3376 【道】
液状化して泥のようにうねる大地が映し出される。
その映像の中では、二足歩行する魚にも似た異形が闊歩し、珊瑚のような物質でできた建物が立ち並んでいる。突如として現れた歯車やネジ、バネに似た物質で構成された動物が襲い掛かってくる映像もあった。
視界一杯に広がる映像群は、『我々』が取得した情報を効率的に閲覧できるよう、ナニーが最適化したものだ。
ステイシアからもたらされたデータのお陰で、どのような場所にいようとも問題なく情報を取得できる技術を手に入れていた。
◆
かなりの数の我々を失ったが、その者達がもたらした情報はステイシアのデータを補完するのに役立ち、また新たな発見にも繋がった。
渦の中に入り込んだ我々の一部はその苛烈な環境に耐え続け、ついに異世界から異世界へ渡る能力を手にしていた。しかしそれでも、ステイシアの言う『ヴォイドへの道』へと至る手掛かりは見出せずにいた。
何かが足りない。ステイシアのデータ解析に何か見落としがあるのかもしれない。
考えた末、渦を調査することと平行して、ステイシアのデータの更なる解析を進めることにした。我々が入手する情報も常に流動している。何かしらの新しい発見が出てくる可能性は高かった。
推測は的中した。我々が渦から得た情報とステイシアのデータを照らし合わせ、世界を世界たらしめる『コア』の存在を見出せたのだ。
この発見は我々の目的を大いに躍進させた。
コアを手に入れて観測することで、『ヴォイドへの道』を開くことが可能となる。
我々はこの時点で、渦の調査をコアの捜索へと切り替えた。この世界のコアも対象となり、より多くの我々が世界へ散った。
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我々が世界中を駆けるようになってから長い時が過ぎていた。
ある時、パンデモニウムからの使者と名乗る男が皇宮へ現れて、元首との謁見を申し出ているとの知らせを受けた。
当代のアリステリアに使者と会談するよう指示し、カストードを一人、護衛として会談に参加させた。
このカストードから得た情報は、パンデモニウムに於いて指導者であるレッドグレイヴが目覚め、渦を消滅させるために新たな計画を始動させるというものであった。そしてその計画に従って編成される組織のリーダーは、軍事国家であるグランデレニア帝國から派出してもらうのが至適であるとのことだった。
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会談が終わった後、皇帝廟を訪れたアリステリアから使者の書状と報告を受ける。
「皇帝陛下、ご指示を」
「選定は大臣達に任せよ。 だが、帝國への忠義が薄い者は決して選ぶな」
「畏まりました」
アリステリアは美しく整った所作で一礼する。
我々はその様子を見てから立ち上がると、ひと房垂れた彼女の髪を手に取る。
「さて、堅苦しい話は終いとしよう。今宵も楽しもうか」
「陛下の仰せのままに……」
アリステリアは顔を上げた。愁いを帯びた表情で我々を見つめる彼女は、何かに疲れきっているようにも見えた。
◆
翌日、アリステリアを皇帝廟から送り出した後、その足でナニーの元へと出向く。
「レッドグレイヴという名について何かわかるか?」
「この世界がエンジニアによって治められていた時代の指導者と同名です」
「その者に関するデータはあるか?」
「はい。 詳細を送ります」
程なくして、ナニーから器にデータが送られてきた。だが、データは二八〇〇年代のもので止まっていた。
約七十年に渡って世界を統治し、『監視者』と呼ばれた女。渦の出現とほぼ同時期に行われた『パンデモニウム計画』の完遂をもって、歴史から姿を消している。
我々が地上へ送り出された時期とも一致していることから、ナニーに保存されているデータはここまでなのであろう。
「二八四〇年以降の情報はないか」
「パンデモニウムに調査を入れる必要がありますが、実行しますか?」
「いや、その必要はない。 今の時点で余計な接触をするのは避けておこう」
数百年も過去の統治者が何故いまになって歴史の表舞台に出てきたのか。誰かがその女の名を継いだだけなのか。確かに疑問はあった。
だが、パンデモニウムに必要以上に接触を図ろうとすれば、こちらの計画が察知される可能性がある。リスクを犯してまでやるべきことではないと判断した。
「承知しました」
◆
三三七三年、パンデモニウム主導の下、渦を消滅させるための組織――レジメント――が設立された。その設立から少し経った三三七六年、我々はマキシマスという一人の尖兵を組織に送り出した。
この組織がパンデモニウムの科学力を総結集して事態に当たっているとの情報から、より詳細なパンデモニウムの動向を追う必要があった。
マキシマスには他の我々とは異なり、人間社会に溶け込める程度の自我と、人間の範疇を逸脱はしないが、やや突出した身体能力を与えてあった。エンジニアの陣営に送り出すということで記憶チップも偽装を施し、隠蔽も厳密に行っていた。
マキシマスが送ってくる情報は、我々が想定していたよりも遙かに有益なものであった。
渦の世界を構成するコアを回収して帰還するための技術が、エンジニアの手によって僅か数年で確立されたことは大きい。
我々はエンジニアのコア回収装置の構造を知るべく、マキシマスに指令を出した。
◆
薄暗く人気のない場所が映る。
様々な機械が整然と並べられたそこを、音を立てぬよう慎重に歩く。
器からの指令により、映像の中の我々はエンジニアが開発したコア回収装置を調査しようと、連隊内で活動していた。
「こんな時間に何してるんだ?」
コア回収装置が保管されている場所付近までやって来たところで、別の何者かに声を掛けられる。
くすんだ金髪の男だった。男は遅くまで訓練をしていたような様子だった。
「ハンガーに忘れたものを取りに来たんだ」
何者かに見つかった時のためにと考えてあった台詞を、男に向かって喋る。
「珍しいな、マキシマス」
「別に……」
早くどこかに行ってくれ。この映像の中の我々はそんなことを考えていた。
久しく感じることのなかった情動だが、今は余計なもののように感じる。
ナニーが器の思考を汲み取り、迅速にそういった情動の感覚を遮断する。
再び、ただの映像となった記憶を細部まで観察する。
「まぁ、早いとこ宿舎に帰ったほうがいい。 こんな時間にこの辺をうろつくと、エンジニアが煩いぞ」
「わかってる」
男は去っていった。映像はこの後もコア回収装置の調査を続けたが、コア回収装置の保管場所は厳重に管理されており、下手に接触することはできないようだった。
◆
「失敗です。 この状況では極めて難しいと考えられます」
「そうか。 ではステイシアのデータ内に、コア取得に関する情報はないか?」
「参照します」
不可能ならば固執する必要はない。そう判断し、ステイシアのデータを参照することに切り替える。
データを参照する中で、初期の頃に解析を中断していた『ミア』という自動人形の存在が浮かび上がった。再度の解析により、ミアはヴォイドを通してステイシアの人工知能と接続された存在であったことが判明する。
一度ヴォイドと繋がった自動人形の知覚を通せば、『ヴォイドへの道』に近付ける可能性は高い。
「その自動人形の情報を開示しろ」
「はい。 データの参照を行います」
ミアは世紀の天才技師グライバッハの作り出した最高傑作であり、二八三七年に世界規模で起きたオートマタ反乱の首謀者だった。
だが、その反乱は当代の支配者レッドグレイヴの用いた兵器により終息。全てのオートマタが機能を停止するという結末で終わっていた。
しかし、ミアがどのような末路を辿ったのかという仔細については、同時期に起きた渦の出現による混乱からか、一切が不明となっていた。
大規模な反乱の首謀者だ。機能が停止した以上、捕獲され破壊されたことが周知されて然るべきである。
「反乱後、機能を停止したであろうミアの消息はわかるか?」
「これ以上の情報は残っておりません。オートマタの反乱が終息した後の記録は存在しません」
「ミアの消息を調査しろ」
「わかりました。 No.65786から65824に詳細を送信。 調査を開始します」
◆
ローゼンブルグの大図書館が視界に映る。
不死皇帝直々の使者として我々の一人を送り、通常ならば閲覧不可能な古書が保管してある場所へと案内させる。
薄暮の時代から続くこの魔都ならば、ミアが辿った末路を知る手掛かりがあるだろうと推測してのことだった。
司書に案内され、ローゼンブルグでも一握りの層しか立ち入ることの許されない区画へと足を踏み入れる。
連綿たる世界の歴史は、この大図書館の片隅に納められていた。
大図書館の資料からは、薄暮の時代の終焉がつぶさに読み取れた。ナニーのデータにも無く、他の地域では既に失われてしまっているオートマタ反乱の終息後に関する様々な情報が、当時発行された新聞やニュース映像として残存していたのだ。
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この大図書館で調査すべき事は多そうだった。使者として遣わした一人をローゼンブルグに滞在させ、大図書館での本格的な情報取得を開始させた。
かつて周辺国家の一部であったローゼンブルグを帝國の領地として吸収していたのが、これ程の僥倖をもたらすとは。
『あなたは誰よりも優れた運を持っている』
ステイシアが消え去る前に言っていた言葉が蘇った。
「―了―」