30ブロウニング4

2837 【カメラ】

メルキオールの地下研究室で、俺は姿を消した二体のオートマタの行方を追っていた。

「現在地を追えるのか?」

「いま走査しているところだ。こちらが仕掛けた網が間に合えば位置はわかる」

グライバッハを殺した真犯人は逃げた二体のオートマタであるとメルキオールは語った。機械による殺人、ならば誰かが命令したことになるが、その正体はまだわからない。

それでも、危険なオートマタが市井に逃げ出したのならば、まずは捕らえるのが先だ。

「あれらは恐ろしく精巧に出来ておる。外見では決してオートマタだとはわからないだろう」

「姿だけでなく、行動も特別なのか?」

「そうだ。だが、その特別さを利用して網を仕掛けることができた」

メルキオールが特別な才能を持ったテクノクラートだということは資料でわかっている。その実績は末端の下級官吏に過ぎない自分とは全く次元の異なるレベルだ。今は彼を信用するしかない。

「もうすぐ居場所が判明する。先にこれを渡しておこう」

メルキオールは小さな棒状の装置を俺に渡した。

「グライバッハが用意していたオートマタの緊急停止スイッチだ。10アルレまで近付いて押せ」

手に収まる小さなスイッチには、大層な仕組みがあるように思えない。

「暗号化されたキーを特殊な通信方法で送るものだ。距離があると使えない。今はこれしか奴らを止める方法は無い」

「もしもの時は銃で撃っても構わないのか?」

「やめておけ。絶対に奴等と会話をしたり攻撃したりしようと思うな。ただ近付いてそのスイッチを押せ。それだけだ」

その時、コンソールがアラート音を出した。

「場所がわかったぞ。階層と階層を繋ぐ輸送シャトルの坑道にいるようだ」

どうやら、オートマタは階層を降りようとしているようだった。管理区域を越えられると捜査が面倒になる。急がなければならない。

「応援はどうする?」

フリードマンが聞いてきた

「本部に連絡すれば挟み撃ちにできるかもしれんな」

「やめておけ」

メルキオールが口を挟んだ。

「何故だ?」

「奴らに無防備な人間が遭遇するのは危険だ。そのスイッチを持った者のみが近付くのが正しい」

「何か危険な武器でも持っているのか? 奴らは」

このオートマタの危険性については聞いておかなければならない。

「ああ、そうだ。気付かれぬように近付いてそのスイッチを押さなければ、皆グライバッハのような目に遭う」

「詳細は言えないと?」

持って回った言い方に苛つきを覚えた。

「言ったところで理解は不可能だろう。そういう類の脅威だ。油断すれば殺されると思っていればいい」

この男に誠実な受け答えを期待しても無駄だということは、この短い時間でもわかっていた。だが、急がなければならないのは確かだ。やるしかない。

「いいか、そのスイッチを言われたとおりに使えば何の問題もない」

「一緒に来るか?」

メルキオールに聞いた。

「いや、そのスイッチのコピーを作れるのは私だけだ。私が死ねばもう誰も作れまい」

「俺達を信用するわけか」

「確率の問題だ。有利な方を選ぶ、論理的な選択というべきだな」

こういう会話は建設的じゃない。実質的な話をしておこう。

「彼らの知覚能力は?」

「人間よりは上だろうが、細かなスペックは不明だ。だが、こちらに有利な点が一つだけある。奴らはこちらが先回りしていると思っていないということだ」

「会敵したときに一瞬のチャンスがあると」

「そうだ。奴らが向かっているのは整備中の127C坑道だ。現在シャトルは通っていない」

メルキオールがコンソールの画面を見せた。

「143Dが平行に走ってる。こちらのシャトルを止めて先回りできるように連絡しよう」

フリードマンとデータを確認する。

「サマリタン通り東24番の作業孔から降りられる。急げ、奴らは移動し続けているぞ」

俺達はメルキオールの地下研究室を出ると、急いで車へ乗り込んだ。

「飛ばすぞ」

ブロウニングは車のアクセルをふかした。サマリタン通りに飛び出し、目一杯のスピードで目的地へ向かった。

「銃はどうする?」

フリードマンが聞いてくる。こいつはこういう状況でイニシアチブを取るタイプではなかった。

「不安なら持っていけよ。俺はスイッチに集中する」

メルキオールの言葉を信用したわけじゃない。直感の判断だ。

車が目的地に着く。フリードマンと共にハッチを開けて階段を降りていく。

「間に合いそうだ。D78のハッチを使え、そこで127Cに出る。奴らの現在位置を送る。待ち伏せのポイントも示しておく」

通信連絡がメルキオールから入った。

「通信は奴らに気付かれる可能性があるので、これで終わりにする。奴らが近付いたらスイッチを押せ。それで全てが済む」

「わかった」

俺とフリードマンはフラッシュライトを片手に、暗い地下道を慎重に進んでいった。D78のハッチを開け、目的の坑道へ出た。

127C坑道にはシャトルレール整備のための機械が雑然と並んでいた。電源が入っていない状態の作業用オートマタが何体も転がっている。

「やばい予感がするぜ」

フリードマンが小さな声で不安を口にする。

「急ごう」

なるべく音を出さないようにして、俺達は待ち伏せのポイントへ向かった。ポイントには退避スペースが作られている。そこに身を隠して奴らを待ち伏せすることになる。

待ち伏せのポイントに着くと、フリードマンはホルスターから銃を抜いた。

「念のためさ」

俺は黙ってスイッチを胸の前で握った。フラッシュライトを消して、奴らが来るのを待つ。

沈黙と暗闇の時間が続いた。遠くの小さな非常灯だけが小さく光る世界には、まるで現実感が無かった。

一五分程待てばいい筈だったが、この沈黙の時間はとても長く感じられた。蓄光材でうっすらと示された腕時計の針を何度も確認してしまう。

それから二〇分程待つと、足音が坑道に響き始めた。フリードマンが銃を構え、自分はスイッチを押す準備をする。

足音は確実に近付いてきていた。姿は確認できない。奴らはライトを使わずに進んでいるのだろう。

音で距離を判断しなければならなかった。確実に近付いてから、そして近付き過ぎる前にスイッチを押さなければならない。

俺は必死に目を凝らして二体との距離を測ろうとした。だが、暗闇が濃くてよくわからない。足音に集中するしかない。

まだ距離は離れているようだった。俺は緊張で何度もスイッチを握り直した。足音の距離はかなり近付いてきていた。

こういう緊張状態は知覚をあやふやにする。できるだけ引き付けてから押すべきだと、俺は決心していた。

足音が止まった。

感付かれたか。奴らの知覚能力はこちらより鋭いだろう。一か八か飛び出してスイッチを押すべきだろうか。

フリードマンに声を掛けて飛び出すしかない。決断は一瞬だった。

「奴らに近付く、バックアップ頼むぞ!」

俺は暗闇の中を飛び出し、オートマタがいるであろう場所へ走った。

後方からフリードマンがライトを照らす。背後からの光で相手の姿が確認できた。オートマタが二体、確かに見えた。距離はギリギリに思えた。

成り行きに任せるしかない。俺はスイッチを押した。すると一体のオートマタがその場で倒れ伏し、もう一体がぐらつくのが見えた。

やったと思った瞬間、自分の周りにいた作業用オートマタの起動音が坑道に大きく響き渡った。

「くそっ!」

立ち上がったオレンジ色の作業用オートマタが道を塞ぐ。そしてその金属の太い腕を振り回してきた。俺がそれを避けようと地面に手を突いた瞬間、背後で銃声がした。

フリードマンも作業用オートマタに襲われているのが目の端に映った。俺の相手をする作業用オートマタが掴み掛かってこようとする。

スイッチを再び押そうとするが、さっき手を突いた時に落としていた。

俺は混乱していた。死が脳裏をよぎる。

俺は踵を返す形で走り出した。暗い坑道で機械に殺されるのは御免だ。俺には家族がいる。任務より大切なものがある。

「やめろっ!!」

その叫び声を最後に、フリードマンは作業用オートマタに頭を潰された。もう勝ち目は無い。逃げるしかない。生きて戻らなければならない。

俺は必死に暗闇を走った。後ろを一度も振り返らず、入り口のハッチを目指した。

ハッチの小さな明かりを見つけ、そこに飛び込む。ハッチをロックして階段を駆け上がった。そして、俺は地上への出口まで辿り着いた。

息は上がりきり、目の前が霞んでいた。落ち着いて耳を澄まし、様子を窺う。追ってきている様子は無かった。どうやら生き残れたようだ。再追跡は時間が掛かるかもしれないが出直すしかない。フリードマンの死や捜査の失敗より、今は生き残った安堵の方が大きかった。

息を整えると、扉を開けて通りへ出て、俺は車の方に足を向けた。

車の横には妻のヘレンが立っていた。

「忘れ物は見つかったの?」

彼女は声を掛けてきた。俺は家族で出掛けるところだった。滅多に取れない休日、家族で公園に行こうとしていた。遠出はできなくても思い出は作れる。

俺は彼女に鞄を掲げてみせた。カメラ用の電池を忘れたのだ。

「さあ、行こう」

息子のデイヴはすでに車の中にいた。後ろの席で手持ちぶさたにしている。

俺は車に乗り込むと、カメラの入った鞄をデイヴの隣に置いた。

「中をいじるなよ」

「うん、わかったよパパ」

デイヴは元気よく答えた。家族で出掛けるのが楽しいようだ。

俺は運転席に座り、車を走らせた。ヘレンはデイヴの隣に座った。

「仕事はどうなの?」

ヘレンが聞いてきた。

「まあまあさ、悪くない」

まあまあどころではない。大きな失敗をしたばかりだった。だが、今はそれを思い出したくはなかった。

バックミラーにデイヴがカメラを手にしているのが映った。

「おい、カメラはやめるんだ」

「この子、あなたの真似をしてるのよ」

「ヘレン、やめさせてくれ。壊れやすいんだ」

このカメラは大した値段ではないが、骨董品で壊れやすい。俺はヘレンに頼んだ。

「さ、デイヴ、ママに貸して」

デイヴはまだカメラを振り回していた。

「パパの大事なカメラだから」

ヘレンはデイヴからカメラを取り上げようとする。

その時、目の前の道路に検問らしきものが見えてきた。近付くにつれてそれが物々しい、武装された捜査局の道路封鎖だというのがわかった。

「おかしいな、こんな場所で……」

俺が呟き、車のスピードを落とそうとした時だ。

「進んで! 私達殺されるわ!」

ヘレンが声を上げた。カメラを手に握っている。

「パパ、怖い! 早く行こう!」

後ろのデイヴが俺の肩を掴んだ。

「大丈夫、パパはやってくれるわ」

ヘレンはデイヴを抱きかかえた。

そうだ、逃げなきゃいけない。俺には守るべきものがある。

「心配するな」

アクセルを思い切り踏み込んで検問へ向かっていった。必ずやり遂げなければいけない。家族を守るんだ。車両と車両の間を目掛けて猛スピードで進む。

封鎖している捜査局の車両の影から、一斉に発砲炎が上がるのが見えた。

横転した車から飛び出した女性形のオートマタが一斉射撃を受ける。四肢に銃弾を受け、オートマタは回転するように地面に叩き付けられた。

「こうしなければ、もっと被害が出ていただろう」

捜査車両の裏で、メルキオールはレッドグレイヴに言った。

「家族には暫くしたら適当な死因を伝えなさい。今回の混乱については、一切を口外無用とする」

レッドグレイヴは秘書に事務的に伝えた。

俺は車の再生装置にデジタル化したフィルムのデータを再生した。

両親と自分のシーンが過ぎて真っ黒な画面が続く。再生を止めようとすると、その暗闇に瞬くような光が写ったような気がした。

ゆっくりとコマ送りをしていくと、何か静止画が紛れている。

コントラストが淡く、そのままでは何が写っているかわからない。捜査用の特別な画像処理を施す。

探偵にとって証拠写真の処理は業務の一部分だ。何が写っているのかを調べるのは慣れている。

そうして、三枚の奇妙な画像が抽出できた。

――一つは、変哲のない路地の写真。

――もう一つは、コンクリートの壁にかかれた『127C』という文字。標識のようだ。

――最後の一つは、壊れた作業用オートマタの認識番号。

これらがヒントらしい。

画像の内容を解析する。路地の写真はすぐに場所が判明した。

オートマタの写真は、形から地下整備に使われる汎用作業オートマタだとわかった。

標識については時間が掛かったが、それは地下を走るシャトルの坑道の番号だった。

そこに行く必要がある。ヒントから得られた答えは明白だった。

坑道へのアクセスは意外と簡単だった。作業孔の鍵は簡単に開いた。どうやらこの区画は使われていないらしい。

下に降りると、写真と同じ場所に辿り着く。

坑道の一部が崩れている箇所があり、そこに貼られている非常線のテープはボロボロだ。崩れた後にそのまま放棄されたのだろう。

フラッシュライトを片手に坑道を進む。放置されたままの状態で工作機械や作業用オートマタが散乱していた。

転がっている作業用オートマタの番号を一つずつ確認していく。五、六台も探したところだろうか、ついに写真に写っていたオートマタが見つかった。

四肢はもがれ、中身もぶちまけられていたが、電子頭脳は無傷で残っているようだった。

「こいつなのか……」

俺は電子頭脳の記憶装置部分だけを取り出して、持ち帰った。

「―了―」