現れた。私は脅されて……」

泣き出さんばかりの調子でカンドゥンは懇願する。どうやら、この男が主を売ったのは確かなようだ。しかし、復讐するつもりなど毛頭無かった。ただ、少しでもドクターに近付く手掛かりが欲しい。

「主を殺したのは彼らなのね。 何も無いよりはましなヒントね。 どうやったら彼らに会えるの?」

「こちらから連絡をつけることなど、できん」

「ふうん。じゃあ、皇宮に行けばいいのかしら」

「ばかな。皇帝廟に近付けるものか」

「やってみなければ、わからないじゃない」

そう言いながら、シェリはナイフを手の内に戻した。

「ありがとう」

シェリは最後にそう言って去って行った。カンドゥンは呆然としたまま、彼女を見送るだけだった。

堀と壁に囲まれた皇宮は、ファイドゥの中心にある。市街から中の様子を窺う事などはできない。

唯一の入り口である正門には、常に厳重な警備が敷かれていた。

「さすがに、ちょっと面倒なことになりそうね」

別にトラブルや騒ぎを起こす事が目的ではない。ただ、ドクターの居場所について聞き出したいだけなのだ。しかし、その目的の為に他人を犠牲にすることもまた、躊躇するつもりは無かった。所詮、相手は私を利用した人間共なのだから。

シェリは正門の監視を何週間と続けた。シェリの目は人間よりずっとよく見える。警備兵達に気付かれないくらい遠くにある鐘楼から、皇宮の動きを眺め続けた。人間には耐えられないであろう辛抱強さをもって、事に当たった。

警備が何人いるのか、交代のタイミング、行き来する馬車の数や種類、これらを正確に記憶していった。

その中に、定期的にやって来る馬車があった。豪奢な車体と警備の厳重さから、それが皇妃のものらしいことがわかった。おおよそ十日間隔に一回、夕方に皇妃を送り、次の日の夜半に迎えにくる、という手順で送迎を行っていた。

皇妃の屋敷から皇宮までの道程を調べ、人の少ない道を通る場所があるのを確認したシェリは、その場所で皇妃の馬車を待った。定刻通りにやって来た馬車がスピードを落とす、そのタイミングを見計らって飛び乗り、車体部分に身を潜めた。今はこの馬車に皇妃は乗っていない。皇宮に迎えとして行く馬車なので、注目を浴びるようなことも無い。

皇宮の門が開き、皇妃を迎える馬車と共に、シェリは皇宮に入った。

馬車は滑るように開いた皇宮の門をくぐり、鬱蒼と茂る森を抜けて皇帝廟へと向かう。広大な皇宮内は別世界だった。今夜は月もなく、馬車に取り付けられたランプ以外の光は無い。皇宮の庭園は手入れが行き届いていたが、夜の暗闇の中では不気味な森としか見えなかった。

その森の中に突如現れた皇帝廟の正面に、馬車は着いた。シェリは用心深く馬車から離れ、物陰に隠れた。

皇帝廟の扉は、馬車が駐まった場所から石階段を登った上にあった。馬車はここで皇妃が出てくるのを待つようだ。

カストードはどこにいるのだろうか。シェリは考えを巡らせた。巨大な皇帝廟の中にいるのは確かだろう。

御者や警備の者達に気付かれないように石階段を上り、皇帝廟の扉に近付いた。月の無い夜では、人間の目でシェリを捉えるのは難しい。

しばらくすると、扉がゆっくりと開いた。皇帝廟を守るカストードと思しき二人の男が扉の左右に立った。扉の向こうでは、皇妃らしき美しい女性と男が会話をしているのが聞こえてくる。カストード達に気付かれない距離であっても、シェリの耳と目は、はっきりと皇妃達の様子を捉えていた。

「また楽しませてくれ、美しきアリステリア」

男は、まだ少女と言ってもいい皇妃の肩に手をあてて囁いた。

「このような事はもう、おやめください」

「今更、冷たいことを。 我々にはあなたしかいない。 神託を聞けるのはあなただけだ」

皇妃の相手は男のようだったが、中性的な顔をした、若い黒髪の人物だ。

「我々はあなたを心底羨んでいる。崇めていると言ってもいい」

「こんなことは望んでいません」

皇妃は何かに耐えるかのような表情を浮かべる。

「ずっとこうしてきたのだ。君の母親も、その母もみな、我々と共にいた。いずれその意味が君にもわかる」

男の表情は皇妃に隠れて見ることができない。

「我々の痛みを共有してくれるのは、あなただけなのだ」

そう言って、男は皇妃を振り向かせて口づけをしようとした。しかし、皇妃は顔を背けた。

「また会いましょう、アリステリア」

皇妃の態度を笑って受け流し、男は皇妃を見送った。

カストード二人と皇妃は階段を下り始めた。シェリはじっと息を潜めて待った。皇妃を送った後、戻ってくる時に話を付けよう。

皇妃の馬車が走り出して皇帝廟から遠ざかっていく。二人のカストードが戻ってくる。

名うてのカストードであっても、二人程度ならばきっと問題は無い筈だ。ただ、皇妃を人質にすればもう少し状況をコントロールできたかもしれない、と思わないでもなかった。奇妙な道徳心を自分の中に見つけて、シェリはすこし可笑しくなった。

「ねぇカストード、私を知ってる?」

二人の前に飛び出たシェリは、わざと無防備な様子で話し掛けた。まるで宮殿に迷い込んだ少女のように。

カストード二人は仮面を被っているので表情が読めない。驚いているのかどうかすら、よくわからない。

「暗殺を請け負ってた私の主、えーと、ギブリンを殺したのはあなた達なんでしょう?」

仮面の男二人は何も答えない。かといって、手に持った大きな矛槍を構えるわけでもない。

「知りたいことがあるの。……ねえ、何か言ってよ」

あまりの反応のなさに拍子抜けだったが、ただ引き下がるわけにはいかない。どうしてもドクターの元に戻らなければならないのだ。

「何かと思えば、ずいぶんと可愛い鼠だな。ギブリンのところの人形か」

後ろから声がした。先程皇妃と語らっていた男だ。左右に新たなカストードを従えている。面倒が増えたとシェリは思ったが、すぐにこの状況を逆手に取ることを思いついた。この優男を人質に情報を得ればいいのだ。そうすれば、この無口な木偶の坊達も話をしてくれるだろう。

「ちょうどよい刺激だ」

男は隣のカストードから矛槍を受け取り、階段を下りてきた。

シェリはわざと後ろ向きのまま相手が近付くのを待ち、驚異的なジャンプを見せて男の背後に降り立つ。すぐさまナイフを男の首元にあてた。人外のスピードに、男は何もできなかった。持っていた矛槍もシェリに取り上げられた。

「おっと、これはまいったな」

しかし、男に焦った様子が無い。奇妙な事だが、そんなことはシェリの興味の埒外だ。

「あなたは黙ってて。 カストード、この男の命が惜しければ、私の質問に答えなさい」

四人に増えたカストード達は、まだ矛槍を構えず、ただ黙って様子を見つめているだけだった。

「カストードは語る弁など持たぬ。 不死皇帝の影だ」

「黙ってて、と言ったわ」

強くナイフを首に押し当てる。普通の人間なら、ここまでやれば、何かしらの恐怖反応というべき心拍増加や発汗などの生理反応がある筈だったが、この男にはそれが無かった。シェリはこの状況に不気味さを感じ始めていた。

「話は、ここにいる皇帝が聞いてもよい」

突然の告白だったが、シェリは一笑に付した。

「嘘をいいなさい、いくらなんでも、あの不死皇帝がこんな簡単に私の手に落ちるわけがないでしょう。カストードの様子を見ればわかるわ」

「この皇帝廟に恐怖などというものは無い。そして、それを知る人間も存在させないのだ。 人形、これからお前と話をしてもいいが、決してここから生きて出られると思うなよ」

「そんな強がり、状況をよく見て言うことね」

シェリは男の片手を、ナイフを持たぬ方の腕で強く捻り上げた。

しかし男はなんの痛痒も見せずに平然としている。シェリは加減がわからず、男の関節が外れる音を聞いてから、手を緩めた。

「まだ状況がわからないようなら、わからせてやる、人形」

男がそう呟くと、

「殺せ! アクティヴィーレン」

一人のカストードがその呟きと共に矛槍を構え、一瞬で男の腹部を突き抜いた。シェリと共に。男は一瞬で絶命し、シェリの腹には大きな穴が開いた。

「何、これ……」

驚愕の表情を見せたシェリの目の前で、カストードは矛槍を引き戻し、男の死体を階段の下に投げ捨てた。

「不死身の自動人形。さすがドクターの傑作だ」

矛槍を振るったカストードが初めて声を発した。シェリが負った傷は、機能停止に陥るのに十分な傷だった。戦闘を長く続けることはできない。ここは逃げなければならない。一瞬の思考でそこまでの結論に達したシェリは、離脱のための跳躍をする。

「まだ遊びは始まったばかりだぞ、人形」

跳躍した足をカストードに掴まれ、地面に叩き付けられる。素早く立ち上がるが、足下の階段でバランスを崩した。

カストード二人がシェリを両脇から掴んだ。普段なら振り解けるかもしれないが、今はその力が湧かない。

矛槍を振るったカストードが近付き、シェリの顎を掴んで語り掛ける。

「さあ人形、ゆっくりと話を聞こうか。 夜は長い」

その声が死んだ筈の男によく似ていることに、シェリは気が付いた。

「―了―」