3392 【終着】
ちかちかと点滅する光でシェリは眼を覚ました。目の前にはウォーケンがいる。
「ドクター。 よかった。 ロブが……」
嬉しさのあまり手を伸ばそうとする。しかし、思った通りに手が動かない。
「すまない、シェリ。身体を治すにはしばらく時間が掛かるんだ。 今は疑似信号で起動している」
ウォーケンはシェリの顔に触れる。
「何があったのかを教えてもらいたい。 もう一度眠ってもらうよ」
ウォーケンはシェリがこのような姿になった理由を知りたがっていた。自身の傑作をここまで破壊した存在について興味があった。シェリは自立したオートマタとして最高の存在であり、例えどんな状況であってもここまで破壊されることなど有り得ないと、彼は思っていた。同じタイプのドニタには危険な荒野を何度も探索させたが、一度も大きな損傷を受けて帰ってきたことなどなかった。
「人がやったとは思えない。 どんな力を持った存在が君を傷付けたのかを知る必要がある」
その言葉が、意識を失う前にシェリが聞いた最後の声だった。
◆
シェリはベッドに寝かされていた。四肢は肘先、膝下が切り落とされており、身体の中央には大きな穴が開いている。
「美しい姿だ。 このまま飾っておきたいくらいだ」
皇帝を名乗る痩身の男が言った。赤いガウンの胸元は、まるで陶器のような白さだった。そしてその顔は、確かに一度死んだ筈の男のものだった。
男はシェリが寝かされたベッドの横に座った。シェリの身体に指を這わせる。彼女は何も身に着けていない。
「奇妙だが美しい。 博士の傑作というわけだ」
肩から傷口までを撫でられるが、損傷コントロール機能が働いているため、体液の流出は無い。
男はシェリの胸元に耳を当てた。
損傷レベルが高いために、シェリの機能はその殆どを停止していた。ただ、最低限の知覚機能だけは動いていた。
男の不思議な香りをシェリの臭覚が捉えた。意識レベルも最低でしか動いていなかったが、僅かな情動はあった。
「本物の少女のようだ。ゆっくりとだが、心臓の音さえ聞こえる」
男は顔を上げ、シェリの眼前にまで近寄った。
「噂よりもずっと素晴らしいな、オートマタという物は」
動けないシェリはじっと人形のように、いや――人形そのもの――として男を見つめた。
男は、そのまま小さなシェリを抱き竦めた。
◆
ウォーケンは記憶の再生を続けた。男の行いはすべてモニターされている。
それを見ながら、ウォーケンはシェリの情動の変化を注視していた。
学習機能は記憶と平行して作用する。オートマタの人工知能は過去を思い出し、それを再解釈し、学習を行う。再起動したシェリはそれを行っていた。情動が怒りと悲しみのグラフを激しく揺さぶっている。
ウォーケンはこの過去の記憶を彼女から取り除くべきかどうか逡巡していた。
――屈辱に塗れた行為を再体験させることにより、激しい衝動がシェリを変えるだろう。しかし、それは彼女の為になるのだろうか。
――何が彼女を彼女たらしめているのか。死と恥辱の記憶さえも彼女の一部分なのではないか。
ウォーケンは機器に接続されたシェリの顔が情動に歪むのに気が付いた。
彼女からこの記憶を消し、私もこの出来事を忘れ、シェリを傷付けたこの男が死ねば、この出来事は無かったことになるのだろう。
だが、創造主たる自分が、「そうすればそうなる」というものなのだろうか。
ウォーケンにはこの男に対する復讐心が湧いてこなかった。記憶の無い彼は深い情動を感じられない。
しかしシェリは違う。だんだんと人に近付き、記憶を蓄え、本物の少女のように生きている。
逡巡を繰り返していたウォーケンの視界にシェリの変化が写り込んだ。彼女は涙を流していた。
音声モニターから男の声が聞こえた。
「さあ、終わりだ。お前がメッセージとなるのだ」
男は長いナイフを取り出した。そしてシェリの胸にそれを突き立てた。荒げた息のまま胸から腹を縦に切り裂き、幾度も突き刺した。シェリの情動グラフは頂点を指したまま真っ赤になっている。
男は最後に頚部に刃を当て、頭部を切り離した。駆動システムから切り離された頭部は、記憶を守るためにバックアップを行った後で自動終了する。既に映像記録は真っ黒になっていたが、その僅かな終了までの間に最後の音声が入っていた。
「これで思い出したか? ウォーケン」
奇妙な物言いだなと感じたが、ただの挑発だろうと受け流した。しかしそういった冷静な判断とは別に、ウォーケンは自らの胸の鼓動が高鳴るのを感じていた。
ウォーケンは席を立った。酷い頭痛がしてきた。頭を押さえてふらふらとコンソールの並んだ席から離れる。
「そうだ……ミア……」
そう呟きながら頭を抱えたウォーケンの眼には、涙が浮かんでいた。
◆
シェリが再び目覚めると、傍には誰もいなかった。
ベッドから降り、近くにあったシーツを身体に巻き付けた。
「ドクター! ロブ!」
「ドニタ!」
「誰かいないの?」
研究室は昔の記憶と変わらない、清潔な白い空間のままだった。
シェリは先に進んだ。
ホールにも誰もいなかった。しかし、テラスの方から人の声がする。
明るい陽の光の下でドクターとドニタ、そしてもう一人の自分が、談笑しながらお茶を飲んでいた。
「なに……これ……」
戸惑うシェリだったが、誰もこちらには気付いていない。
窓に近付いてこちらに注意を向けようとする。
彼等の視界に入っている筈なのに、誰もこちらを見ようとしない。
ドンドンと窓を叩く。
「みんな、どうしたの? 私はここよ」
ドニタが何かを言い、ドクターが大きく笑った。足下にいるロブは椅子に座ったもう一人の自分の足下で水を飲んでいる。
確かに自分は窓を叩いている。しかし、その音は彼らに届いていない。
水を飲み終えたロブが何かに気付いたように、窓の側に寄ってきた。
「ロブ、私がわかる?」
窓越しにシェリは声を掛けた。ロブは窓越しに鼻をシェリに近づける。
「あなたにだけはわかるのね」
その場に座り込んでロブに触れるように、シェリは窓ガラスに手を当てた。
「会いたかったよ、ロブ」
ロブの表情を見てほっとしたシェリに、もう一人の自分の足下が見えた。
「あんた誰よ!」
シェリは立ち上がって窓を叩いた。テラスにいる無表情な自分の顔は、まるで鏡を眺めているかのようだった。
「答えなさい! わかってるんでしょ!」
テラスの自分は、無表情のままこちらを見ている。
「答えて!!」
強くガラスを叩くと、二人を隔てるガラスが砕け散った。
一瞬で風景が変わった。
白く清潔で陽光に溢れていたテラスは埃と塵に塗れ、荒れ果てた姿となった。
足下には壊れたオートマタが転がっていた。ロブのようだった。
「そんな……」
ロブの残骸を抱け上げ、シェリは先程まで皆が座っていたテーブルに歩き出す。
ドクターが座っていた場所には、破れて形を無くした白衣の残骸が掛けられている。
その白衣を確かめるように触り、ふと後ろを振り向くと、研究所の内部まで廃墟になっていた。
急いで戻るシェリ。廃墟となった研究所に入った瞬間、足を取られるようにして転倒した。
そこには外皮を失った人型オートマタが転がっていた。醜くくすんだ合成樹脂と金属の塊が、そこにあった。
それが自分と同じ背格好だということに、すぐ気が付いた。
「ドニタ? それとも……わたし?」
倒れたまま手を伸ばそうとするが、上手く動かない。必死になって動かしたその指先は、目の前の破壊されたオートマタと同じように、外皮の無い、形を失いかけたものだった。
自分の体が腐り、壊れかけていることがはっきりと知覚できた。
今の己の体が、あの館で死んだ『主』のように死んでいっていた。
剥き出しになった眼球を必死に動かして状況を確認しようとする。動くものは何もなかった。そしてまた、自分自身も動いていなかった。
ゆっくりと死が近付いてきていた。何もかもが動かない、灰色の世界。
「死ぬんだ。 私……」
シェリはもう一度ロブに会いたいと、強く思った。
ロブが私に駆け寄ってきて、彼を抱き上げると私の顔を舐める。その感触の愛しさを思い出していた。
それが、補助電源によるシェリの思考演算の最後の断片となった。
「―了―」