46タイレル1

3392 【奇異】

よく整頓された明るい実験室。その片隅に、場に相応しくない作業台が鎮座していた。

寝台に似た作業台の上には、一体の人形が眠るようにして横たわっている。

タイレルはコンソールとモニターを交互に見ながら、人形の調整を進めていた。

「ベリンダ、目を覚ましてください」

タイレルはその人形、ベリンダに、囁くように話し掛けた。

ベリンダと呼ばれた人形が目を覚ます。

「調子はどうですか」

「問題ありません」

人形の口から返答があることを確認すると、タイレルはモニターを注視したまま指示を出した。

「では立ち上がってください、テストを開始します。リンナエウス上級技官、記録をお願いします」

「了解。記録を開始します」

擬似的に作られたガレオンの操舵室で、ベリンダの活動をシミュレートする。

シミュレーションは問題なく進行していった。

「現場での適時な調整が必要そうだねぇ。だからこそ、自身で調整できる自動人形に搭載するんだろうけど」

実験の様子を記録していたリンナエウスの声が聞こえる。

「ええ。シミュレーション終了後、メンテナンスプログラムの試験を行います」

「調整部分に関してはベリンダ自身とガレオンに搭乗する技官が行うように、との指示だったねぇ」

上級技官であるにもかかわらず、リンナエウスはエンジニア特有の抑制的な雰囲気を纏っていない。

タイレルが現在所属する研究所には、リンナエウスを筆頭に、エンジニアの中でも所謂『変わり者』と呼ばれるような人々ばかりが所属していた。

「五日後の突発事象対応シミュレーションは、問題なく実施できそうかい?」

「ええ、プログラム自体は完成しています。あとは試運転のみです」

「問題ないねぇ。所長にもそう報告するよぉ」

「ありがとうございます」

渦の消滅とレジメントの壊滅に伴い、タイレルは現在の研究所へと異動させられていた。

理由は多々あったが、レジメントで装備開発に従事していた同期のC.C.の訃報に依るところが大きい。

特段深い関係にあったわけではないが、師事するテクノクラートを同じくしていながら常に先を行っていたC.C.は、タイレルにとって個人的な目標であり、超えるべき壁でもあった。

そんな彼女の死は、タイレルに目標を失わせていた。

異動先である現在の研究所は、様々な分野で突出し過ぎたエンジニアや、パンデモニウムで行われる意思統制の枠から外れたような人々の集まりだった。

遺伝子スクリーニングは万能ではあるが、全能ではない。どの年代のエンジニアにも、一人や二人は『変わり者』と呼ばれるような人物が存在していた。

レジメントへのエンジニアの派遣は、統制局が持て余すような人物の人員整理に利用されていた。今はこの研究所が同じ役目を担っているのだろう。

渦が消滅して間もなく、パンデモニウムは地上平定のためと銘打って各国にエンジニアの派遣を開始しており、タイレルの所属する研究所からも派遣要員を出すことになった。

統制局から与えられる仕事に逆らうことはできない。タイレルはルビオナ連合王国を担当する技官に就任した。

「タイレル技官、ちょっと見てもらいたいものがあるのですが」

ルビオナにある軍事工場でのミーティングが終了した後、工場の責任者に呼び止められた。

「はい。なんでしょうか」

「先日、拡張工事を行った際に出てきたものなのですが」

そういって見せられたのは、小さなメモリーディスクであった。

「ディスクですね。随分と古いようですが」

「おそらく薄暮の時代の産物だとは思うのですが、私では解析できず……。それでパンデモニウムの力をお借りしたいと思いまして」

「わかりました。戻ったら解析してみましょう。」

「解析できたら、こちらに一度見せていただけませんか。有用なものであればいいのですが」

「そうですね。では」

タイレルは宛がわれている部屋で、ディスクの解析を開始した。

今にも壊れそうな保護ケースからディスクを取り出す。ディスクに傷が入っていないことを確認すると、データの形式を調べることから始めた。

それからタイレルは、出向先での仕事の傍らにディスクの解析を進めていった。

解析を進めていく内に、このディスクが黄金時代に失われたコデックスであることが判明した。

「これは……」

タイレルは、かつて兵装局を率いていたローフェンに師事していた。

その際に、研究資料の一環として閲覧させてもらったことがある『死者復活』のコデックス。しかし、そのコデックスは全体の一部のみであり、完全なものではなかった。

ルビオナの工場から出てきたものは、まさしく完全なコデックスそのものであった。

実際に死者が喋る記録も併せて確認したタイレルは、恐怖すると同時に一つの願望を抱いた。

――いつか、この『死者復活』のコデックスを完全に解析する。――

タイレルはC.C.を越えることを目標とするあまりに忘れていた、自らの願望を思い出した。

一通りの解析が終わり、工場の責任者に解析結果を報告した。

「死者を復活させるねぇ。物語じゃあるまいし……」

「物語ではありません。とても貴重な過去の研究です」

「そうですか……。でしたら、それはタイレル技官に差し上げます。我々には必要の無いものですよ」

結局、このコデックスはタイレルの手元に残ることとなった。

元来、コデックスは限られた上級技官や制限派により厳しく管理されており、その内容を閲覧すること自体が罪となる。

しかし、このコデックスの存在を知るのはタイレルと責任者のみ。この責任者から情報が漏れることも考えられたが、あの反応であれば、すぐに忘れてしまう可能性の方が高かった。

タイレルはルビオナへの出向が終わってからも、与えられる仕事をこなしながらコデックスの研究を進めていった。

タイレルが失っていた研究意欲に再び火が点いたのだった。

久しぶりに自らの意志で進める解析と研究は、タイレルの知識欲を大いに刺激していた。

それから暫くして、タイレルはグランデレニア帝國の巨大戦艦ガレオンを制御するための自動人形、ベリンダの製造を任されることになった。

人形の素体となるAIは別に製造者がいるが、それを運用状態にまで持っていくプログラムの構築が、タイレルの役目であった。

種々の試験も滞りなく終わり、リンナエウスと共に所長への報告を済ませたタイレルは、ベリンダと共に自身の研究室へと戻っていた。

この後の予定確認などを済ますと、タイレルはベリンダを再起動させた。

「ベリンダ、起きてください。コード556のテストを再開します」

タイレルは、ベリンダに『死者復活』のコデックスから再生した装置を密かに搭載し、実験を重ねていた。

タイレルの手には、一部が壊死して腐りかけた、実験用マウスの死骸があった。

「死骸の状態を確認。蘇生薬を散布します」

機械音声と共に、ベリンダの指先から薬品が噴射された。

実験は失敗だった。マウスの死骸を腐る直前の状態にまでは再生できたが、死骸が生前と同じように動くことはなかった。

「失敗ですか。やはり、ローフェン師を探し出すしかないようですね」

タイレルはベリンダの電源を落とすと、一人静かに呟くのだった。

「―了―」