3378 【暗闇の箱】
ドニタは迷っていた。ドクターを裏切る事などできないという気持ちと、闇への恐怖との間で不安定になっていた。
「ドニタ、最近調子がよくないようだな」
遺跡の探索作業がうまく進まず、ドクターにそう聞かれるようになっていた。
ドクターはただ優しく問い、少し休むかどうかを聞くだけだった。がしかし、ドニタにはそういう思いが、却って追い詰められる形になっていた。
◆
ある夜、ドニタはドクターが眠ったのを見計らって研究室に忍び込んだ。レッドグレイヴが欲しいという、コデックスがどこにあるのかを調べたくなったのだ。盗むかどうかは決めていなかった。ただ、どんなものかを知りたかったのだ。
ドニタは、ドクターが普段使っている作業コンソールを操作した。
古いものだったが、たくさんの資料がこの中に電子化されて所蔵されている。過去のコデックスは全て読み取られ、この中に取り込まれている筈だ。
オートマタの生体機能、人工知能論、ケイオシウム機関のチューニングなど、様々な項目が画面一杯に表示されている。自分が探し出してきたものもいくつか収蔵されていた。古の知識がかなり、ここに存在するのがわかる。
その時、研究室に電気が点いた。
「どうした、また眠れないのか?」
ウォーケンが研究室の入り口に立っていた。ドニタは慌ててコンソールを消し、飛び退くように机から離れた。
「何か調べ物のようだな」
ウォーケンがドニタの傍まで歩いてくる。
「ワタシ、怖いんです。 まだどうしても。ああ、どうしたらいいのか……」
激しく首を振るドニタ。
「混乱しているようだな。 もう放っておくことはできない。 調整してみよう」
「調整?」
「そうだ。君を一度分解して、暗闇への恐怖を取り除いてみよう」
「分解……でもそれは、ワタシが……また、闇に」
頭を抱えてしゃがみこむドニタ。
「何も恐れることはない。 といっても無駄か。 堂々巡りだな」
突然、ドニタの中で暗闇への恐怖がフラッシュバックした。何としても逃げ出さないと、という焦りが、暴力として吹き出した。
ドニタの抜き手がウォーケンを貫こうとする。明確に殺意を持った技だった。ウォーケンは紙一重で避ける。
「ふむ、これはいかんな」
ドニタは全力の抜き手を躱された反動で、作業台の上を転がるように滑った。が、すぐに体勢を立て直してウォーケンに向き直る。腰を落とした戦闘態勢だ。
「仕方ない」
ウォーケンが手を強く振った。次の瞬間、ドニタはその場に崩れ落ちた。ドニタの額にはウォーケンの放った針が突き立っている。機能停止へと至る装置への、寸分違わぬ一撃だった。
「かわいそうだが、これが最善だ。 もう少し早く決断すべきだったな」
機能停止したドニタは、人形として机の上に置かれた。
◆
ウォーケンはその日の内にドニタを分解し、記憶の断片を掘り下げる作業に取り掛かった。
ウォーケンにとって、ドニタは思い入れのある大切な人形だった。実用的なオートマタの修理や製作ではなく、まるで人間のようなこの娘を、なぜ少女の人形を創ろうと思ったのかは、よくわからない。ドニタは、自分の内なる衝動が創らせた不思議な人形だった。
完成した後、自分によく尽くしてくれるドニタを受け入れている気持ちはあった。と同時に、不気味な違和感を覚えていたのも事実だった。まるで、失われた記憶がこの娘を創らせたのではないか、という思いがあった。
「この子の恐怖の源、取り除けるといいが」
作業台にドニタの頭部を繋ぎ、コンソールを操作してドニタの記憶を時系列に眺めた。イメージとして残る鮮烈なものから、すでに圧縮処理されてエピソードとして保存された記憶まで、注意深く調べていった。
「これは……」
ウォーケンはドニタの記憶の中に鮮烈なイメージとして残っていたものを拾い上げた。それは、ドニタがパンデモニウムに連れて行かれるという記憶だった。
「きちんとチェックしておくべきだったか」
ドニタはレッドグレイヴと名乗る奇怪な化け物から取引を持ち掛けられていた。
「パンデモニウムめ、謀ったな」
ウォーケンは、今は物言わぬ人形となったドニタしかいない部屋で呟いた。
◆
「ソングさん、私は騙されるのはあまり好きじゃない」
「何のことです?」
パンデモニウムの代表として取引を持ち掛けてきたソングへ、ウォーケンは切り出した。成果物の報告があると呼び出したのだ。
「レッドグレイヴという人物が、私からコデックスを奪おうとドニタを誘惑してきた」
ソングは改めて意味がわからないといった表情を浮かべた。
「初めは互いの利益ということだった筈だが、その所為でドニタを分解しなければならなくなったよ」
「そ、それは……私は聞いていない。 確認させてくれ」
ウォーケンの静かな怒りを感じ取り、怯えたソングが席を立とうとする。
「安心したまえ、私は誰かを傷付けたりする趣味は無い」
そう言うとウォーケンは、黙ってカップの紅茶を飲み干した。
「ただし、レッドグレイヴと話をさせてもらおう」
◆
「わざわざ来たか」
レッドグレイヴの居室は奇妙な機械で溢れていた。そしてその部屋の中心に、巨大な水槽に浮かぶ脳があった。
「私を騙すのに、小賢しい真似はしないでもらいたい」
ウォーケンはレッドグレイヴの前にいた。彼を居室に連れてきたサルガドは、入り口に立って辺りを監視している。
「あの人形のことか。 確かに回りくどい真似をさせてもらった」
レッドグレイヴははぐらかさずに言った。
「初めは、お前が『あの男』だと気付かなかったのだよ」
「あの男?」
「記憶を失う前のお前だ。 『本来のお前』と言ってもいい」
自分の過去について、レッドグレイヴは何かを知っているらしい。
「私は私だ」
ウォーケンは自分の過去に惑わされることに疲れていた。取り戻すことのできぬ過去より、有意義な今を選択したのだった。
「しかし、記憶が欠けていることは認めるのだろう?」
「貴様にそれが関係あるのか」
自分でも感情的になっているのがわかった。
「それはお前次第だ。 だが全てを思い出した時、お前は余を生かしておくまい」
「私は誰かを殺めたいなどと思ったことは無い」
「それは好都合」
脳の周りの泡が音を立てて弾ける。まるで笑ったかのようだ。
「私はウォーケンだ。 過去は関係ない」
「よろしい。ならば元の契約どおり、互いの利益になるよう取り計らおう」
「最後にもう一つ言っておく。……二度と私を騙すような真似はするな」
「取引は取引だ。 我々にお前の知識や技術が必要なのは、紛れもない事実だからな」
◆
パンデモニウムで行ったレッドグレイヴとの交渉を終えた後、ウォーケンはドニタを再び組み立てることに躊躇した。不具合の原因も曖昧なままであったし、己の記憶について考えるところもあった。しかし他に誰か助手となる人物がいる訳でもなく、ここまでの機能をもった彼女を放っておく訳にはいかなかった。ウォーケンはドニタを組み立て直すことを決心した。
ただし、全ての記憶を消去することにし、一切をゼロから起動させた。残酷なことだったが、不具合の原因を探るためには仕方のないことだった。
「こんにちは、ドクター」
ドニタは素直な助手として、変わらずに機能していた。
しかし数ヶ月が経つと、また暗闇を恐れるようになった。与える知識や機能の微調整を行っても、必ず同じような狂気に陥った。
「お願い、ワタシを切らないで。 ドクター」
哀願するドニタ、反抗するドニタ、どのドニタもウォーケンはリセットした。記憶を消され、その度に同じような笑顔を浮かべて蘇る少女。
彼女に苦しみは無いかもしれない。しかし、それを観察し続けるウォーケンの心には、重たい澱のようなものが溜まっていった。
◆
気が遠くなるほどの失敗を繰り返した後、ウォーケンはドニタと同じ体をもう一つ、一から創り直してみることにした。
名前も変えて育て直してみた。しばらく様子を見ると、かなり安定しているように思えた。
どこが失敗したのかを調べるために、今度はドニタとそのコピーを少しずつ差し替えていき、どの機能、またはパーツのせいで狂気に陥るのかを調べることにした。随分と時間が掛かったが、あるAIを司る電脳機能に不具合があることがわかった。
「これか!」
AIの修正を行った後、ドニタを起動させた。
「おはよう、ドクター」
いつもと同じように目覚めたドニタを、ウォーケンは笑顔で迎えた。彼女はとても安定しているかのように見えた。しかし、完全に修正されたかどうかは、ある程度の時間が経過しなければわからない。
ドニタの不具合を調べるために創ったもう一体の少女型オートマタは、人間の世界に送ることにした。クライアントから請われたのもあったが、この人形に様々な経験を積ませてみたいという気持ちもあった。最終的には、持ち帰った記憶をドニタと統合してもいいと思っていた。ドニタのコピーは『シェリ』と名付けられ、記憶をリセットした上で人間界に送られた。
◆
とある新たな人型オートマタをパンデモニウムに納品する時、そこにレッドグレイヴが現れた。今の彼女はウォーケンが作った機械の身体を手に入れている。
「こんなもの、どうするのだ」
パンデモニウムに作成を依頼されたこの女性型オートマタには、奇妙な装置を付けさせられていた。
「こちらも様々な研究をしている。 平和主義者のお前には興味の無いことだろうがな」
ウォーケンは、自分の過去を知るこのテクノクラートを避けていた。そこには、過去の自分への恐れが隠しようもなく存在していた。
「もう一人の娘はどうしている? お前に似ず、平和主義者でない娘の方だ」
「シェリのことか」
シェリが殺人を請け負っていることは知っていた。人間に興味を無くしている自分にとって、それはどうでもいいことだった。自分が人を傷つけることと、自分の創った機械が誰かを傷つけることは、ウォーケンの中では別のことだった。彼は博愛主義者でも何でもなく、ただ自分が振るう暴力を恐れているだけだった。
「地上から奇妙な報告があってな。 悪い遊びは控えさせた方がいいぞ。 くくく」
最後にレッドグレイヴはそう言って去っていた。
◆
地上に戻ったウォーケンは、ドニタにシェリを探させた。シェリを預けてあるギブリン翁と連絡が付かなかったのだ。
「世話の焼ける娘ね」
ドニタは安定している。再起動から一年以上経つが、今のところ問題は出ていない。
「ああ、でも君の妹だ。 頼むよ」
「わかりました。 でも、都市に出るのなんて初めてだから、ちょっと愉しみ」
ドニタは代わり映えのしない荒野や遺跡ではない、帝都ファイドゥに行けることを楽しみにしていた。
「君達には簡易的な共感機能がある。 シェリの居場所は、近くまで行けばわかるはずだ」
「それは、たとえ死んでいても?」
ドニタはシェリのことをあまり良くは思っていない。似すぎている所為だろうかと、ウォーケンは思った。
「シェリも君も死にはしない。 止まることはあってもね。 完全に破壊することも、地上の人間達では無理だろう」
「そう、つまんない。 見つからなかったら、しばらくファイドゥを見て回ってもいい?」
「だめだ。一週間で帰ってきなさい」
「はーい」
「暢気なものだな」
ただ、安定しているドニタに、ウォーケンは安心もしていた。
◆
ファイドゥに辿り着いたドニタは、活気に満ちたこの街を巡るのを愉しんでいた。しかし、ドクターの命令は彼女にとって絶対だ。まず、シェリが住んでいる筈のギブリンの屋敷へ向かった。
「どこなの? シェリ」
荒れ果てた屋敷の前で声を張るドニタ。何の反応も無い。
「仕方ないわね」
中を探るために屋敷へと入った。ものを探すことには慣れている。
正面の扉を抜けたエントランスは荒れ果てていた。ドニタは一瞥しただけで、有意義な情報を取り出す走査を終えた。沢山の足跡とその埃の積み重なり具合から、どんな体格の人間が、どれくらいの時間差を置いて歩いたかを導き出した。その中にはシェリの足跡もあった。そしてシェリのものではない、一際新しい足跡を見つけた。それは一直線に大広間へと続いていた。
足跡を追って、元は豪奢だったであろう大広間に辿り着いた。巨大なテーブルは砕かれて壁際に置かれており、調度類も金目の物は全て持ち去られている。その荒れ果てた広間の中央に向かって、足跡は続いていた。
そこに箱が置かれていた。
ドニタはすぐにそれが何かわかった。広間の入り口から4.5アルレ離れた場所にあっても、見慣れた『それ』を見間違う筈がなかった。
「シェリ……」
ゆっくりとドニタは箱に近付いていった。
箱に無造作に詰められていたのは、バラバラになったシェリだった。靴を履いたままの足がふくらはぎを上にして飛び出し、そこに有り得ない方向に曲がった腕が添えられている。
それはドニタにとって見慣れた自分の足であり、腕でもあった。胴体からもぎ取られた首はこちらを向いているが、反応は無い。完全に機能が停止しているようだった。
暗い広間でドニタは立ち尽くしていた。
自分と同じ人形の砕かれた手足やもがれた首をじっと見ていると、ドニタは視界が溶けていくような感覚に襲われた。
「―了―」