3398 【炎】
「先日起きた、ベケット侯爵邸襲撃事件の被害状況はどうなっている?」
ルビオナ軍総司令部の大会議室に、将校の重苦しい言葉が響く。
「屋敷の爆発物調査は終了しており、現在は瓦礫の撤去作業を行っております。また標的となったベケット侯爵とカーライル伯爵は全治一ヶ月の重傷。侯爵邸に勤めていた使用人三名が、侯爵達を爆発から庇って死亡しています」
王都の警備担当である軍人が報告書を読み上げる。エイダはそれを聞きながら、必要なことをメモしていた。
現在ルビオナ王都では、テロリストによる爆破テロが連続発生していた。元々民族間の紛争が多かった連合国では、少数民族が政治的立場の優位性を求めてテロを行うことがままあった。
王都でこのようなテロが頻発するようになれば、必然的に王宮も危険に晒される。王宮の警護が本来の職務であるオーロール隊にとって、それは他人事ではなかった。
「テロリストの声明は?」
「少数民族による犯行であれば、直後に声明が発表されるのですが……」
「リュカ大公が甘やかすから、こんなことになる」
吐き捨てるように幹部の一人が言った。
「今までとは違う、という可能性も考えられるか。ラクラン大尉、オーロール隊の各基地への派遣状況を報告してくれ」
「現在、ロンズデール基地にベータ中隊、ノーザン基地にアルファ中隊、ガンマ中隊を派遣しています」
「では、王都に残っているのは?」
「私とブラフォード中尉が率いている、オメガ中隊の六名です」
「わかった。このままテロ事件が続くようであれば、オーロール隊全隊の呼び戻しも視野に入れねばならん。ラクラン大尉、準備だけはしておいてくれ」
「承知しました」
トレイド永久要塞の陥落から四年。グランデレニア帝國との戦争は激化の一途を辿っていた。
開戦してから数年は、強大な帝國を相手に善戦していた。がしかし、トレイド永久要塞が陥落してからは、徐々に東へと戦線が押されている。
オーロール隊も激戦区を転々とし、なんとか敗退しないように善戦していたが、それでもなお旗色は悪いといえた。
それに加えて、正体のわからないテロリストによって王都が狙われている。ルビオナはかつてない危機を迎えていた。
◆
軍本部で行われたテロ対策会議から一週間が経った。エイダはフロレンスと共に、各地に派遣されている中隊の帰還をどうするか検討を行っていた。
「執政官達はアルファ中隊かガンマ中隊を一時的に戻したがっているようです」
「だが、激戦区にあるノーザン基地の兵力を落とすことは避けたい」
「補填の兵士がいればいいのですが、現状はそれもままなりません。王宮警備隊を補充できれば最善なのですが」
「お話中失礼します。 緊急報告です!」
緊迫した面持ちでオメガ中隊のイームズ少尉がやって来た。よほど慌てているのか、扉を閉める音がやや乱暴だった。
「どうした? 何があった」
「マーク・ブラフォード侯爵がベケット侯爵を見舞ったお帰りに、住宅街でテロの被害に遭遇されました」
「お父様が!? お父様は無事なの?」
フロレンスの顔色が変わった。突然の知らせにエイダも動揺する。
「テロの規模自体は小さく、幸い大事には至っておりません。すぐに病院に搬送され、手当てを受けているとの報告が来ました」
「そうか、報告ありがとう。今月に入ってこれで四件目か……」
命に関わる大事にはなっていないことを聞き、エイダは安心する。
だがフロレンスはそうはいかなかった。父親がテロの標的にされたのだ。その心配はエイダにも手に取るようにわかる。
「ブラフォード中尉、今日はいい。 お父上のもとへ」
「了解です。 ……ご配慮ありがとうございます」
フロレンスは敬礼すると、小走りでオーロール隊の部屋を後にした。エイダはその背中を見送ることしかできなかった。
◆
各地へ派遣されているオーロール隊の中隊に帰還命令が下ったのは、それから数日と経たない日のことだった。
エイダ達は着任式の時以来である礼服に身を包み、アレキサンドリアナ女王の謁見を受けていた。度重なる事件を受け、いずれは王宮、延いては女王自身が狙われると危惧し、王宮警備隊と共に王宮や女王の身辺警護を行うこととなったのだった。
「この度のこと、私も心を痛めております。ですが、私たちはこのような暴力に決して屈してはなりません」
ほぼ四年ぶりに謁見する女王は、とても美しく、そして強く成長していた。だが心なしか窶れているように、エイダには見えた。
◆
王宮の警護に入ってから、エイダは休むことなく任務をこなしていた。
王宮警護の合間にテロ対策のマニュアルを整え、様々な事態を想定したシミュレーションを幾度も行った。何かあってからでは遅い。女王を守るためには、兎にも角にも万全の体制を整えておく必要があった。
エイダはこめかみに手を当て、俯くように休憩していた。
「どうした? 具合でも悪いのか」
フロレンスが休憩所に入ってきた。手には二人分の飲み物が携えられていた。
エイダは飲み物を受け取ると、喉に流し込んだ。乾いていた喉が潤い、少しだけ緊張が解れたような気持ちになる。
「いや、大丈夫だ。少し休めば問題ない。それよりフロレンスこそ大丈夫なのか? 顔色が悪いが」
「父がまた狙われるかもしれない……そう思うとな」
「そうか……」
フロレンスと会話を交わしていた途中、エイダはどこか覚束ない感覚に襲われた。今までも疲労が色濃く出たことはあったが、このように唐突にぐらつくようなことはなかった。
「……エイダ? どうした?」
様子がおかしいことに気づいたフロレンスがエイダを呼ぶ。だが、その声はどこか遠くから聞こえてくるようだった。
エイダの視界が傾く。そのまま、エイダの意識は途切れてしまった。
◆
気が付くとエイダは、王宮にある簡易病棟のベッドに横たわっていた。
明かりの眩しさに目を細めていると、心配そうに覗き込むアレキサンドリアナの顔があった。
「女王……陛下……?」
「エイダ! 先生、エイダが目を覚ましたわ!」
「お気分はいかがですか、ラクラン大尉」
アレキサンドリアナの声に呼ばれて医師がやって来た。エイダは軽く問診を受けた後、医者からの説明を聞いていた。
「過労と睡眠不足ですね。ここでは詳しい検査はできませんので、中央病院での精密検査をお勧めします」
「そうでしたか……ご迷惑をお掛けしました」
「今日はここで安静にしているとよいでしょう。 それでは失礼します」
それだけ言うと、医者は立ち去っていった。後にはエイダとアレキサンドリアナが残された。女王の護衛騎士は外で待機していると聞いている。
「良かった……倒れたと聞いて、居ても立ってもいられなかったの」
「ご心配をお掛けしました、女王陛下」
「オーロール隊のイームズ少尉から聞きました。護衛に隙がないようにと、無理に働いていたと……」
「イームズ少尉から? ブラフォード中尉ではなく?」
「ええ。 ブラフォード中尉はイームズ少尉に貴方のことを任せて持ち場に戻ったと、報告を受けています」
「そう、ですか……」
倒れる直前に一緒にいたのはフロレンスだ。であれば、フロレンスがここまで自分を運び、その後、任務に戻ったのだろうか。
隊長、副隊長という立場になっても、エイダとフロレンスはパートナーである。任務に戻るのは優先されるべきことだが、パートナーを別の者に任せることは今まで一度も無かった。エイダの胸中に途方もない違和感が湧き上がった。
「エイダ、なぜ倒れるまでこのような無茶をしたのですか」
「陛下をお守りするためには当然のことです」
「だからといって、貴方が倒れてしまってはいけません!」
女王に仕える身としては至極当たり前のことを言った筈だった。だが、アレキサンドリアナは声を荒げる。
「陛下……」
「オーロール隊は王宮、延いては私を守ることが本来の役目でしょう。その隊長が、エイダが倒れてしまったら、私のことは誰が守ってくれるというのですか」
「申し訳ありません。二度とこのようなことが起きぬように、精進いたします」
アレキサンドリアナの目に涙が浮かぶ。相当心配させてしまったと、エイダは痛感した。
◆
その日の深夜、王宮を凄まじい爆裂音が揺るがした。
「爆発音……まさか!?」
その音でエイダは飛び起きる。最悪の事態だった。エイダは寝間着のままで王宮の最奥にある女王の居室へと走った。
今夜、女王の居室の夜間警護を行う予定だったのはエイダとフロレンスだ。だが倒れたエイダに代わり、フロレンスと部下二名の、計三人が護衛に付いていると報告を受けていた。
オーロール隊が三人も護衛に付いていながら何故……。と思うばかりであった。
幾度も打ち合わせとシミュレーションを繰り返し、万全を期した筈だった。少なくとも、エイダはそうしてきた。
王宮内を走り抜ける途中、慌ただしく救助活動を行う王宮の兵士やオーロール隊の部下達が目に入る。最悪の事態を想定してシミュレーションを繰り返した成果か、誰一人として無駄な動きはしていない。その事は不幸中の幸いと思えた。
途中、王宮警護兵と合流して女王の寝室の前まで駆け付けると、フロレンスと部下の二人が、寝室の扉に下敷きにされるようにして倒れていた。
爆発の規模は定かではないが、寝室内部で起きたもので間違いはないようだった。寝室の内部からは火の手が上がっている。
「しっかりしろ!」
「エイ……ダ……すま……」
フロレンスの元へ駆け寄る。フロレンスは重傷を負っていたが意識はある。部下の二人は何とか息はあったが、瀕死の状態であった。
「ラクラン大尉! ここは危険です!」
「フロレンス達を安全な場所へ運べ! 私は陛下を救出する!」
「無茶です! その格好でこの中に入ったら、大尉も無事では済みません!」
「だが時間が無い、フロレンス達を頼んだぞ!」
エイダはそれだけ言うと、女王の寝室へと飛び込んで行った。アレキサンドリアナが王女であった頃は幾度も入室した場所であった。だが、爆発のせいで豪奢な調度品や家具は見る影もなく破壊されていた。
「くっ……陛下、どうかご無事で……!」
燃え盛る部屋の中、エイダは祈るように呟きながらアレキサンドリアナの寝台へ向かう。
「陛下…… いない!?」
エイダが見たものは、辛うじて原型を留めているものの、爆発により無残に破壊された寝台だった。だが、おかしなことにアレキサンドリアナが見つからない。同様に、傍についている筈の護衛騎士がどこにもいない。
それどころか、寝台や寝台近くの壁や調度品には、そこに人がいたならば絶対にある筈の血痕や肉片、肉の焼けるあの独特の嫌な臭いまでもが存在しなかった。
ただただ、硝煙と炎の臭いが漂うのみ。
「陛下! どこにおられるのです!? 陛下! ……アレク!!」
エイダは必死でアレキサンドリアナを呼び続けるが、煙が器官に入り、咽込んでしまう。それでもエイダは自分のことなど構わずにアレキサンドリアナの寝室を捜索し、彼女の名を呼び続けるのだった。
「―了―」