66エプシロン1

—- 【狩り】

エプシロンの眼前で、青年が必死の形相で何かを叫んでいた。

青年の顔は朧気で、どんな声色で喋っていたのか、自分に向かって何を叫んでいたのか、何も思い出せない。

だが、青年が纏う煙草の香り。自分とその青年で分け合ったその匂い。

それが、エプシロンがエプシロンとなる以前の、ただ一つの記憶だった。

灰と白と黒が混ざり合うゲートから、エプシロンは自身の主がいる場所へと帰還した。

肩に背負った巨大な箱には、先程までゲートの向こう側で探索していた世界の物質や動物、知的生物の死骸が詰め込まれている。

目の前に見える巨大なゼリー状の物体が、主とエプシロンが拠点としている家屋だ。

手をかざすと、家屋の一部がぷるぷると震えて大きな穴を開ける。

躊躇うことなく穴の中に入ると、穴はやはり震えるようにして塞がった。

「……帰った」

一言呟けば薄暗い家屋に明かりが灯る。ぷよぷよとした軟体生物がエプシロンの帰還を察知し、必要な明かりを点灯させた。

ここでは用途に合わせて調整された軟体状の創造生物があくせくと働いており、家屋を汚れ一つ無い状態に維持している。

エプシロンは軟体生物達を一瞥すると、家屋の地下へと続く自動昇降機に乗る。

地下を示すボタンを押すと、微かな振動と共に昇降機は動き出した。

家屋の主でありエプシロンの創造主である存在は、家屋の地下にある研究室に籠もって、今日も自らの知的好奇心を満たすために何かを行っている。

「ウタウス族種超再生細胞の含有率によって軟体の寿命に及ぼす影響の――」

地下研究室の扉を開けると、水中にいるようなくぐもった独り言がエプシロンの耳に入る。

「戻った」

声を掛けるとぺたぺたという粘着質の足音がして、エプシロンに似た二足歩行型の軟体生物が姿を現した。

軟体生物ではあるが、この家屋で働く他の軟体生物と違い、頭頂部に球体が収まっている。

この球体こそが本体であり、エプシロンの主だ。自身を指して『技師』と称しており、エプシロンには理解不能な『研究』と称することを長い時間行っている。

「お帰り、我が子エプシロン。さあ、採取したものをそこに並べて」

技師に言われたとおり、エプシロンは巨大な箱から次々と採取物を取り出した。

金属質なのに触れれば容易く崩れ去る岩、暗い灰色をした金属でできた生命体の頭、そういった物を次々と大きな机の上に並べていく。

最後に、エプシロンと似た姿をした知的生物の死骸を置いた。この死骸は顔の造詣や体格こそ違うが、エプシロンに似通った姿をしている。

「同じ姿をしている知的生物に惹かれるものがあるの? 本能かな? とても好ましいことだと思う」

技師はゼリー状の体を笑うように震わせた。エプシロンの行動が好ましいとでも言いたいかのようだ。

「……知的生物の死骸が必要といったのは主だ」

「確かに言った」

「それと、興味深いことがあった」

その言葉に、技師は体を震わせるのを停止した。

「それは気になるね。我が子、お前がそのような感想を抱くのは、今まで観測されたことがない」

「そうだったか?」

「そろそろ栄養摂取の時間だし、食事をしながら聞くことにしようか」

技師はそう言うと、手元のスイッチを押す。

粘着質の音と機械の音が響き、採取物を置いていた机が床に吸い込まれていく。

机が吸い込まれると同時に、天井から食卓と二脚の椅子が降りてきた。食卓には湯気の出る青緑色の液体で満たされたボウルと、よく焼かれた何かの動物の肉が入った皿が置かれている。

「今日もよくできている。早速いただこう、我が子。そして話を聞かせて」

技師が椅子に座るのを見ると、エプシロンも席に着いた。

食事をしながら、エプシロンは採取してきた知的生命体との遭遇体験を語る。

エプシロンが訪れたのは、金属の巨大生命体が闊歩する金属の世界だった。その世界は全てが灰色と金属で構成されており、一定以上に柔らかい生物ならば歩くこともままならない世界だった。

金属の巨大生命体が闊歩する中、堂々とエプシロンは素材を収集していく。

主である技師がエプシロンに取り付けた装置により、エプシロンはその世界で生きる生物として認識されるようになっている。

巨大生命体の目から見たとすれば、エプシロンは彼らの幼体か、この世界の取るに足らない生物か何かが歩いているように見えるだろう。

採取を続けていると、遠くから戦闘をしているような音が響いてきた。

何事かと思ったエプシロンは、巨大生命体の影に隠れてその音がする方に近付いていった。

そこでは、エプシロンと同じような姿をした二足歩行の生物が、金属の巨大生命体と戦いを繰り広げていた。

遠目ではあるが、彼らはかなりの武装を持っており、巨大生命体に対して一歩も引かぬ戦いを繰り広げている。

何より目を見張ったのが、その連携だった。

彼らは確実に巨大生命体を倒すために、各個がその行動に役割を持ち、頭領と思われる生命体の指示に完璧に応えていた。

巨大生命体は、その動きが緩慢である故に、小型の生物から連携をとって攻撃を受けると為す術がない。その巨体は無力な生物を慈悲なく踏み潰し、同じ生命体同士の戦いでこそ、力を十全に発揮する。がしかし、このような集団戦にはめっぽう弱い。

それくらいのことは、学習上の知識としてしか戦術を知らないエプシロンでも理解できた。

「関節を狙え! 撃ち続けるんだ!」

「コアの回収はまだか!?」

「あと十分です!」

技師に持たされた翻訳機――回収に値する知性を有した生物か否かを暫定的に判断するためのものだ――を通して聞こえてきたのは、怒声だった。

彼らが何処から来たのか、何を目的として金属の巨大生命体と戦っているかはわからない。しかし、彼らの戦闘状況にほんの少しながら既視感を覚えた。

遠目から見える連続した閃光や彼らの振るう剣のような武器を、エプシロンはどこか懐かしい思いで見つめていた。

金属質の岩陰でその戦闘を眺めていたエプシロンの頭上を、巨大生命体と戦っていた一匹の知的生物が吹き飛ばされていく。

上半身と下半身を真っ二つにされて、臓物と血がエプシロンを濡らす。

「ふむ……」

この知的生物も素材として収集しておこう。先程の連携と言葉の複雑さから、エプシロンはそう判断した。

愛用の剣を取り出し、空間を切り裂く。その空間の亀裂に手を差し入れると、先程エプシロンの頭上を過ぎていった知的生物の残骸がある場所へと繋がった。知的生物の残骸を上半身下半身共に回収する。

惜しむらくは真っ二つにされた箇所が潰れており、あまり原型を留めていないことだった。とはいえ、貴重な情報が詰まった頭部が無事なら、技師も文句は言わないだろう。

岩陰で知的生物の鮮度保存作業を進めていると、背後からこの知的生物と同じ生物の怒声が聞こえてきた。

「くそっ! 撃て! 撃ち続けろ!」

「フリードリヒ! 前に出すぎだ、下がれ!」

エプシロンの仕事はこの知的生物に助力することではない。この知的生物を技師のための素材として持ち帰ることである。

作業を進めている内に戦闘は終了した。もう知的生物達の姿は無かった。

残された巨大生命体の頭を解体して回収し、エプシロンもその場を去った。

だが、エプシロンと似て非なる二足歩行の知的生物に向かって呼び掛けられた「フリードリヒ」という言葉。それがやけに耳に残っていた。

「我が子よ、その言葉は何のことであると思う?」

意外にも技師は「フリードリヒ」という言葉に食いついた。

「おそらく名前だと思う」

「何故そう思ったの?」

「……わからない。だが、それが名前であるという確信がある」

「持ち帰った知的生物の記憶が読み取れれば、はっきりするかもしれないね」

殊の外興味を惹かれたのか、技師は食事を疎かにしてまでその言葉のことをエプシロンに深く尋ねる。

「そう、なのか?」

「これは仮説。我が子が採取してきたあの知的生物は、我が子の素材となった知的生物と共通点がある。あの生物の生物的類型が判明すれば、我が子。お前をよりよく改良できる」

「俺の素材……」

「そう。理知的且つ感情豊かで、輝かしい完璧な肉体を持つ生命の創造。我が悲願に辿り着くための礎である我が子。かのフリードリヒなる言葉、それを名であると認識せしめたその知性を更に高めるためにも、次からはあの知的生物を見つけ次第採取せよ」

技師は食事も他所にエプシロンに愛する者を前にしたような、甘くとろけるような声色でそう命じた。

「生命活動の是非は?」

「武装し、抵抗するようなら死骸でも構わない。無抵抗なら生きていた方が好ましい、かな?」

「わかった。食事と睡眠が済み次第、新しい座標へと出発する」

「ああ、なんと素直な我が子。嬉しい、嬉しいよ」

技師はゼリー状の体をくねらせると、技師の感覚で言う愛情を注ぐために、エプシロンの体を撫で回した。

「―了―」