3372 【知識】
「何を言っているんだ?」
ウォーケンは起動したオートマタに問い掛けた。
オートマタの眼球は、じっとりとウォーケンを見つめていた。
「ヴィレアを救った尊いお方。 あのお方を何としても助けなければ」
「それは君の名前か?」
「ヴィレアはヴィレア。ミア様のしもべ……。 早くミア様をみつけなけ、れ……ば……」
オートマタはウォーケンの言葉に要領を得ない言葉で返すと、沈黙した。
コンソールにはエラーが表示されており、電子頭脳の起動に失敗したことを示していた。
電子頭脳を再び調査すると、元々このオートマタは道化の役割を与えられていたことがわかった。
しかし、一〇〇年以上も前に製造されたオートマタであり、どうしても電子頭脳の完全修復だけはできなかった。
修理が終わり、従者に修理は不完全であること、不具合が起きたら無償で修理することを言付けて、ビアギッテの下へと送り出した。
◆
異形のオートマタ、ヴィレアをビアギッテに引き渡してから数週間が経ったある日、従者が大きな動物型のオートマタを運んできた。骨格の形から、どうやら熊であるらしかった。
「今度はこのオートマタを直して欲しいとのことだ。報酬はいくらでも支払うと仰せだ」
「わかった。しかし、こんなオートマタをいくつも持っているとは、彼女は一体何者なんだ?」
「私も詳しいことは知らない。あの道化のオートマタも、ビアギッテ様の一族が所有する土地に保管されていた古い物、としか聞かされていないのだよ」
ウォーケンはこの熊型オートマタの記憶装置から自己イメージを抽出し、そのイメージ通りに外装を作り直した。
そうして奇妙な白黒の熊が作り直されると、またビアギッテから賛辞の手紙と多額の報酬が送られてきた。
◆
彼女を介して工房に様々な修理依頼が届くようになり、ウォーケンの仕事は順調に進んでいった。
しかし前後して、不穏な事件が起こっていることにウォーケンは気が付いた。
ローゼンブルグの中階層区画で、一夜にして大量殺戮が行われたという事件だった。
猟奇事件として大々的に報じられており、ローゼンブルグから離れたこの城塞都市にも、号外として最新の情報が送られてきていた。
奇跡的に助かった人物の証言を元に作られたという犯人の予想図に、ウォーケンは見覚えがあった。
どのペーパーニュースにも、あの背が大きく歪曲した奇妙なオートマタ、ヴィレアと同じような風貌をした猟奇殺人鬼が描かれていたのだ。
だが、ウォーケンは誰にも何も言わなかった。あれがヴィレアであるという確証はない。
それに、ヴィレアの修理の依頼は既に完了した事柄であった。
◆
ある日、自室でオートマタに関する文献を読んでいると、工房の方から何かが落ちたような音が聞こえてきた。
夜も遅く、誰かが訪ねてきたということは考えにくい。
ウォーケンは文献を簡単に片付けると、工房へと慎重に足を進めた。
「あぁ、ミア様。このようなところに」
修理するオートマタを保管している部屋から、聞き覚えのある声が響いてくる。
「ミア様、何故ヴィレアの言葉に答えてくれないのですか?」
薄明かりの中、ヴィレアが少女の形をした玩具に傅いて、何事かを呟いている。
この人形は最初オートマタとして持ち込まれていたが、詳しく調べたところ、電力を使用することで簡単な動作をするだけの、子供用の玩具だった。
「何をしている!」
ウォーケンは保管部屋の明かりを灯すと、大声を上げた。
ヴィレアは弾かれたように向きを変える。ぎょろりとした眼球がウォーケンの姿を捉えた
「そうか、……裏切ったな! ミア様を!」
「何を言っている。 それはただの玩具だ」
「嘘を吐くなああああああ!」
ヴィレアは雄叫びを上げるとウォーケンに飛びついてきた。咄嗟に飛び退って距離を取ると、ヴィレアが重い音を立てて工房の床に着地する。
「お前が、お前だけが! ミア様を助けることができる! なのにお前は!」
ヴィレアの眼球は焦点が合っていないようだった。ウォーケンを見ているようで見ていない。
「やめろ!」
ウォーケンは懐から針を出してヴィレアの額へ打ち込もうとする。しかし、ヴィレアはウォーケンの正確さを超える反応速度で跳躍した。
僅かに逸れた針がヴィレアの喉に刺さる。ヴィレアは金属が軋んだような声を上げたが、それでもなおウォーケンに肉薄する。
「くっ……」
ヴィレアの体当たりを躱すと、ウォーケンは予備の工具を手に取って背後に回り込んだ。
バランスを崩したヴィレアの脊椎に向かって、勢いよく工具を突き刺す。
「ギイギギイイイイ!!」
不快な声を立ててヴィレアは沈黙すると、それきり動くことはなかった。
◆
翌日、ウォーケンはビアギッテを工房へ呼び出した。
「珍しいわね。何の用かしら?」
「聞きたい事がある」
ウォーケンは小首を傾げるビアギッテに、完全に機能停止したヴィレアを見せる。
「あら、姿が見えないと思ったら、こんなところにいたのね」
「呑気なものだな。昨日の夜、私はこれに襲われた。君の差し金か?」
「そんな訳ないでしょう。あなたを襲っても、私には何の得も無いわ」
「利益があれば違う、ということか?」
「答える必要は無いわね」
「都市を騒がせている大量殺戮事件も、あなたがやったのか?」
ウォーケンは無視して問い詰めた。
「そうよ。あれはおかしなオートマタね。殺人衝動を抑えられないみたい。たまに街に出して、息抜きをさせてあげてたのよ」
「それがわかっていて、何故すぐに連絡をよこさなかった。再修理すればあんな事件は――」
「だってその方が私にとって得だもの。目障りな奴を消してくれる素敵なお人形を手放すわけないでしょう?」
ビアギッテは心底不思議そうに尋ねた。
「暴走して無差別に人を襲う人形だろう。それを手元に置いておけるというのか」
「私はあんなもの恐ろしくないわ。ビジネスに使えると思ったから使っただけよ」
「なんだって……!?」
美しい笑みで事も無げに言うビアギッテに、ウォーケンは驚きを隠せなかった。
「さて、お話も済んだところで新しい仕事よ。もう一度あのオートマタを直しなさい。壊した責任を取って頂戴」
ビアギッテはまるで壊れた玩具を取り替えるかのごとく命令してきた。
「無理だ。完全にこのオートマタの電子頭脳を破壊したからな。直すことはできない」
「じゃあ、新しい電子頭脳を作ればいいわ」
「それも無理だ。 電子頭脳を一から作り上げるのは不可能なのだ。まだ」
ウォーケンは搾り出すような声で言う。いくら過去のオートマタを検分しても、自分の手でその電子頭脳の構造を完全に理解した訳ではなかった。
現在のウォーケンには、オートマタの製造に必要な知識が欠落していた。
「失望したわ。 じゃあ、これからの依頼もすべて無しにするわよ」
ビアギッテはウォーケンの言葉を言い訳と捉えたようだった。
「できないものはできない。それで構わない」
「そう。 じゃ、さようなら。楽しかったわ」
ビアギッテはそれだけ言うと、工房を後にした。
◆
最大の顧客を失ったウォーケンは、それまでの修理で稼いだ資金でなんとか生活していた。
ビアギッテが手を回したのか、よく仕事を持ってきていたグラントさえも、ウォーケンのところへ訪れてこなくなっていた。
ウォーケンは資金が底を突く前に、再び旅立つことにした。
工房を片付けて自分の痕跡を残さないようにしていると、呼び鈴が鳴った。
そこには、作業用オートマタの修理を依頼してきたソングという男がいた。
そして背後にもう一人、フードを被った男が立っていた。
「ソングさん、申し訳ありません。もうここを引き払おうと思っていまして」
「おや、どうかされたのですか?」
「どうもトラブルが尽きないので。 今日はどのようなご用件で?」
「ふむ……いやなに、貴方にお見せしたいものがありましてね」
ソングはそう言うと、一つの古いメモリーチップを差し出してきた。
「ウォーケンさん、あなたならこのコデックスの内容が理解できるはずだ」
他のオートマタ修理屋から話だけは聞いたことがあったが、実物を見たのは初めてだった。
破棄しようとしていたコンソールを繋ぎなおし、メモリーチップの中身を開示する。
メモリーチップには脳構造を模した、高度なオートマタのための人工知能の仕様書が記録されていた。
この情報は自身に足りなかった知識を大いに補完することになるだろう。
「凄い! これさえあれば……」
仕様書を読み耽るウォーケンを見たソングと連れの男は頷き合う。
「そのコデックスは貴方に差し上げます」
「何故? これはあなた方にとっても大切なのでは?」
「これを解読できる者は世界でただ一人、貴方だけなんですよ、ウォーケンさん。詳しいことはこのサルガドから聞いてください」
ソングの言葉に、サルガドと呼ばれた男がウォーケンの前に進み出る。
「レッドグレイヴ様は、このコデックスを解読できる人物を探している」
「それが私だと?」
「何者であろうと関係ない。我々に必要なのは、ただコデックスを解読するだけの知識を持った技術者なのだ」
「私がそれを持っていたとして、何を望んでいる?」
「その能力を世界のために振るってほしい。その代わり、必要な設備や研究用の資金、材料は我々が提供しよう」
ウォーケンは迷わなかった。どの道ここからは去るつもりでいたのだし、有意義な行動指針があるのならば、それに乗るのもやぶさかではない。
「行きましょう」
ウォーケンの言葉に、ソングは微笑みながら頷くのだった。
「―了―」