—- 【願い】
――『美』とは、誰もが心の中で欲するものだが、その価値は様々だ。
彼女も私の所有する美しいコレクションの一つ。彼女が持っていた自身の『美』を私に捧げてくれている。
あぁ、別に私が何をした訳ではないのだよ。これは彼女が望んだことだ。そう、他ならない彼女自身がね。
◆
窓辺に集う小鳥の鳴き声を目覚ましにして、私は起き上がった。
窓を開けると、風に運ばれてきた春の草木のいいにおいが鼻をくすぐる。
「おはよう、小鳥さん。いま朝ごはんを持ってくるからね」
窓の近くにある木に留まっている小鳥さんに声を掛けると、食事を用意する。
パンくずを窓の桟に撒くと、小鳥さんが食べに寄ってくる。そのかわいらしい様子を見ながら、おいしい朝食をいただくのが私の日課。
◆
朝食が終わったら、朝の仕事の時間。
お店と自宅の掃除が終わって店を開ける頃には、気の早いお客さんが何人か待っていた。
「おはようございます! でき上がってますよ!」
お客さんに朝の挨拶をすると、ドレスやニット、シャツなどを一つ一つ取り出してお客さんに見せる。
「あら、綺麗に直してくれたのね。ありがとうソニアちゃん」
「いえいえ。もし気に入らないところがあったらすぐに直しますので」
私は破れた服の修繕や、古くなった服を仕立て直す仕事をしている。直した服や仕立て直した服を見て喜ぶお客さんの顔を見るのは、とても嬉しい。
直した服の返却と、新しく来た修繕する服を受け取る。それが途切れると同時に、朝の仕事は終わる。
朝の仕事が終わったら、街に出掛けて買い物をする。
必要なものを購入したら、ちょっと変わったお店でお昼ご飯を食べたり、アンティークの雑貨を見たり。午後の仕事を始めるまでは自由な時間。
今日はアンティークのお店で素敵な手鏡を見つけたの。
「やあ、ソニアちゃん。それねー、結構前からあるんだけど、なかなか買い手がつかなくてね。今なら安くしておくよ」
「本当? それじゃあ、これください!」
手鏡を買って自宅兼仕事場に戻る。いい買い物をしたときは足取りが軽い。
午後の仕事は修繕の仕事。お客さんの大切な服を丁寧に直していく。日が落ちるのはあっという間。そうしたら今日の仕事はもうお終い。
あとは夜ご飯を食べて、自分の時間。アンティークの手鏡の置き場所を考えてあげなくっちゃ。でも、どうやっても手鏡がちょうどよく収まる場所がないの。
「うーん、素敵なアクセサリーボックスでもあればいいのに……」
手鏡に映る自分に向かって思わずつぶやいちゃった。とりあえず手鏡は大事に包装しなおして、鏡台の引き出しにしまうことにしたの。
◆
次の日、お店に行くと見知らぬ人が尋ねてきた。
「服を直してもらいたいんですが」
「はい、ではちょっと拝見させていただきますね」
取り出した服をざっと眺める。綺麗に洗ってあるけど、ずいぶんと長い間着ていてボロボロになってしまった作業用の服。
ちょうどズボンの股座の部分に大きな穴が開いていた。
「そうですね、直せないことはないと思います。全面の修繕になるので、お代は――」
料金表を見ていると、お客さんが何か言いづらそうに小箱を差し出した。
「ごめんなさい。明日にでも直さないと仕事ができないんですが、修繕用のお金を盗まれてしまって。 今、私が出せるものがこれしかなくて……」
小箱は手鏡を収めるのにちょうどよさそうなアクセサリーボックスだった。ちょっと日焼けしている木の色が、とても良い風味を出していた。
どうしよう、普段はこういう物での修繕は受け付けていないけど、すごく困ってるみたいだし。
「わかりました! 明日までに直しておきますね!」
ちょっと考えてから私はこう言った。困ってる人を見捨てておけないしね。
「さあ、すぐに直してあげるからね」
私はボロボロの服に向かって話し掛けた。ちょっと変かなって思うけど、くせでついつい言葉に出ちゃう。
服の修繕に手間取って、結局夜中まで作業してしまった。そのおかげでなんとか間に合いそう。でも、ちょっと疲れたかも。
手鏡をお代の小箱にしまう前に私の顔を映してみたら、疲れた顔が映ってた。
「もう、クマができてる。やだなぁもう……あーあ、明日はお客さん少ないといいな」
またしても手鏡の自分につぶやいてしまった。くせになったら嫌だなぁ。
◆
次の日は雨だった。朝のお客さんは作業着や期日の服を取りに来た人達だけで、少し休むことができた。
雨が降ってると外に出たくなくなるのは、みんな同じような心理なのかもしれない。
「ふふ、手鏡さん、ありがとう」
その日の夜、私は手鏡にお礼を言った。この手鏡を買ってから良いこと続きなんだし、これくらいはね。
そうやってお礼を言った瞬間、手鏡が光り輝いて、鏡の中から長い髪の男の人が現れたの。あまりの眩しさにぼーっと見とれちゃった。
「あなたは?」
「私の名はクーン。私の主よ、貴女の願いを叶えよう」
「願い……? もしかして」
私は『明日のお客さんが少なければいいな』と手鏡に向かってつぶやいたことを思い出した。
「そうだ。主が望むどのような願いでも叶えよう。宝石でも、金でも、恋人でも、好きなことを願うといい」
私は戸惑った。いざ何でも叶う、なんて言われてしまうと結構困る。
「えっと、えっと……そうだ、新しいハサミが欲しいなー、なんて」
ちょうど、裁ちバサミが壊れていた事を思い出し、ためしに言ってみた。
すると、私の手元に真新しいハサミが現れた。この間お金がなくてあきらめた、有名工房のハサミだった。
「すごい! ありがとうクーン!」
◆
次の日、変な話を耳にした。
「えっ、湖が?」
「昨日は雨だったのに、干上がるだなんて……」
お店の前を通る人の会話が耳に入った。何だろう、急に湖が干上がっちゃうことなんてあるのかな?
不思議に思いながらも仕事をする。新しいハサミはすごく使い心地が良かった。
それから、私はどんな些細な願いごともクーンに頼むようになった。
評判のお菓子屋さんのケーキや、明日起きて欲しいこと、色々な願いを、思いつくままに叶えていった。
私の生活は私の思うように動くようになった。欲しいものも、食べたいものも、着るものですらクーンに頼った。
「ねぇクーン、私、幸せすぎておかしくなっちゃいそう」
「それは良いことだ」
◆
ある日、ちょっと調子が悪くなったハサミを有名工房に持っていくと、店主がはっとしたような顔をした。
「このハサミはどうしたんだね?」
「え? 友人にいただいたものですけれど」
「そんな馬鹿な……」
「どういうことですか?」
「お嬢さん、ちょっと良いかね?」
店主に促されるまま付いていくと、別室に通された。しばらく待っていると、やって来たのは警官だった。
「知っている事を詳しく話してもらおう」
「このハサミは領主様がお買い求めになられた品でね。引渡しの日に盗まれてしまったものなんだ」
「わ、私、何も……」
「ちょっと調べさせてもらうよ」
「領主様はお怒りでね。なんとしても犯人を見つけなければ、私の商売も危ういんだよ」
店主の言葉を呆然となりながら聞いていると、私のカバンは警官に取り上げられてしまった。警官は私の持ち物を見ると、これもそうだ、あれもそうだと、メモと照らし合わせている。
「これらは全て盗品だ。どこで手に入れたか教えてもらおう」
「し、知らない! クーン! 助けて!」
「その願い、叶えよう」
服のポケットに入れていた手鏡からクーンが現れ、あっけにとられた警官の隙をついて、私を連れて外に出る。
後ろから警官達が追い掛けてきた。
お店に辿り着くと、私はあわてて鍵を閉めて自室に閉じこもった。
どうしてこんなことが起きたのかわからなかった。今日持ち歩いていたものは、服もカバンも全部、クーンにお願いしたものだった。
「なんで、どうして……」
「何かを手に入れるには、何かを犠牲にせねばならない」
「じゃあ、あの作業着の人からお金を盗んだのって……」
「私だ」
「街の近くの湖が干上がったのも?」
「それも私だ」
「そんな、私、人を不幸にしてまで欲しいものなんてない!」
「だが、主は願った」
クーンが突き放すように言うのと同時に、扉を強く叩く音と警官の怒声が聞こえてきた。
どうしたらいいか私にはわからなかった。私は、私は……。
「新しいハサミもおいしいケーキも、手鏡も何もいらない! お願いだから私を前の生活に戻して! 戻してよ!!」
全てを無かったことにしたかった。力の限り私はクーンに向かってわめいた。
「その願い、叶えよう」
◆
お店と自宅の掃除が終わって店を開ける頃には、気の早いお客さんが何人か待っていた。
「おはようございます! でき上がってますよ!」
お客さんに朝の挨拶をすると、ドレスやニット、シャツなどを一つ一つ取り出してお客さんに見せる。
「あら、綺麗に直してくれたのね。ありがとうソニアちゃん」
「いえいえ。もし気に入らないところがあったらすぐに直しますので」
私は破れた服の修繕や、古くなった服を仕立て直す仕事をしている。直した服や仕立て直した服を見て喜ぶお客さんの顔を見るのは、とても嬉しい。
それだけなのに、なんだか最近、身体が重い気がするの。なんでかしら……?
◆
手鏡の中でソニアは眠っていた。若々しかったその容貌は老婆のように枯れ、痩せ衰えていた。
クーンはその手鏡を手に取ると、うっとりとした表情で眺めていた。
◆
――どのような願いでも相応の代償が必要なのだ。彼女はそれを理解していない愚か者だった。
最後の願いの代償は彼女自身の人生。彼女はこの先、その命が尽きるまで私の腕の中でかつての夢を見る。
彼女は美しく輝いていた過去を望んだ。私はそれを彼女の命で叶え続けることにした。
『美』こそ我が糧。我が全て。慎ましくも輝かしい彼女の『美』は、命尽きるまで私のものとなったのだ。――
「―了―」