3389 【猫】
「脇を締めろ、出した足に重心を掛けて反動を抑えろ。上体でライフルが持ち上がるのを防ぐんだ」
フリードリヒは並んだ新兵達の後ろに立って、ライフル射撃の指導を行っている。
「引き金は指だけで引くんじゃない。 銃把ごと握る感じを意識しろ」
お決まりの指示を出しながら、一人一人の後ろに立って細かな注意や指導を行っていった。
射撃訓練が終わった後、フリードリヒは皆の前で切り出した。
「お前らとの訓練は、今日が最後だ。 とりあえず」
ざわめきが訓練生に広がる。
「噂されている作戦ですか? ジ・アイ攻略という……」
まだあどけなさが残る二十一期生達の中でも、リーダー格の少年が聞いてきた。
「まあ、そういうことだ。 いずれお前らにも話が行くことになるだろう」
レジメントが近々ジ・アイと呼ばれる最大の渦に対する作戦を実行するという噂が、若い訓練生達の間に広がっていた。B中隊で小隊長を兼務しているフリードリヒは、当然、既にその内容を知らされていた。
「教官も参加されるのですか?」
「もちろん。 古参の俺は行くに決まってるだろう」
「あの、無事に帰ってきて下さい。 必ず」
他の若い訓練生が不安げな声でフリードリヒに言った。
「当たり前だ。 いつもと変わらん。 心配などいらん」
◆
フリードリヒが訓練士《ラニスタ》を兼務し始めてから、随分経っていた。最初は行き掛かりで始めたが、気分的に合っていたのか、最後の作戦の直前まで若い奴らの面倒を見ていた。
本来訓練士は古参の中でも負傷、加齢などで退役するしかないような者が就くのが通例だった。がしかしフリードリヒは、自分から志願する形で兼務を許してもらっていた。レジメントを強くする為には、若く優秀な騎士を揃える方が結果に繋がる、と信じていた部分もあった。
だが、いま自分が面倒を見ている若い騎士はまだ一人前になっていない。今回の作戦で向こうに渡るまでの時間でも足りない。このことは寂しくもあり、また安堵する部分でもあった。
訓練生達が若い学生のようにふざけながら引き上げてくる姿を眺め、フリードリヒはそんなことを考えていた。
◆
フリードリヒが所属するB中隊も、本格的なシミュレーションが始まると忙しくなった。レジメント本部の敷地にはかなり大きな野外訓練施設があり、そこで訓練が行われていた。この施設は、通常ならば定期訓練と新人の練兵の為に使用され、それ以外でも新装備や新車両のテストに使われる程度だった。しかし今度の作戦では別の理由で本格的なシミュレーションが必要になった為、大掛かりな訓練施設を増設した上で、全てをこの訓練に使っていた。
ジ・アイと呼ばれる巨大な渦は、二つのコアを持つ特殊な構造をしていた。互いのコアが相互を修復する為、完全に同期する形でコアを除去しなければならなかった。それ故に作戦手順が複雑化しており、その練度を上げる為の訓練が何度も繰り返された。
◆
フリードリヒは今日二回目のシミュレーションを終え、休憩場所になっているハンガーに戻ろうとしていた。その時、バックアップに回っているF中隊の中に馴染みの顔を見つけた。
「おう、アイザック。 元気でやってるか?」
F中隊もハンガーに戻るところだったので、共に歩きながら会話を続けた。
「ええ、フリードリヒ教官。 ぼちぼちですよ」
アイザックは入隊したばかりの頃と比べて見違えるように体格がよくなり、戦士然とした風采に変わっている。
「F中隊に組み込まれるメンバー、決まったのか?」
「俺とエヴァ、それにレオン、アベル、グリュンワルド、ケインです」
彼ら十三~十五期生達は欠員の出た部隊に配属されており、何度も実戦に出ている世代だ。あと少しで正規の中隊に組み込まれるという段階にあった。
「まあ、順当なメンツだな。 気を抜かずに訓練しておけよ」
「俺達も行く気は十分ありますよ。 自分達が正規のメンバーに劣ってるとは思いません」
「いい自信だ。 それぐらいの心意気がないとな」
思ったより訓練生から組み込まれた人数は少なかった。バックアップのF中隊は、作戦直前のトラブルに備えて訓練も同じように行い、渦に渡る直前まで作戦に同行することになっていた。しかし、若い彼らが実際に交代要員に選ばれることはないだろう。
「向こうでの戦い、勝算はありますか?」
アイザックが少し声の調子を落として聞いた。不器用な彼なりに、侮辱しているかのように聞こえるのを、注意しているのだろう。
「言葉を選べ。 あるに決まってる」
笑いながら諌めた。厳しい戦いだというのは、レジメント全体に知れ渡っていることだ。作戦室が動的シミュレーションと呼ぶこの訓練も、成功率が40%を超えたことがなかった。
「……それに、俺達が失敗してもお前らがいる。 何も問題ない」
「冗談なら、面白くないですよ」
「本音さ、数字は数字だ。 いくら装っても、事実は全員がわかってる。 でも、やらなきゃいけない時が来るんだ。 それが俺達にとっては、次の作戦さ」
「わかりました」
「バックアップ、頼むぜ」
「はい」
ハンガーの入り口で二人は別れた。
◆
陽も暮れ、夜になると訓練が終了した。今日の四回の訓練の内、成功したのは一回だけだった。B・D・F中隊の小隊長以上とそれぞれの中隊付きエンジニアによる話し合いが、訓練終了後に持たれた。結局、同期を成功させる為には、隊員の犠牲を増やしてでも装置の同期を優先しなければならない、という冷たい現実の確認となった。
よく訓練された隊員達は任務の為の死を恐れてなどいない。だが、それを強いる側であるフリードリヒ達士官の心には、重くのしかかる現実だった。
◆
話し合いを終えた後、装備の手入れの為に、フリードリヒはハンガーに居残っていた。そろそろ帰ろうかと着替え始めた時、フリードリヒの元に一人の女性エンジニアがやって来た。広いハンガーも所々明かりが落とされて、もう数人しか残っていない。
「ちょっといいですか?」
「なんだ、C.C.か。 アインなら来てないぞ」
自分にやけに懐く猫の飼い主で、眼鏡を掛けた若いエンジニアだ。
「いえ、あ、関係なくはないんですけど……。 時間いいですか?」
やけに慌てふためいている様子だが、その理由はわからない。
「別に構わんよ」
「話したいのはロッソの事です。 というか、彼の創った同期機能付きのコア制御装置についてなんですけど」
「エンジニアのお仲間だろ、変わりもんの。 俺にわかるのか?」
話を聞きながら着替えを続けた。戦闘靴を脱ぎ、汚れた戦闘服をはだけた。
「彼の作った同期装置はとても精巧にできていて、量子通信を利用した中枢部分なんて凄いアイディアなんですけど、その安定性を上げるためなのか、測地線検出装置が――」
「要点、まとめてくれないか」
目線を合わさず早口で専門用語を捲し立てるC.C.にうんざりした様子で、フリードリヒは答えた。
「あ、すみません。 えーと、言いたいのは、組み込まれている装置の中に、今回の作戦用の同期装置以外に何かあるってことなんです。 ちょっとそれが何を意味しているのかは解明できてないんですけど……」
「そんなこと、ロッソに直接聞けばいいじゃないか」
フリードリヒは後ろを向いて着替えを始める。ズボンを取り替える。ジャケットを脱いで新しいシャツを探す。
「実は私、一度それとなく探りをいれた時にミスしてしまって、いまは装置の整備から遠ざけられてるんです」
「上司には相談したのか? 問題のある行動なら、エンジニアの中で処理するのが筋だろ」
「それが、ちょっとできない理由があって……、あ、あの、渦に向かうレジメントでは、あなたしか知り合いがいないので……」
C.C.の顔が真っ赤になっている。
「ん? あ、悪い」
フリードリヒは上を着ずにC.C.の前に立っていた。普段は男しかいない環境なので、相手が若い女性だと意識していなかった。
「……もし私の予想が正しければ、あの装置はコア同士を共振させて、まったく別のコアを作りだす装置です」
目を伏せてC.C.は話し続ける。フリードリヒは口では謝っていたが、まだシャツを探して上半身裸でうろうろしている。
「これはアインから……あの、私……きゃあ!」
足下にアインがいた。思いっきりC.C.の足、ふくらはぎの辺りに噛み付いている。
「なんだ?」
突然上げられた悲鳴に、フリードリヒはシャツを探すのをやめてC.C.の傍に行った。
「痛っったーい、なにすんのよ!」
C.C.は足を振りながらアインを振り解こうとしている。
「おっと、悪い子だ。 どうしたんだ? 珍しいな」
フリードリヒはアインを両手に抱え、C.C.の足から引き離した。
「なに嫉妬してんの! こっちは大事な話をしてたんだから!」
C.C.がアインに説教を始めるが、アインは前足をじたばたと振り回して、C.C.になんとか一撃を加えようと藻掻いている。
「腹でも空かしてるんだろ。 ちゃんと食わしてるのか?」
「その、その子、あ、猫は、あの」
「猫に説教しても無駄だろ? とりあえず話はわかった。 こっちでも探りを入れてみる」
アインを抱いたまま、フリードリヒは言った。
「あ、ありがとう。 じゃあ」
C.C.はそそくさとハンガーを去っていった。いつの間にかアインはごろごろと喉を鳴らしている。
「さて、飯にでもするか。 そこで待ってろよ」
アインを降ろすと、やっと探し当てたシャツを着た。
「―了―」