3383 【幼子】
レイヴンズデールを発って五日、アーチボルトは目的の場所に到着した。
貧民達のキャラバンに紛れて街を出、小さな街で機械馬を買い、ここまで飛ばしてきた。
ジェッドの世話は心許ないものだったが、幸い健康そうだ。
「誰かいるか」
声を掛けながら背の高い頑丈な木製の扉を叩く。夜が明けたばかりのこの時間、冷たい湿った空気が辺りを漂っている。
しばらくすると扉が開いた。
「なんですか、こんな時間に」
「アーチボルトだ。ここの出の者だ。預けたい子供がいる」
アーチボルトが叩いた扉は孤児院だった。渦の惨禍で家族を失った子供達を養う施設はたくさんあった。この孤児院は自分が少年期を過ごした場所だった。
「お入りなさい」
老いた院長が迎えてくれた。
「コリー先生、お久しぶりです」
帽子を脱いでアーチボルトは挨拶をした。
「アーチね。本当にひさしぶり。滅多に顔など見せないのに、どうしたの?」
「この子を預かって欲しい」
抱いたジェッドを見せた。
「まあ、こんな小さな子を。あなたの子なの?」
コリーと呼ばれた院長は眼鏡をかけ直し、ジェッドを受け取った。
「死んだ友人の子供です。詳しい事情はあとで話します。とにかく、ここに置いてやって欲しい」
「そんなに急ぐことなの?」
「すぐに発ちたい。俺がここにいたことを誰にも知られたくないので」
「わかりました。あなたの事です、信用しましょう」
アーチボルトは孤児院を去った。自分が育った懐かしい場所だった。内庭も、毎日通った廊下も、何も変わっていなかった。
しかしそんな感傷よりも、パランタインの手がどこに伸びているかわからない。革命後の混乱で、大規模な捜索隊は送り込まないだろうが、それでも、自分の足取りがばれるようなことがあっては困る。
陽動や欺瞞が必要だと考えていた。
ジェッドをくるんでいた毛布を取り出し、中に適当な衣類を詰め込んで、遠目には子供を抱えている風を装った。
◆
レジメントに戻ってから半年は、気が気でない日々を過ごしていた。孤児院に預けたジェッドが無事かどうかを調べるわけにはいかなかった。レジメントとしての仕事もある。自分が監視されているとは思っていないが、念には念を入れる必要があった。
院長達を信じるしかなかった。
レジメントでの活動の合間を縫って孤児院に行くことができたのは、七ヶ月後だった。
「おいジェッド、ひさしぶりだな。覚えているか」
ふらふらとだが、やっと立ち上がれるようになったジェッドをアーチボルトは抱え上げた。
「覚えてるわけないか」
ジェッドは手を振ってアーチボルトを叩く。
「はは、元気な坊主だ」
「悪いわね、ずいぶんと」
孤児院を訪ねたアーチボルトは、院長室でジェッドと面会していた。
「なに。レジメントにいる限り、金の使い道はないから」
院長はアーチボルトが寄付をした金貨を数え、帳簿につけている。
「他の子供達にも会っていってくれるといいのに」
「いや、子供は正直苦手でね」
一人の少女が院長室へ入ってくる。
「ジェッドいる? ごはんの時間なんだけど」
「ここにいるわ、パメラ。ちょうどいい、連れていってあげて」
パメラと呼ばれた少女は十歳くらいだったが、慣れた手つきでジェッドを抱え上げた。
「ほらジェッド、ごはんだよ」
優しくジェッドに語り掛けた。
「いつもジェッドを世話してくれているパメラよ。 パメラ、こちらはアーチボルトよ」
「ありがとう、パメラ。ジェッドによくしてくれてるんだね」
「うん。かわいい弟みたいなものよ。 アーチボルトさんはジェッドのお父さんなの?」
「ちがうんだ。でも、大切な子なんだ」
「そう。私、弟ができたみたいでうれしいの」
「よかった、これからもよろしく頼むな」
「うん」
そう言って、パメラはジェッドを連れて行った。
「それで、里親の件なんだけれど」
「できれば、ジェッドはここで育ててもらいたい」
「そうはいかないわ。子供にとって一番良いのは、いつも一緒にいてくれる家族がいることよ。お金だけじゃ解決できないものよ」
「俺はここの生活は悪くないと思ってたが」
「そうだったの、気づかなかったわ。 その割には、十四歳でここを飛び出していったわよね」
「若かったのさ、何もわかっちゃいない子供だった」
「じゃあ、里親の話はまた別の時にしましょう。時が来たらきちんとあなたに説明するわ」
「身勝手な話ですまない」
「いいの。あなたの事情はわかっているわ」
◆
しばらく孤児院を眺めていた。幼児だけを集めた部屋では、六人の子供を年長の少女達三人が面倒を見ている。ジェッドはあのパメラという少女に笑顔をみせている。
これからのことを考えると不安が無くはなかったが、とりあえずジェッドが健康でいられればいいと思った。
◆
アーチボルトは孤児院を後にして、レジメントに戻ろうと馬に跨った。
すると、この街で見掛けない服装をした一団が城門の前に集まっている事に気が付いた。
六人程の、インペローダから放たれたパランタインの私兵だった。
尾けられていたのか、どこかに間諜がいたのか。どうであれ、このままでは子供達を危険に晒すことになる。どうしたらいいのか、アーチボルトは考えを巡らせた。
その時、ドンという音が街中に響いた。アーチボルトの後ろに煙が立ち上っている。
「クソっ」
アーチボルトは踵を返して孤児院に戻った。城門の前にいた連中は、自分を待ち伏せしていただけだったのだ。
すでに別部隊が孤児院を襲撃していた。
「なんてことをしやがる」
パランタインの私兵どもは、孤児院の周りに火を放っていた。捜索など面倒な事はせずに、あぶり出そうとしているのだ。
アーチボルトは首謀者らしき男を探す。指示を出している男の足下には、血溜まりと死体があった。
服装からコリー院長だとわかった。アーチボルトは激昂した。しかし、子供達を救うことを優先しなければならない。
孤児院は古い構造で入り組んでいる。煙が回ってしまえば、小さな子供達は外に出られないまま死んでしまうだろう。
アーチボルトは馬で孤児院に飛び込むことを決めた。
しかし孤児院の塀を直接越えることはできないため、門の前にいる私兵どもと撃ち合いになった。
敵は八人程度だが、倒すだけでも時間が掛かる。その間にも火の手は強くなっていた。
リーダーらしき男をアーチボルトが仕留めて相手の手勢が半分になった頃、街の守備隊が集まってきた。
私兵達は守備隊が集まってきたことを知ると、逃げ出し始めた。やっと突入できる道ができたが、すでに孤児院は強い炎に包まれていた。
一か八か飛び込もうとするが、消火を始めている守備隊の連中に止められた。
「無駄死にしたいのか。 それより消火を手伝え」
燃えさかる孤児院の壁が熱で崩れ、黒い煙が立ち上がった。
その中から一人の少女がよろよろと出てくる。
パメラだった。
アーチボルトは駆け寄って、パメラを抱きしめる。
「ごめんなさい、ジェッドを……私、途中まで彼……」
「いいんだ。よく助かった」
パメラはアーチボルトの腕の中で気を失った。
◆
全てが終わった後、生きていたのは、ジェッドによくしてくれていたパメラだけだった。
他の子供達も、院長も、その他の職員も、みな犠牲となった。
小さなジェッドは遺体すら見つからなかった。
犠牲者の追悼式の前に、アーチボルトはレジメントに戻るために街を去らなければいけなくなった。
旅立つアーチボルトにパメラが話し掛けた。
「私、ジェッドに助けられた気がするの。煙を吸って気を失った時、彼が光に包まれた大きな人になって、私のそばにいてくれたの。そして、目を覚ましたら壁がくずれて、外に出られたの。きっとジェッドは……」
「あの子は君に感謝していると思う。やさしくしてくれたから」
「ジェッドは、とってもいい子だった……」
すすり泣くパメラを、アーチボルトは抱きしめた。
◆
この街は、淡い郷愁の場所から苦い記憶を伴う場所となった。
自分を育ててくれた院長の顔、見送るパメラの姿、小さなジェッドの手の感触。
それら全ては自分が背負わなければならない借りだと、アーチボルトは感じていた。
「―了―」