20エイダ4

3398 【民族】

炎に包まれる女王の寝室。エイダは暖炉の横にある、緊急避難通路へ続く隠し扉を開く。

埃の溜まった通路には、複数の足跡が残されていた。

この通路は王宮より少し離れた迎賓館に地下を通って繋がっており、有事の際に女王はこの通路を使って王宮を脱出する手筈となっている。

足跡があるということは、女王と護衛騎士がこの通路を通っている。

エイダは寝室の消火や検分を王宮兵士達に任せ、緊急避難通路へと歩を進めた。

「陛下!」

「ああ、エイダ。心配をかけました」

避難通路をしばらく進んだところにある小部屋に、アレキサンドリアナとその護衛騎士がいた。

「よくご無事で……」

「ブラフォード中尉のおかげです」

「フロ……いや、中尉の?」

「はい。中尉がいなければ私は……」

女王が寝室に入ってすぐに、フロレンスは今夜テロが起きるという情報を女王に告げ、すぐさま避難するか安全な場所に隠れるように進言したのだという。

しかし、何故フロレンスはこのような重大なことを隊長である自分に報告せずにいたのか。エイダの胸に疑問が湧き上がった。

「彼女には事の顛末を問い質す必要がありますね」

「ブラフォード中尉は何か思い詰めていた様子でした。エイダ、彼女を責めないであげて」

「中尉を責めるわけではないのです。義務を怠ったことに対する処置を行うだけです」

「でも、彼女は私たちを救ってくれました」

「陛下、我々は軍人です。どのような状況においても為すべきことがあります。それだけはおわかり下さい」

エイダははっきりと言い切った。

フロレンスが何か隠し事をしていることには気付いていた。だが、フロレンスが抱え込んだものや彼女の精神状態を思い遣ることと、報告義務を怠ったことは別問題であった。

軍警察の徹底調査により、テロ組織の首謀者は緊急逮捕された。

家族を人質にテロへの関与を強要されるも、それを逆手にとったフロレンスが組織の内情を探ったことで、組織の全容や構成員の居所が解明されたことが大きかった。

見舞いに訪れたエイダを、フロレンスは複雑な面持ちで迎え入れた。

幸いにもフロレンスの怪我は軽く、ひと月ほどで軍務に復帰できるとのことだった。

「フロレンス、何故あんな危険なことを……」

「家族と国への忠誠を天秤に掛けることはできませんでした。どのような処罰も甘んじて受ける所存です」

「……医師から従軍許可が下り次第、オーロール隊の職務に復帰してもらう」

沈痛な表情のフロレンスに、エイダは処遇を知らせた。

「それだけ、ですか? 処罰は? 何かしらの罰則が科せられているのではないですか?」

「ブラフォード中尉、貴女は女王の命を救った英雄だ。栄誉を授けられこそすれ、罰せられることはない」

「隊長……」

「それに、副隊長に早く復帰してもらわないと困る。テロ組織に関与したことが気掛かりなら、職務でそれを払拭しなさい」

「ありがとう……ございます」

フロレンスの声は、心なしか震えていた。

エイダはフロレンスを見舞った直ぐ後に、テロ組織の尋問に立ち会った。

テロ組織はルビオナとフォンデラートの国境にある、原生林や山岳地帯に居を置く少数民族によって構成されており、度重なる徴兵で減少した自民族を救うために立ち上がったという事実が判明した。

王宮が襲撃されたこともあり、テロ事件の解決は大々的に報道された。しかし同時に、ルビオナ王国内の世論は少数民族排除に傾いていった。

ついには、王宮前や国境にある入国管理所で大規模な反移民デモが行われるに至った。

同一の民族が国民の大部分を占めるルビオナ王国では、連合国となった後に流入してきた多数の移民に対して、排他的な感情を抱いている国民が少なくなかった。

度重なるテロに不安を煽られていた国民の怒りが爆発したのだった。

少数民族の問題は、連合国のありかたそのものにも影響を及ぼしていた。

連合国議会で、多数の少数民族が寄り集まって出来た国であるバラク国の代表が、テロを未然に防ぐことを名分に少数民族の入国を制限しようと動くルビオナ王国の姿勢を問題視した。

何のための連合国か。バラク国は連合国の同盟を破棄し、独自の道を歩むことも辞さないとの態度を示す。

バラク国と全く逆の、一つの民族が国民の大半を占めるフォンデラートがそれに同調した。

フォンデラートは少数民族を含む一切の移民の流入を阻止するために、連合国を解体すべきであると提言した。

リュカ大公の指導により連合国存続のため融和の道を説くメルツバウは、それに真っ向から反対する。コルガーはメルツバウに同調しつつも静観の構えを見せた。

五者五様の意思を見せた連合国は、戦争という有事が目前に迫っていながらも、解体の危機にあった。

連合国議会が閉会してから間もなく、オーロール隊はルビオナとフォンデラートの国境沿いで発生した暴動の鎮圧に当たっていた。

「アルファ3、アルファ4、前進して催涙弾掃射! これ以上前に出させるな」

エイダの号令で、装甲服姿のアルファ中隊が進んでいく。

フォンデラートでは現在、連合国の解体と少数民族の排除を主張する政府に抵抗する、土着の少数民族による暴動や過激デモが多発していた。

今回の件はルビオナ王国との国境沿いで起きた暴動だったため、騒ぎがルビオナの国土に拡大しないように、オーロール隊も鎮圧に招集されていた。

「フロレンス、そちらの様子はどうなっている」

エイダは左翼に展開したフロレンスに通信を行い、状況を確認しようとする。

しかしフロレンスは答えない。

「フロレンス! 状況を知らせよ!」

エイダは強い口調でフロレンスに呼び掛けた。

「……申し訳ありません隊長。こちらに向かう群衆は無力化しました。15アルレ先に潜伏する暴徒はフォンデラート軍が抑えた模様です」

「了解。こちらも鎮圧が完了した。合流するぞ」

「了解です」

フロレンスの声は精彩を欠いていた。医師の診断が下りているとはいえ、フロレンスはまだ病み上がりであった。

それに加え、王宮テロ事件を発端とする少数民族排除の世論や政府の動きが、フロレンスの立場そのものに影響を与えていた。

女王を守りきった英雄であるフロレンスを除隊させよといった提案書を送りつけてくる将軍もいた。

エイダは自身の家の伝手と護衛騎士時代に培った信頼を最大限に使い、融和派の将軍や政治家に掛け合った。

なんとか提案書の件は処理したものの、フロレンスの心に暗い影を落としたのは想像に難くなかった。

暴動を鎮圧し、オーロール隊は基地へと帰還した。

執務室で今回の件の処理をしていると、フロレンスが入ってきた。

「隊長、お時間よろしいでしょうか?」

「ああ。どうした、何かあったか」

「これを……」

フロレンスはエイダに封筒を提出した。

「フロレンス。これは一体どういうことだ?」

封筒の中にある書類を一瞥したエイダは思わず声を上げる。

その書類は除隊に関する書類一式であった。

全て書き上げられ、あとは上官の承認と受理されるのを待つだけの状態であった。

「今回の件で私は自身の力不足を痛感しました。これ以上ルビオナ王国軍で従軍することはできません」

「考え直してくれ、フロレンス。オーロール隊には貴女の力が必要だ」

「異民族を排除するためにですか?」

「違う。ルビオナ王国、ひいては連合国に平和をもたらすためだ」

「……連合国を脅かすグランデレニアと争うための武器を、同じ国に住む違う民族に向ける。そんな事が平和に繋がるとでも言うのか!」

フロレンスの声は震えていた。

「それは……」

「エイダ、私は同じ国に住む者に『民族が違う』というだけで銃を向けなければいけないことに、もう耐えられない」

エイダは何も言えなかった。フロレンスはそんなエイダの姿を見ると、一言「失礼します」とだけ告げて去っていった。

フロレンスの除隊は受理され、エイダも驚くほど速やかに処理された。

エイダは、フロレンスが除隊直後に荷物を纏めて王都から去ったという話を聞いた。

すぐに彼女を探そうとしたが、今の王都に呼び戻すのは危険すぎると思い、とどまった。

王都では少数民族の排斥を訴えるデモが多発しており、身の危険を感じた人達が次々と王都から去っているのが現状であった。

フロレンスのことは気掛かりであったが、それを押し流すように、戦争と紛争は悪化していく一方だった。

中央の貴族や政治家達が、最初から王国に少数民族などいなかったかのように振る舞い始めた頃のことだった。

「ブラフォード元中尉がメルツバウ大公のリュカ様とご一緒されていました」

「フロレンスが? 本当か」

「はい。間違いありません」

イームズ少尉からの報告だった。彼はメルツバウで行われる政治会談に、女王の代行である執政官の護衛として赴いていた。

「わかった、報告ありがとう。今日はもう帰宅して構わない。報告書については近日中にまとめてくれ」

「了解です。ありがとうございます」

フロレンスは民族間の争いに心を痛め、そして悩んでいた。リュカ大公の下に行ったのは、彼女なりに争いを鎮める方法を模索した結果だったのかもしれない。

だが、民族間の融和を推し進めるリュカ大公は、少数民族排除に動くルビオナ王国にとって、いまや政敵ともいえる相手だった。女王本人の意思は不明なままだが、現在の国政を動かす大臣や政治家がそのように考えていることは、エイダにも容易に想像がつく。

エイダは考えた。フロレンスは自身が思う平和のあり方を求めて行動した。

では自分には何ができるのか。自分の今の立場で、本当の意味でルビオナや連合国に平穏をもたらす手段は何なのかと。

「―了―」