30ブロウニング3

2837 【監視】

人通りもまばらな街中は、奇妙な緊張感に支配されていた。

普段のこの時間であれば混んでいる筈の幹線道路も、今日は随分と空いている。

仕事には都合がいいが、不安な気持ちがもたげてきた。堪らず音声放送のスイッチを入れる。

「――オートマタの一団に占拠された区画では通信のとれなくなった地域が出始めたようですが、この理由は何でしょうか?」

アナウンサーらしき女が言った。

「おそらく統治局の判断でしょう。 オートマタには通信設備を接収する知恵などありませんからね。 無駄な混乱を避けるための方法です」

解説者らしき男がそう答える。

「なるほど。では、当局は状況をコントロールしているということでしょうか?」

「もちろんです。 一種のアクシデント、または悪質な愉快犯による犯罪でしょうが、当局のコントロールは万全です。沈静化するのも時間の問題でしょう」

「なるほど――」

俺は音声放送を切った。こんなものは御用学者による統治局のお為ごかしに過ぎない。まともな知性を持った人間なら、状況が逼迫していることは明々白々だ。まあ、「まともな知性」とやらを持った人間が今の世界に何人いるのかは知らないが。

俺は車を馴染みの骨董屋に向けていた。その骨董屋は映写機を扱っていた筈で、とにかく最初の伝手はそこしかない。

通りを曲がり、骨董屋まであと二ブロックといったところで、大きなプラカードを抱えた男が大声を上げながら横断歩道を渡ってきた。

「裁きの時は来た! ついに我々の世界は滅ぶ! 自ら作り出した機械によってだ! 怠惰の罪はいま下る!」

プラカードには「怠惰な人類よ、改めよ!」と書かれている。ごくたまにいるアンチ・オートマタ信奉者だ。ここぞとばかりに大声を張り上げている。

普段は無視するであろう人々も、今は訝しげにではあっても彼を見つめていた。ひょっとしたら正しいのは彼なのかもしれない、と思っているかのように。

その時、通りの向こうから三人の警備官が一斉に走り出してきて男を取り押さえた。横断歩道の真ん中で取っ組み合いが始まった。信号は青になったが車を進めることができない。

「これは弾圧だ! 真実は一つ――」

取り押さえられた男は引き摺られるようにして連行された。様子を見ていた人々は少し気まずそうな様子で顔を背け、再び歩き始めていた。

車は骨董屋に着いた。店主に事情を話し、映写機をその場で借りる。

カラカラと乾いた音を立てながら、フィルムは回転速度を上げていく。

暗闇の向こうに浮かび上がる色褪せた世界には、俺が映っていた。

若い母親が幼い俺の手を握って歩いている。俺はその手を振り解いて道端に座り込む。何かを見つけたようだった。カメラもそれに近付いていく。その手にはバッタが握られている。母親は「はやく捨てて」と言う。

「ふふっ、恐がりだなあ」

カメラに映っていない父親の声が聞こえた。何故かとても懐かしく思えた。

これで、このフィルムが父親の物だということはわかった。

ただ、いくら眺めても特別なものは見当たらない。これは単なる子供の成長の記録に過ぎない。その子供は自分だが。

「親父さんはなかなかいい趣味をしてるな」

骨董屋の店主が言った。

「変わり者だったのさ」

見たことのないフィルムだった。

映っている俺の年齢からすると、父親の死の直前に撮られたもののようだ。

フィルムの中の俺はバッタを握ったまま前に走り出した。そして投げるようにバッタを逃がした。

そこでフィルムは途切れ、画面は暗いまま回り続けている。

父親は何を思ってこのフィルムを残したのだろうか。何故俺にこれが届けられたのだろうか。

その理由がずっと頭の中を巡っていた。

「ブロウニング捜査官、これが解析班が合成したオートマタの姿です」

俺は若い男女の画像を端末で受け取った。その二体はよくある市販のオートマタと違い、人工的な部分が全く見受けられない自然な顔立ちだった。おまけにどちらも美男美女だ。画像の下にはそれぞれ《ミア》《ウォーケン》と名前が表示されている。

「オートマタには見えないな」

自然な感想が口から漏れた。

「あの天才、グライバッハ氏の最後の作品ですからね。 レベルが違いますよ」

自殺、いや、今は他殺だと思われている天才オートマタ作家の名前を解析官は口にした。

「そんなものか」

興奮した口調の解析官にそう答え、俺はメルキオールの監視へ向かうために局舎を出た。

メルキオールの監視を始めて二週間が過ぎていた。監視といっても、やることはバンの中で奇妙な研究者の独り言を聞き続けるという、一種の拷問だった。

「まったく、あの爺さんの繰り言を記録するのに意味なんてあるのか?」

同じ監視班の同僚、フリードマンがヘッドフォンを外して言った。

「さあな、何かしてないと上は満足しないからな」

コンソールを切り替え、自分のヘッドフォンに室内の音声を流す。モニターには研究室をうろつきながら独り言を言うメルキオールが映っている。

「いつもと変わらんな」

グライバッハ殺人の被疑者と見られたメルキオールは、捜査局の監視は許したが捜査員の同室は許さなかった。そのため捜査局はカメラを設置し、外のバンから彼を二十四時間監視することにした。

独り言を繰り返す神経質な老科学者は、まるで役立たずに見えた。二週間毎日見続けたが、様子に変わりはなかった。

「子供は元気か?」

監視に飽きたフリードマンが世間話を始める。

「最近会えてない。 とにかく、この捜査が終わらないことにはな」

何日も家には帰れていない。家族を撮ったフィルムも現像に出さなければならなかったが、忙しくて鞄の中にそのままだ。

「レントン部長は焦ってるしな」

「ああ。何も成果が上がらなきゃ、部長はおそらく左遷だろうよ。統治局の奴らに睨まれちまったからな」

「恐ろしい話だ」

「仕方がない。俺達は所詮役人さ。 上から睨まれちまえば逃げ場はねぇよ」

本当はレントン部長に同情している暇なんて無かった。俺達も今回の捜査でヘマをすれば、おそらくとんでもない目に遭うだろう。俺が見た統治局最高クラスのレッドグレイヴという人物であれば、冷酷にそう判断する筈だ。

俺はフリードマンのやる気のない態度に少し苛ついていた。俺には小さい子供もいる、守らなきゃいけない家族がある。こいつのように暢気にはやれない。

フリードマンの会話を聞き流しながらモニターを眺める。たしかに代わり映えのない姿だ。メルキオールは中央にある煤けたボイラーのような機械と手前のコンソールを行ったり来たりしながら作業をしている。

ずっと独り言を言いながら思い付いたように二、三時間仮眠を取るだけで、同じ事を繰り返している。食事すら作業をしながら簡易なものを取るだけだった。驚異的な集中力ではあったが、その生活には人間味はかけらも感じられない。

「こいつが殺人犯だというのなら、よっぽど――」

「待て、今のところの録画を見せてくれ」

フリードマンの会話を遮って俺は言った。

「どうした?」

「妙なものが見えた。巻き戻してくれ」

フリードマンは動画をコントロールするコンソールを操作して、別のモニターに少し前の映像を出した。

俺は自分の見たものを確認した。

「ここだ! 止めろ!」

そこには数フレームではあったが、画像の乱れが記録されていた。

「ただの接続不良じゃないか? 別に続きはおかしくないし」

「よく見ろ」

コンソールをフリードマンから奪って一フレームずつ確認していく。そこには一画面の中で複数人のメルキオールが作業しているのが映っていた。

「確かにおかしいが、機械の故障じゃないのか?」

「いや違う、この画像は合成だ。 あの爺さん、とんだ食わせ者だぜ」

何故かそういう確信があった。そしてその確信の下に振り返ると、メルキオールがずっと続ける独り言や異常な振る舞いこそが、却って演技的に思えてきた。

「本当か? もし勘違いだったら……」

「だとしても見逃したらことだ。 お前は動きがないかここで見ていてくれ。俺が確かめてくる」

「わかった」

俺はバンの外に出た。ヤツがこちらの動きを察知したら偽装の証拠が掴めないかもしれない。であればヤツが偽装を切り替える前に乗り込まなければならない。俺はバンから持ち出したショットガンを構え、意を決して走り出した。

研究所の正面扉からではなく、窓をショットガンでぶち抜いて所内に飛び込んだ。そして素早くヤツが今いる筈の研究室に向かう。

割れたガラスに反応してアラームが鳴っているが誰も出てこない。研究室のドアを開けると、この二週間毎日見続けてきた薄汚れた部屋があった。しかしメルキオールの姿はそこに無い。俺は交信機でフリードマンを呼び出す。

「やはり偽装だ。研究所内をチェックする。こっちに来てくれ」

「了解した」

「あと、衛星監視システムで本当に人の出入りがなかったかを確認してくれ。ログがある筈だ」

そう連絡すると、俺は銃を構えたまま室内のチェックを始めた。雑然とした室内は機械の周期的なノイズ以外何も聞こえなかった。

ヤツはこの研究所にいないのか? いや、ここ以外に行く必要のある場所は無い、ヤツが研究者であることは偽装のしようがない事実だ。ということは、俺達捜査員に見られたくない、何か別の作業をしているのだろうか。

正面扉の前まで来たフリードマンを中に招き入れ、二人で所内をチェックしていった。

捜査資料の見取り図にある全ての部屋、空間を見て回ったが、メルキオールの姿はどこにも無かった。

「くそ、どこかに逃げちまったのか?」

「それはないだろう。衛星監視ログには何も記録されてない」

「秘密の抜け穴か、またはログをハックしたか……」

どちらもこの短時間で自分達の目を眩ますには大仰すぎる。

「最後にヤツを直接見たのはいつだ?」

「一昨日だ。荷物を受け取る姿を見ている」

フリードマンは言った。であれば、ヤツは必ずこの研究所の何処かにいる。

俺は見取り図をもう一度眺めた。何か秘密がある筈だ。見取り図を見ながら所内を進むと、一箇所だけ、本来は左右対称である筈の壁が微妙に狭く作られているところがあった。

機材が積み上がって雑然とした所内ではわかりづらいが、そこには確かにスペースが存在していた。

「ここだ。この奥に何かある筈だ」

「どうする? 応援を呼ぶか?」

正直、逡巡していた。応援を呼べば監視班は失態の責を取らされるだろう。がしかし、自分達の手でメルキオールを拘束できれば、責任問題は考慮されるかもしれない。

「とりあえず何があるか確かめよう」

俺はショットガンに弾を装填して構えた。今は時間が無い、悠長な真似はできない。

その時、シュッという空気圧の音と共に壁が開き、中からメルキオールが出てきた。

「動くな!」

俺はショットガンを構えたままメルキオールに警告した。

「撃ちたければ撃て、馬鹿者共が」

メルキオールは手を払う仕草をしながら、隠しエレベーターから出てきた。

「なぜ監視システムに偽装を仕掛けた? 何をしていたんだ?」

銃を構えたまま問うたが、メルキオールは構わずに動こうとした。仕方なくフリードマンがメルキオールの腕を掴む。

「あなたを拘束します、メルキオール」

フリードマンはメルキオールの両腕を乱暴に後ろに回し、結束タイで拘束した。

「ええい、これではあいつの思うがままだぞ。私を自由にせんか」

「全てを明らかにしていただかなければ、拘束を解くことなどできません」

「時間が無いのだ。お前らだって無事では済まんぞ、このままでは」

「だったなら尚のこと話してください。この状況の意味を」

ショットガンを下ろして俺は言った。

「時間が無いのだ、拘束を解け、説明はしてやる」

「拘束を解くのは納得いく説明の後です。 あなたは殺人事件の被疑者です」

「馬鹿な役人だ、まったく」

ぶつぶつと繰り言をいうメルキオールを手近な椅子に座らせる。

「地下には何があるんです?」

「ここのメインフレームと小さな作業室が置いてあるだけだ。 お前らに邪魔されないよう、そこで作業をしていただけだ」

「なぜ我々に見せたくないのです?」

「愚にもつかない法とやらに抵触する作業だからな。 研究にとっては、いや、この実験の顛末にとっては実に邪魔だ」

「なるほど、では作業室は後で見せてもらいましょう。それで、法に触れる作業とは何です?」

「二人の、いや、二匹のオートマタを追い詰めていたのだよ」

「グライバッハ氏の作った二体ですか? ミアとウォーケンとかいう」

「そうだ。 奴らはグライバッハを殺し、私の研究成果を盗んだのだ」

「我々もその二体を追っているところです。我々に協力してもらえれば――」

フリードマンが横から口を挟んだ。

「ふん、お前らなどは邪魔にしかならない」

「それは嘘だ。 あなたは自分で彼らを捕まえて、自分の研究結果とやらを奪い返したいのですね?」

「当たり前だ。 私の研究結果は私のものだ。 他の誰にも渡しはしない」

研究者としては優秀かもしれないが、この老人は他人のことなど一顧だにしないエゴイストであるのがよくわかった。体よく言えば純粋なのだろうが。

「わかりました。 とにかくその二体を捕まえましょう。 話はそれからでもいいでしょう」

「初めからそうしろと言っているのだ。早くこの私を自由にせんか」

おそらく彼の研究結果というのはあまり公にできないものなのだろう。しかし今はそんなことは問題ではない。真犯人であろう二体のオートマタを捕まえるのが先決だ。

創造主を殺したオートマタ、親を殺した子、これは歴史的な事件になるかもしれない、そう俺は直感していた。

「―了―」