07ジェッド5

3395 【声】

ジェッドはベッドの上で目を覚ました。部屋は暗く、まだ夜中のようだった。空腹感で目が冴えた。

母親は眠っているようだ。

暗い部屋に目をやると、空の水桶が見えた。

そうだ、水を汲みに行かなければならないんだ。そうしないと殺されてしまう。

もう一度母親の顔を見た。そこには、既に死んで干涸らびた遺骸があった。

やって来る暴漢どもをジェッドは次々とナイフで始末していった。死体が面白いように積み重なった。

しかし、怒りは晴れなかった。

最後の一人を始末しようとした時、そこにいたのは自分だった。

今度は沢山の兵士達が殺し合う戦場にいた。片方は反乱軍、片方は正規軍。ジェッドは意気上がる反乱軍に力を貸していた。父親がいたからだった。こちらの世界では何度も父親と言葉を交わしていた。父親に言われた通りに、己の力で戦況を動かした。

ただ、父親は自分の元には戻らなかった。母親を殺したことを悔やみ、傍にいる資格はないと言った。

「薬があるから、お前とこうして会うことも出来る。 だが、この薬こそが俺を狂わせる……」 

音の無い世界で、ただ父親の声だけがジェッドの耳に届いた。

「向こう側のこと、全部思い出した?」

女が立っていた。

「あなたは航海士として我々が作ったの。 巨大な力へ接続された意識体なの」

「航海士?」

ジェッドは言葉の意味がわからなかった。

「どんなに巨大な船でも、その動きはたった一人の人間が決める。あなたは力の源にとってそういう存在よ。つまり、あなただけが未来を眺め、進路を決めることができるの」

マルグリッドと呼ばれる女は、この薄暮の世界でも形を保っている

「ボクはもう、何もしたくない」

ジェッドは項垂れ、しゃがみ込んだ。

「そうね、あなたはよく頑張ったものね」

マルグリッドは膝をついて、ジェッドの傍に来た。その顔には優しい微笑みがあった。

「あなたがどう未来を変えようと、結局、人の心は変わらない。母親を蘇らせても、狂ってしまえば殺されてしまう。 父親の野心を助けても、結局は自滅した」

「ボクは全部よかれと思ってしたんだ」

ジェッドは俯いたまま言った。

「人の心は不安定よ。あなたが世界を書き換えれば、相手の心も元のままじゃいられなくなる」

「そうさ、だからもう何もしないんだ」

「そう、いいわ。でも、これからどうするの?」

「死ぬさ。あんたに殺されてやるよ。どうせ何度も死んでいたんだ」

「全部を捨てるのね?」

マルグリッドの言葉は、全てを包み込むかのように響く。

「ほっといてくれ。 もう、何もかもどうでもいいんだ」

「私はあなたに何も望まないわ」

マルグリッドはジェッドの頭を抱いた。

「でも、いらないのなら、その力、全部もらうわ。『心』だけ死んで頂戴」

マルグリッドの言葉は残酷な内容とは裏腹に、優しい響きを保ったままだった。

ジェッドは目を瞑って全てを投げだそうと思った。だが最後の一瞬、何かがジェッドの中で蘇った。それは自分の為に死んだアベルや、スラムの仲間達の姿だった。

「気が変わった。力はやらない。 やっぱり、お前だけは許さない」

ジェッドは顔を上げ、マルグリッドを突き放した。

二人は埃っぽいスラムの街角に立っていた。ジェッドの体は強烈な光を放っていたが、段々と暗くなっていった。そこには、既に息絶えた互いの仲間がいた。

「いいわ、ここで決着を付けましょう」

ジェッドの光が落ち着いた瞬間、マルグリッドは笑みを浮かべてそう言った。

ジェッドはそのマルグリッドに向かって駆け出し、幻影を無視して球体を捕まえようと手を伸ばした。

球体は予想していたかのようにふわりとジェッドの手をすり抜ける。

球体の目の前に化け物の口が出現し、ジェッドの腕を喰らわんと、口を閉じようとした。

ジェッドは『化け物の体を突き抜けて球体を手に掴む自分の姿』を想像する。

その刹那、化け物の口が霧散し、ジェッドの手の中にマルグリッドの本体である球体が『出現』した。

「まだまだよ」

手中に収めた球体からマルグリッドの声がして、一筋の光が放たれると、ジェッドの胸を正確に貫いた。

その直後、ジェッドはマルグリッドの映像の背後に立った。

今までとは違い、頭の中で選択した瞬間に、未来が過程を飛ばして結果として現われていた。

ジェッドの中で力は、既に直感と現実の境を無くしていた。

「この力、必ず私のものにする」

マルグリッドはいま一度、ジェッドとの距離を取った。

「私がここにいる理由、それを教えてあげるわ!」

マルグリッドの操る化け物が、今度はジェッドの足を飲み込むような形で出現した。

ジェッドは『マルグリッドの攻撃を読み切った未来』を選択した。化け物の攻撃は空振り、ジェッドはマルグリッドから離れた所に着地していた。

「次はどう」

化け物がジェッドのすぐ横の空中から現れた。

「無駄だ!」

ジェッドはまるで初めからそこにいなかったかのように掻き消え、マルグリッドの球体の傍に現れる。そして、取り出したナイフで球体を叩き付けるように切った。

火花を散らして球体は地面に落ちた。

マルグリッドの画像が大きく乱れる。

「さす…ね、でも、終わ…じゃない」

マルグリッドはジェッドに向き直ると、再び化け物を呼び出した。今度は二体三体と次々に呼び出し、ジェッドを囲んだ。

「こ…で……終…りよ」

マルグリッドの声は途切れ途切れとなっている。

「無駄さ」

ジェッドは壊れかけてひびの入った球体を踏み潰した。

ガシャリと粉々になる球体、すると、マルグリッドの映像は消えた、そして同時に、周りにいた化け物も同じように、一瞬画像を乱してから消えていった。

「なに!」

次の刹那、ジェッドの足下に潜んでいた魔物が彼を飲み込んだ。

そしてジェッドは、化物の腹の中へと深く落ちて行った。

ジェッドは化物の腹の中にいた。溶けていく身体は、まるで熱に晒されているかのような激痛を生じさせている。

だが、ジェッドは飛ばなかった。

マルグリッドと戦い、何度も殺される自分。その度に現実は吹き飛び、再び戦う。

一体自分は何をしたいのか?

生きていたいのか。あの女を殺したいのか?

それとも、死んだ仲間や友人を蘇らせたいのか?

いや、そもそもこの世界に自分がいない方が良かったのか?

どこまで戻れば、どこにいけばいいのだろうか?

望みとは、何だろうか――。

「痛い。でも、これが現実……」

諦めに似た感情がジェッドを捕らえ始めていた。無力感と徒労感が感情を浸食する。

「もう、何をしても仕方ない。結局ここに辿り着くのなら……」

全てを擲ってこのまま死んでしまえば、全てが終わる。面倒な事など、全てが無くなる。

ジェッドは目を閉じて、死を待つことにした。

闇の中で声が聞こえた。

「戻りたいの」

少女の声だった。

「誰?」

「お願い」

「もう戻るのはごめんだ。 静かになりたい。 もう誰にも会いたくないんだ」

「じゃあ、新しい世界を作って」

「そんなことできない」

「じゃあ私が作るから、貴方が手伝って」

「どうしてもボクが必要?」

「うん」

ジェッドは声の聞こえる方に目を向けた。

そこには光があった。

光の奔流。

白く染め上げられる視界。音などしない筈なのに、けれども確かにジェッドは声を聞いた。

「目覚めよ……目覚めよ……」

気が付いたとき、ジェッドは灰色の地面に足を付けていた。

そこには何もなかった。そこには何かがいた。

そこには、ジェッドしかいなかった。

ジェッドは周囲を見回して、ここがどこなのかを確かめようとする。

モノクロームの世界だった。見覚えのある風景だが、一度として訪れたことのない世界だった。

ぐるりと見回していると、大きな石造りの館が目に入った。ジェッドが館を視界に入れると同時に、正面にある重い扉が開く。まるでジェッドを招いているかのようだった。

「呼ばれたんだ……ボクは……」

「―了―」