3398 【復活】
「レッドグレイヴ様……」
部屋に入ってきた少女は、ベリンダの真の主人、レッドグレイヴだった。
「戦いにお前が必要になったので、再起動した」
レッドグレイヴはそう言いながら、ベリンダの傍に立った。
「シドール将軍は? 私は戦場で……」
そう、私は死を運ぶ不吉な悪夢。生者を憎み、呪っている。
「お前は機能停止していたのだ。あれから、一億二千六百二十二万五千五百五十二秒が経過している。 それと、シドールも死んだ」
「ああ、人は死ぬんだった。 かならず」
俯き、虚ろな調子でベリンダは呟いた。
「新しい戦場がある。 そこに行ってもらう」
レッドグレイヴはベリンダの様子を気にも掛けずに言った。両手は羽織ったコートに入れたままだ。
「たくさん殺せます?」
顔を上げ、きらきらとした少女のような笑顔でレッドグレイヴに聞いた。
「それが仕事だ」
「よかった。すぐに用意しないと」
「帝國の状況は変化した。 その辺りはお前の目で直に確認するがいい」
レッドグレイヴはそう言って部屋から去った。そして、取り残されたベリンダの元に医療エンジニアがやって来た。
◆
「最も強く美しい将軍のご帰還だ」
マルセウスがローブのまま、ベリンダと彼女を連れてきたエンジニアを皇帝廟に迎え入れた。周りにはマスクを着けたカストードが四人立っている。
「陛下のお導きで帰ってくることができました。 何なりとお申し付けください」
膝を突き、ベリンダは頭を垂れた。
「面を上げよ、ベリンダ。 そなたを待っていたのだ。 我々が眠っている間、帝國を守ってくれたのだろう」
皇帝は手を差し伸べ、ベリンダを立たせた。
「向こうで晩餐の用意がある。 カストードに案内させよう。 話を聞かせてもらいたい」
初めて見る皇帝の姿は、まるで少年とも少女ともつかない痩身の人物だった。ガラスのような白い肌が、黒い長髪と赤い瞳を際立たせていた。
「わかりました」
カストードに案内され、ベリンダは皇宮の奥へと進んでいった。
残されたエンジニアが皇帝へ話し掛ける。
「マルセウスよ、レッドグレイヴ様は監視者だ。 忘れるな」
フードを目深に被っているが、このエンジニアの眼光は鋭い。
「忘れるものか。 だが、我々には我々のやり方がある。 地上でただ一つの帝國の流儀だ」
「地上の流儀などどうでもいい。 目的さえ達せられるのならな」
エンジニアはその機械でできた拳を強く握った。キシキシと音が鳴っている。
「貴様らエンジニアは無粋なのだ。 世界は快楽のためにある。 我々は世界に奉仕などはせぬ、世界に奉仕させるのだ」
両手を広げて笑顔のまま、マルセウスは語った。
「そうだ。 サルガド、貴公も一緒に晩餐を楽しむかね?」
マルセウスの誘いを無視して、サルガドは踵を返して言った
「接岸の時は近い。 協定は守ってもらうぞ」
「異存は無い。 レッドグレイヴにもそう言っておくがいい」
去って行くサルガドの背中に、マルセウスは言葉を投げつけた。
◆
「傑作だ、まったく。是非この目で見ておくべきだった」
陰惨なトレイド攻略戦の状況を聞きながらマルセウスは言った。手に持ったワインを呷った。
「血と臓腑の臭い、とても懐かしいですわ。 またそこに戻れるなんて、とても楽しみです」
晩餐の後、ベリンダはマルセウスの居室に二人きりでいた。赤と黒の色調で染め抜かれ、奢侈を極めた巨大な居室は、不死皇帝としての威光を示している。
「兵力は用意させる。 そなたの働き、是非とも見せてくれ」
「はい」
ベリンダの目の前にマルセウスが立った。不思議な香りがベリンダの鼻腔に届いた。
「死は好きか?」
ベリンダを立たせて、マルセウスは彼女を腕で包んだ。
「はい」
ベリンダは頭を彼の肩にあてるようにして目を瞑った。
「怖くはないか?」
マルセウスはベリンダの髪を撫でた。
「ええ、なにも。 楽しみなだけです」
マルセウスの声色と匂い、そして暖かさに、何故かベリンダは懐かしい気持ちになった。
「夢を見たろう?」
「はい。 でも、なぜそれを……」
囁くようなマルセウスの不可思議な問いに、ベリンダは戸惑い、顔を上げた。
「己をもっと知りたくはないか?」
マルセウスはベリンダの瞳を見つめている。
「夢は事実だ。それはそなたの過去の記憶、本当のそなたの一部分だ」
「本当の自分?」
「所詮、エンジニア共はそなたを道具としてしか見ていない。 我々は違う」
「私は戦いと死さえあれば……」
戸惑うような表情を見せたベリンダを、マルセウスはもう一度強く抱いた。
「我々ならば、そなたの記憶を全て蘇らせることができる。 本当の自分に戻るのだ」
ベリンダは目を閉じ、マルセウスに身体を預けた。
◆
ベリンダの前に新しいガレオンに搭乗する兵員が並んでいる。出撃前の閲兵であった。
ベリンダの前に居並ぶ兵は奇妙だった。訓練された均一な兵士ではない。老兵や、極端に若い者、明らかに負傷の癒えていない者さえ見受けられた。確かに、長引く戦乱によって帝國の兵士は慢性的に不足していた。が、例えそうであっても、このような廃兵が戦場に派遣される事などはあり得ない。
言うなれば、この兵達は肉でできた兵器だった。ただ歩ければよかったのだ。戦場に着けば、すぐに歩く死者となる。それでよかったのだ。
生者のうちに船に詰め込まれ、前線で彷徨う死者として開放される。その運命を知っているのか、兵士達の顔は一様に絶望に満ちた表情だった。
居並ぶ兵士達の周りを、銃を持った兵が見張っている。
壇上に上がったベリンダは優しい笑顔を兵士達に向けた。そして、兵に向かって声を掛けた。
「死を恐れる必要はありません。皆、死ぬのです。 例外はありません。喜びも悲しみも、全て暗い闇へと戻るのです。安心なさい、全て元に戻るだけなのです」
ベリンダの言葉が終わった時、兵団の後ろで呻き声とも叫び声ともつかない言葉を発しながら列から飛び出した兵がいた。
素早く周りの警備兵が、その痩せた若い兵を射殺した。
「たくさんの死が必要です。 そして、それは我々が用意するのです」
ベリンダは微笑みを絶やさぬままそう言って、壇上から降りた。
出撃前のガレオンに、彼らは無言のまま積み込まれていった。
その姿を眺め続けているベリンダの表情は、笑顔のままだった。
「―了―」