21メレン3

2835 【凌駕】

舞台裏では自分とルート、そして機械の動物達が、出番を待ち構えていた。

団長がオウランと修理し終えたばかりのヴィレアを伴って開場の挨拶を済ませると、小人の道化達のショーが始まる。

もうすぐ出番だと団長が言う。それに従い、自分は舞台の袖に控えた。

今日もサーカスは慌ただしい。

仕事が終わると、メンテナンス用の工具箱を持ったノームと行き合った。

「やあ、メレン。 調子はどうだい?」

こうやって自分達の具合を尋ねてくるのは、ノームしかいない。

「お気遣いありがとうございます。私は問題ありません」

「それは良かった」

フードの下でノームが笑うのが見えた。

「おいノーム、早くしろ。 そんなオンボロなんか構わなくていい」

背後のテントから団長の声が聞こえる。

オンボロという言葉が自分を指していると気付く。今までは気にも留めなかった言葉が、電子頭脳のどこかに引っ掛かるような感覚があった。

「ごめんね、メレン。また後で」

ノームは申し訳なさそうに言うと、足早にテントへと向かっていった。

最近、団長は賭けカードの席にノームを同席させるようになった。それに伴って、自分がその席に呼ばれることは少なくなっていた。

賭けカードに呼ばれない時、今までの自分は何をしていたのだろうか。そんなことを思い付いた。

メモリーから該当の時期を呼び出して参照してみる。すると、自分は倉庫代わりのテントの幕を真っ直ぐに見つめていた。そして設定された時間が来ると、自動的にスリープ状態に移行していた。次の記録は翌朝であった。

別の日の記録では、マークが倉庫に物を取りに来たときに、ついでのように電源が落とされていた。

「カードの相手をさせる設定が面倒だからって、まったく団長の奴……」

マークの独り言が記録されていた。

改めて記録を見直すと、随分と無為な時間を過ごしていたように思える。

――無為な時間――、このような考えは作られてから一度もしたことは無かった。自分の人工知能は人に従うためだけにある筈だった。

違う。そのようなことは断じて無い。自分の人工知能は学習型である。学習の過程でこのような認識をしたところで、何も問題は無いのだ。

ある日、スリープ状態に移行する少し前に突然マークがやって来た。

「付いてこい」

言われるがままにマークに付いて行くと、そこは舞台テントだった。

「おい、メレン。 こいつを倉庫に運べ」

マークが脇に積まれた大量の小道具の箱を指差す。

「わかりました」

マークはそれだけを指示すると、欠伸をしながら就寝用のテントへと向かっていった。

周囲を見回すと、団長が部屋代わりにしている中型テント以外は、全て明かりが落ちている。

団長のテントの中から、誰かが話すような声が聞こえた。

小道具の入った箱を運ぶために何度も倉庫と舞台テントを往復していると、次第に団長のテントから聞こえてくる声が大きくなっていた。

人間の従業員達は既に寝入っているらしく、誰も団長のテントの騒ぎに気付いていない。

道具を運び終えた頃、明かりのついた団長のテントからノームが飛び出してくるのが見えた。

ノームが自分の目の前を走り抜けると同時くらいに、団長がテントから出てきた。

「逃がさん……」

そんな呟きが自分の耳に届く。団長の鼻息は荒く、血走った目には怒りではない何か別の感情が宿っているように見えた。

自分が作業をしているのも見えていないのか、団長は自分に目もくれることなくノームを追い掛けていった。

マークの命令を忘れて団長の後を追う。

団長の纏う雰囲気が尋常でないことが、機械の自分にもありありとわかったからだった。

ノームを助けなければならない。それだけが自分の中にあった。

二人は近くの雑木林へと走っていったようだ。自分も奥へと分け入っていく。

「捕まえたぞ、大人しくしろ!」

「ごめんなさい、無理です。放して!」

「誰のお陰でメシが食えてると思ってるんだ!」

暗がりの中から言い争う声がする。垂れ下がる木の枝や茂みを掻き分けていくと、少し開けた場所で団長がノームに馬乗りになっている。

やめてください。という声が出掛かったその時、自分の背中が勢いよく蹴られる感覚があった。

そのまま前のめりに倒れた自分が起き上がった時に見たものは、団長に体当たりしてノームから引き剥がそうとするヴィレアの姿だった。

ヴィレアは体格こそ小柄に作られているが、旧式であるため、見ため以上に重量がある。

そんなヴィレアの体当たりを直に食らえばひとたまりもない。団長とヴィレアは揉み合うようにノームから離れていく。

「この! ポンコツの分際で!!」

「ノームは嫌がってる。 ダメ、ゆるさない、ゆるさない!!」

ヴィレアと団長が争う声と音が、絶え間なく聞こえてきた。

「うぅ……」

ノームの呻き声が聞こえた。駆け寄ると、衣類がはだけたノームが仰向けに倒れていた。

「ノーム、大丈夫ですか?」

そっとノームを抱き起こす。フードが外れて金色の髪がノームの顔を覆う。表情は見えなかったが、彼の頬には叩かれたような痕があった。

「だい……じょうぶ。ごめんね」

「いえ。 それより、ここから離れましょう」

謝るノームに首を振る。ノームを早く団長から引き離さなければならないと考え、彼を背負う。

「そいつをこっちに渡せ!」

ヴィレアを振り切ったのか、団長が憤怒の形相でこちらを睨んでいる。手には護身用らしい小型の棒を握っていた。

団長の命令が電子頭脳に響く。自分は団長の命令に従うようにプログラムされていた。

団長の命令とノームを助けなければいけないという意志がせめぎ合い、人工知能の思考演算を混乱させる。

「メレン、ヴィレア……」

自分の背でノームが小さく呟くのが聞こえる。自分の肩に捕まる彼の力が強くなった気がした。

「申し訳……ございません。従うことは……できま、せん」

意志が命令を凌駕する。

錯乱したようにも見える団長にノームを引き渡せば、団長は彼にもっと危害を加えるだろう。ノームは自分達オートマタを修理して下さる恩人なのだ。そのような大切な方を危険に晒す訳にはいかない。

そんな思考が自分の中に溢れた。

「メレン、お前も俺に逆らうのか! このポンコツが!!」

団長は小型の棒をこちらに向けた。

それを見て自分は後ずさる。踵を返してこの場から走り去るには、団長との距離が近すぎる。

「従うことはできません」

「貴様ァ!」

団長が小型の棒を振り上げる。その時、ヴィレアが再び団長に飛び掛ったのが見えた。

「くそ! コイツめ!! うわ、ああああ!」

まとわりつくヴィレアを引き剥がそうと動いた団長がバランスを崩す。ヴィレアを巻き込むように団長は仰向けに倒れ込んだ。少し遅れて鈍い音が響く。

団長は唸り声とも呻き声とも付かない声を漏れ出すと、さほど経たぬうちに動かなくなった。

静寂が雑木林を包む。ヴィレアが藻掻く音で、漸く注意を団長とヴィレアに向けることができた。

「……団長?」

「メレン、下ろして」

いつになく強張ったノームの声に従い、彼を背から下ろす。

ノームはフードを被り直してから団長に近付くと、胸に耳を当てるような仕草をしたり、顔を触って何かを確かめたりしていた。

「メレン、団長を持ち上げて」

「あの、ノーム……。団長は……」

「ヴィレアを助けるのが先だよ」

その言葉に自分は小さく頷くと、団長を持ち上げた。ヴィレアは団長の背に頭を押さえつけられている。

ヴィレアの臀部は団長とぶつかった衝撃からか僅かにへこんでおり、団長から流れ出た血が付いているように見えた。

団長の血らしきものを見た瞬間、何かとてつもなく良くないことが団長に起きているのではないかと考えた。

「メレン、ヴィレア、大丈夫だよ。 団長をテントまで運ぼう」

「わかりました、ノーム」

「団長はどうなったのですか? ノーム」

「大丈夫、ちょっと気絶しているだけだよ。 さあ、マーク達が探しに来ないうちに早く」

ヴィレアと共に、団長をテントまで運ぶ。

テントに運ぶまでに、団長の体温が少しずつ下がっているのを感じた。

サーモセンサーの故障でなければ、自分の電子頭脳に予め学習されている『それ』が正しければ、団長はもう二度と目を覚ますことはない。

そんな予測が思考ルーチンに明示されていた。

「ありがとう。 メレンは倉庫に戻っていいよ。 ヴィレア、手伝って」

団長をテント内のベッドに寝かせると、ノームは自分を外へ追い遣ろうとした。

「ノーム、何をする気なのですか?」

「団長を直すんだ。 大丈夫、朝になればわかる。 さあ、倉庫に戻るんだ」

フードの下でノームは笑った。いつもと同じ笑みだ。

自分はノームの言葉に従わなければならないと感じ、倉庫へ戻った。その後は、ひたすら朝が来るまで倉庫でじっと佇んでいた。

朝になった。ルートやオウラン達のスリープが解除され、自分もスリープが解除されたように振る舞いながら外へ出た。

朝の仕事をするために、洗い場となっている場所を通り掛かる。

「団長、おはよう。昨日は遅くまで何やってたんですか?」

「おはよう。なに、大したことじゃない」

そこにはいつもと変わらぬ団長がいた。いつもと同じように団員達と笑い合っている。

立ち止まって団長を凝視していると、裾を引っ張られた。

「おはよう、メレン」

ノームだった。ヴィレアも一緒だった。

「おはようございます。あの、団長は――」

どうなったのかと言い終わる前に、ノームは自身の唇に人差し指を当てる。それを見て、慌てて口を噤んだ。

「大丈夫、心配しないで」

ノームがそう言うのだ。きっと大丈夫なのだろう。自分自身をそう納得させた。

「さあ、行こうか」

ノームはヴィレアの手を引いて、オートマタの修理用に使っているテントへと向かっていく。

自分はヴィレアのズボンに僅かに残った血痕を、いつまでも見続けていた。

「―了―」