3395 【空】
人影の無くなった、埃の舞う通りでロッソとアベルは向かい合っていた。
ロッソは自ら薬を呷った後、瞑目している。アベルは自ら仕掛けるべきか逡巡した。しかし、相手の出方を窺う形の戦い方を、アベルはよしとしなかった。
「貴様の策ごと叩き切る!」
一瞬で相手の懐へ間合いを詰め、大剣を横薙ぎに見舞った。絶対に避けられない勢いと力だ。アベルは勝利を確信した。
剣が脇腹にめり込むその刹那、刮目したロッソが刃を真下へとはたき落とした。アベルの眼力をもってしても、何が起きたのかを理解するのに間ができた程の、超速の技だった。剣は真下への力を受け、地面に斜めに刺さった。
「遅い」
ロッソは不気味に光る眼をアベルに向けた。そしてアベルが剣を引き戻そうとする動きよりも速く、その恐るべき手刀をアベルに振り下ろした。たまらずアベルは柄から手を放し、袈裟切りの攻撃を後ろに下がって避けた。
「だから、遅いと言っている」
アベルはまたもロッソの動きを捉え損ねていた。胸元から鮮血が吹き出した。
「お前とは立ってる場所が違うんだよ」
徒手でロッソと向き合ったアベルの息は上がっていた。ロッソの速度は体験したことのないものだ。剣士としての研鑽も、騎士として生き残ってきた時間をもってしても、見ることすらできない技だった。
「切り刻んでやるぜ。 どっから刻んで欲しいか言ってみな」
アベルはロッソの加虐的な嘲りの言葉を無視して、剣を取り戻そうと間合いをはかった。ロッソの斜め後ろに、落とした剣があった。
「どうした、剣がなきゃ何もできないのか?」
アベルは無言のまま、ロッソに向かって走り出した。奴の一撃を避ける。それしか勝機は無いと感じていた。
ロッソは向かってくるアベルを目で追った。そして鋭い手刀の一撃を繰り出した。アベルは体を捻りながら、地面に刺さった剣に向かって跳躍した。しかし飛び退く一瞬前に、ロッソの手刀がアベルの太腿を切り裂いた。力を失い、砂の浮いたスラムの地面にアベルは落ちた。
「避けようとしても無駄だ。オレが望んだ瞬間、同時に空間が裂けるのだからな」
アベルは地面に落ちた後、片足を付く形だったが、すぐにロッソへ正対した。
「しぶといな、とっとと諦めろ。お前のような雑魚に構ってる時間が惜しい」
ロッソは余裕を崩すことなくアベルに言う。
「まだだ。次でお前の技を見切ってみせる」
アベルは血が流れる足を押さえて立ち上がった。
「笑わせるな」
ロッソはそう言って、アベルにとどめの一撃を加えようと前に出た。一歩、二歩と、アベルに近付く。その時、アベルはロッソの後ろに何かの光を見た。そしてすぐにそれが何なのかに気付き、地面に伏せた。爆音と衝撃が同時に響く。真後ろで爆発した手榴弾によって、ロッソはアベルを飛び越えるような形で大きく吹き飛ばされた。アベルはすぐに剣を取るべく、片足を引き摺りながら走った。
アベルが地面に刺さった剣を抜くと同時に、家屋の庇から飛び降りた男が隣に立った。アーチボルトだ。
「どうした。手子摺ってるな」
先の手榴弾はアーチボルト得意の攻撃だ。空中で爆発させることで大きなダメージを与える、絶妙な技だ。アベルは過去に何度もその技を見たことがあった。
「なぜあんたが?」
「話はあとだ。 もう一人来る。 避けな」
アーチボルトはそう言うと、大きく飛んだ。アベルも飛ぼうとするが力が足りず、遅れを取った。大きな衝撃波と共に黒い塊が降ってきた。アベルは避けきれずに、吹き飛ばされるように転がる。だが握っていた剣は離さず、すぐさま構えを立て直した。
「逃げ足だけは相変わらず一流だな。 アーチボルト」
その隻腕の巨体は、巨大な戦斧を手に叫んだ。
「ミリアン!」
失われたレジメントの生き残りが二人。しかし再会を喜べるようなタイミングではないようだ。
「アベルか。 お前も邪魔立てするようなら、始末せねばならん。 黙って消えろ」
「あんたも、ロッソと一緒にこんな真似をしたのか?」
アベルは剣を前にした構えを崩さない。
「質問に答えるつもりはない。 昔のよしみだ。 下がれ」
ミリアンはアベルに向き直り、戦斧を肩に乗せた。
「とんだ再会だが、俺にも事情がある。 下がる訳にはいかない」
アベルは剣先に力を込めた。
「言って聞く男ではなかったな」
ミリアンが戦斧を構える。すると、黒い球がミリアンの前に生じた。戦斧を振るうと、その球がアベルを襲った。アベルはその球を剣で払う。しかし球が剣に触れた瞬間に強い衝撃が走った。普段ならば避けることも可能だったが、手負いのアベルにその選択肢は無かった。
「くっ!」
動きの固まったアベルに、ミリアンはその巨大な戦斧を振り下ろした。だがアベルはその戦斧を大剣で受けきった。
「ほう、力をつけたな」
ミリアンは鍔迫り合いになりながら言った。戦斧に凄まじい力を込めている。
「あんたが老いぼれただけだ」
アベルは押し込まれながらも、その力に抗っていた。
「まだそんな口がきけるとはな」
そう言った後、ミリアンは背後に飛び退いた。そしてほぼ同時に銃声と砂埃が上がる。アベルはバランスを崩しそうになるが、辛うじて立て直す。
銃声のした方向を視界の端に捕らえたが、すでにアーチボルトはいなかった。そして目の前からミリアンも消えている。視線を移すと、ミリアンはロッソに手を貸して立ち上がらせていた。奴らは体制を立て直そうとしている。
アベルもこの隙に一旦引き下がることにした。息を整え、止血する必要があった。
◆
足を引き摺りながらも、廃屋の陰に隠れた。そして止血帯で足の傷を塞いだ。少しの間なら気にせず足を動かせる。その作業をしていると、アーチボルトが傍に来た。
「あいつらは何でこんな真似をするんだ?」
息を整え終えたアベルは言った。
「ある特別な力を持った少年を捕らえたいんだ。 ここにいるジェッドという名のな」
アーチボルトは相手の出方を窺っている。
「ジェッドを?」
「知っているのか?」
「ああ」
「俺もその子には因縁があってな」
アーチボルトは自身の銃の弾倉を交換し始めた。
「レオンが俺を呼んだのも、その話か……。あいつがここにいれば……」
「レオンは来ない。 死んだ。 奴らの手に掛かってな」
アーチボルトは弾倉を交換し終えた後、薬室に初弾を送り込んだ。
「そうか……」
アベルは何とはなしに予感していた。ああ見えて義理堅い男だ。約束を守れないという事は、レオンに何かあったのだと思うのが自然だった。
「奴の形見だ。 お前が持つのがいいだろう」
アーチボルトはナイフをアベルに手渡した。アベルは鞘からナイフを少しだけ出して眺めた。悲しみは湧かなかった。元々レジメントを離れた時に、いや、レジメントの騎士となった時に、必ずこんな別れが来ることはわかっていた。ただ、そのナイフの握把の汚れや鈍くくすんだ刃の光が、とても懐かしく感じられた。アベルはナイフを鞘に戻すと、自分の腰に仕舞った。
「あんたの策を聞かせてくれ」
「お前はミリアンを押さえろ。 俺は距離を保ってロッソの相手をする。 それが互いの手に合ってそうだからな」
「わかった」
「おっと、あと一人、面倒な女がいたな。 あいつのボールに気をつけろ。いずれ出てくる」
「ああ」
ロッソが声を荒げているのが聞こえる。
「こそこそ隠れやがって! 皆殺しにしてやる!」
「またガスを使うつもりだ。 面倒になる。 さっきの策は無しだ。 いくぞ」
アーチボルトは策を立て直すためにアベルに声を掛けようとしたが、その前にアベルは飛び出していった。アーチボルトはアベルを止めることはしなかった。アベルなりの覚悟がある、と感じ取っていた。
◆
通りにはロッソしかいない。奴らにも策があるようだ。だが今はロッソのガスを封じなければならない。
「出てきたか、ネズミが」
「殺りたいのは俺達だけだろう。 つまらん真似をするな」
「オレに指図すんのは千年はやいぜ。 『地獄の鐘』の音を聞かせてやるよ」
トランクに手を掛けている。これは脅しじゃない。アベルは一気に距離を詰めた。
「掛かったな」
ロッソの笑みと共に、あの見えない手刀がアベルを襲う。が、アベルが衝撃を感じることは無かった。
ロッソの右腕は、既にアベルの剣によって切り落とされていた。
「言ったろう、次は見切ると」
ロッソの、自分の攻撃が避けられる筈はない、という傲りは、生粋の剣士であるアベルの『目』によって打ち破られた。
「馬鹿な!?」
いくら尋常ならざる速度があるとはいえ、攻撃には必ず意志が先んじて伴う。技自体を見ることはできなくとも、その意志を見切る。これこそが、アベルの学んだ剣術の真の奥義であった。
「終わりだ」
次の一撃でロッソの左腕をも切り落とした。そして、握られていたトランクが地面に落ちて倒れた。
「俺にはお前のような趣味は無い。 だがな、借りは返させてもらう」
アベルはミリアンや女の動きを気にしていた。攻撃が来るとすればこの瞬間だ。奴らはロッソを見殺しにするか、隙を突いて自分を襲うだろう。迎え撃つ気力はまだ十分にあった。
しかし、両腕を切り落とされてもなお、ロッソの狂気に満ちた眼光はそのままだった。そして言った。
「ふっ、ふふっ、終わりだと? いいや、ここから始まるのさ」
ロッソの笑いと共に、アベルの足下に暗い穴が開いた。アベルはそこに引き込まれる。
「くっ!」
藻掻いても動くことができない。ロッソは笑っていた。跪き、切り落とされた腕の断面を顔に擦り付けている。
「死など、我らはとうに乗り越えたのだ」
その一言と同時に、その場に一瞬で女が現れた。そしてアベルの眼前に巨大な口が現れた。剣を突き立てるが、その剣先は虚空を藻掻くだけだった。
「そう、これは始まり」
女はそう言った。
アベルの体が化け物の口に飲み込まれようとしていた。咄嗟に、腰に着けたレオンのナイフを取り出した。
「無駄よ。 あなたはもう死ぬの」
女は冷たい目でアベルを見た。化け物に飲み込まれたアベルの両足は、既に感覚を失っている。
「だから何だ? お前らの戯言は聞き飽きたぜ」
アベルはレオンのナイフを投げつけた。
ナイフは女の脇を通り過ぎ、宙に浮かぶドローンを真っ二つにした。次の瞬間、怪物も女も消え去った。
しかし、アベルの下半身も共に無くなっていた。
ロッソは笑いをやめ、仰向けに倒れている。その目は虚空を見つめたまま動かない。
「死んだってできることはある。そういうことだろ、レオン」
これでアーチボルトがミリアンを始末すればジェッドは助かる、とアベルは思った。あの不死身のアーチボルトならば問題無くやり遂げる筈だ。
◆
引き千切られた血管は、刃物で切ったよりも失血の速度は遅い。しかしそれでも、アベルの命は燃え尽きようとしていた。最期までの時間、自分が殺めた家族の事やレジメント時代を思い出していた。それらは全て、自分が何かを得るための戦い、ではなかった。戦いのための戦いだった。
アベルは血が染み込んだ地面の上で、空だけを見つめ続けていた。
その空は子供の頃、故郷で見た空と同じように思えた。
「やっと終わりか。意外と長かった……な……」
そう呟いて、アベルは目を閉じた。
「―了―」