43ビアギッテ3

3365 【契約】

ビアギッテは狭い路地を男と一緒に走っていた。

「こちらです!」

「ええ!」

迫り来る犯罪組織の追っ手から逃れるために、男は冷静にビアギッテを導いていく。

ビアギッテがこの男と出会ったのは、病院だった。

どこかの倉庫で怪我をして倒れていたところを、この男が発見して病院へ運んでくれたのだった。

ビアギッテは、クーンと名乗ったこの男を利用することにした。

「父の借金を返すために犯罪組織に売られて、今まで無理矢理に働かされていたの」

「それはさぞ辛かったでしょう……」

虚実入り混じった過去を語り、クーンの同情を引いた。

この男、倉庫で倒れていた見ず知らずの女を病院へ運び、手当てを受けさせる程にお人好しな人物だ。クーンはビアギッテの言葉をあっさりと信じた。

利用するだけ利用して、用済みになったら捨てればいい。ビアギッテはその程度に考えていた。

だが、事はそう簡単にいかなかった。

ただの情婦ではなく、秘書としてプライムワンの深部に関わっていたビアギッテである。そんな彼女を組織が見逃す筈がない。

そして、そのビアギッテをクーンは匿ったのである。クーンもまた、プライムワンの追跡対象となってしまったのだった。

「疲れたわ」

追っ手を振り切った先の安宿で、ビアギッテは気怠げにクーンを見やる。

今回の追っ手はいつになく執拗だった。いつ、この安宿に現れてもおかしくない。

「逃げるのが辛いのですか?」

「逃げ続けるのに疲れただけ。でも、あいつらから逃れるのは難しいわ。手っ取り早くデラクルスを殺せればいいんだけど、それもね……」

深い溜息を吐いて、ビアギッテは飲み物を飲み干す。

酒に逃げることができればよかったのだろうが、いつ何が起こるかわからない。それは憚られた。

「ならばその願い、私が叶えて差し上げましょう」

思いもよらぬ言葉に、ビアギッテは目を瞬かせた。今までずっと紳士的だったクーンの笑みが、随分と邪悪な微笑みに変わったように見えた。

「嘘よ。そんなことが可能なら、とっくに貴方は追っ手を殺しているわ。違う?」

「この姿を見ても、そのようなことが言えるかな?」

クーンの姿が黒い影に包まれ、その影から無数の赤い瞳が現れた。

クーンが人ならざる者であることは、一目で理解できた。

「なら、なぜ今までこの姿を隠していたのかしら?」

人ならざる者との邂逅だったが、ビアギッテは怖じ気付くことなく質問を重ねる。

組織から追われ続ける恐怖が続いていた。自らに危害を与えないのであれば、どんなものであろうと構わなかった。

「これは契約である。美しきビアギッテ、私は貴女の従者となって願いを叶えよう。その代わり、貴女の気高く美しい魂は、貴女の死後に私の物となる」

無数の赤い瞳がビアギッテの全身を貫くように見据えている。

「私の願いは、一体いくつ叶えられるのかしら?」

ビアギッテはその瞳の視線にたじろぐどころか、強く見返した。

「貴女の魂が輝き続ける限り、永劫に」

「そう。なら手始めに、私を陥れたカバネルを殺して頂戴。貴方の力を証明して」

「いまここに契約は為された。ビアギッテ様の御心のままに」

クーンは影から人の形に戻ると、恭しくビアギッテに跪いた。

その日の深夜、ビアギッテはクーンの力を使って、自身を嵌めたカバネルの住居へ侵入した。クーンが言った『願いを叶える力』が本物かどうかを確かめるため、クーンに付いてきたのだ。

住居の特定も、そこにカバネルがいるかどうかも、全てクーンが力の一端として簡単にやってのけた。

「着きましたよ、ビアギッテ様」

「本当に何でも叶うのね」

「私の力をもってすれば、不可能なことなどありません。それで、これからどうなさるおつもりで?」

「言ったはずよ。奴を殺してって。その後は、他の奴らもみんな殺すわ」

「仰せのままに」

ビアギッテは寝室の扉を開ける。

カバネルは就寝前の飲酒を嗜んでいた様子で、くつろいだ姿でいた。

「はぁい、カバネル。元気にしていたかしら?」

「ビアギッテ! 貴様、どうやってここに!?」

幹部であるカバネルは身辺警護に余念を欠かさなかった。にもかかわらずどうやってか侵入し、自身の眼前にビアギッテが立っている。動揺は隠せなかった。

「答える必要なんて無いわ。どうせ貴方は死ぬのだから」

「ふん、たかが情婦に何ができる!」

そう言ってカバネルはサイドテーブルに置いてあった護身用の拳銃を手に取り、ビアギッテに向けて発砲しようとする。

その動きに並行するように、寝室に風を切る音が流れた。

カバネルの拳銃は床に落ちていた。

「あ、え、あ……ど、どうなっている?」

あまりにも一瞬で起きた事象に、カバネルは現実を認識できていない。

身を屈めて床に落ちた拳銃を拾おうとしたが、その拳銃の銃把には自分の手首から上がくっ付いている。

ようやく、カバネルは自分の手が何かによって切り落とされたことを認識した。

「あ、あ、俺、おれの手が、何故!? い、ぎ……」

「無駄よ」

乾いた銃声が二発響く。

ビアギッテは、カバネルに叫ぶ暇すら与えなかった。

侵入した時と同じように、ビアギッテはクーンの力で無事にカバネルの住居から逃げ延びた。

その帰りすがら、ビアギッテはふと思い立ったように口を開く。

「クーン、一つだけ隠していたことがあるわ」

「おや、それはどのようなことでしょうか?」

「私、死なないのよ。何年経ってもずっとこのままなの」

「なんと! それは素晴らしいことです」

逃亡生活の中で、ビアギッテはプライムワンに拾われる前の自分をぼんやりと思い出していた。

だが、クーンはそれ以上の事は聞かなかったし、ビアギッテもそれ以上何も言わなかった。

「ひ、やめ……! うぶっ……!」

カバネルを殺した後は、同じようにして己の顔を知る幹部達を次々と殺害していった。

クーンの力を使えばわざわざ彼らの所へ出向く必要もなかったが、彼らの傲慢な顔がみるみるうちに恐怖に染まっていくのを見るのが楽しくなっていた。

「おおお、オレは何もしていない! ぎゃあああああ!」

ある者は自身の潔白を証明しようとした。

「これをやる! なんならこの屋敷も、儂の全財産もやる! だ、だから!!!!」

ある者は金を差し出して命乞いをしようとした。

彼らの誤算は、ビアギッテが利権欲しさに殺戮を続けていると思ったことだ。

ビアギッテにとっては、誰が何を言おうが、どう抵抗しようが関係なかった。

彼女の頭には、自分の身を脅かそうとする者を例外なく殺すこと、それと殺戮を楽しむこと、この二つしかなかったのだ。

半月も経たぬ内に幹部が次々と殺害されたプライムワンは、混乱に陥っていた。

ビアギッテは最後の殺戮の場として、プライムワンの本部を選んだ。

クーンの力で、デラクルスのいる場所へと空間を渡る。そこはボスと幹部が大規模な会議を行う際に使う、大きな部屋の前であった。

ビアギッテは躊躇せずにその部屋の扉を開けた。

そこでは、生き残っていた幹部達とデラクルスが、殺された幹部の後釜についての話し合いをしている最中だった。

騒然となる室内。ビアギッテは部屋にいる者達を見回すと、最奥の中央に座るデラクルスに微笑みかけた。

「こんばんは、ボス」

「やはりお前か。ビアギッテ」

デラクルスは動じることなく、不遜に笑った。

「カバネルが最初にやられた時点で予想はしていた。だが、お前にここまでの力があるとはな」

「そう。じゃあ、これから何が起きるかもわかっていらっしゃいますわね?」

「ああ。だが俺もプライムワンのトップ。昔の女にやられたとあっちゃ面目が立たん。やれ!」

デラクルスの合図と共に、ビアギッテに向けて一斉に銃弾が発射される。

避ける暇など無い。ビアギッテはその身に全ての銃弾を受け、仰向けに倒れた。

ややあって銃声が収まる。倒れたビアギッテに立ち上がる気配は微塵もない。

「ふん。所詮はこの程度か。見込みのある女だと思ったのは、やはり見当違……。うぐっ……」

ビアギッテが死んだか確認しようとデラクルスが立ち上がったその時だった。

焼け付く痛みと共に、デラクルスの仕立ての良いスーツから血が滲む。

他の幹部も同様だった。ビアギッテが受けた銃弾の傷がそのまま彼らに転移したかのようだった。

「が、あが……!」

「ひ、いて、ああああああ!」

ボスと幹部の悲鳴と呻き声が部屋を埋め尽くす。そうして静かになった後、ビアギッテはゆらりと立ち上がった。

「これが私の力。気持ちよかったでしょう?」

「お見事です。ビアギッテ様」

「さ、行きましょ。ここにもう用はないわ」

デラクルス達のことなど見向きもせず、ビアギッテは扉を開け放った。

「そのようで。次は何をなさいますか?」

「家が欲しいわ。歴史があって綺麗な家なら最高よ」

「畏まりました。夕食の時間までには用意しましょう」

その言葉にビアギッテは笑みを浮かべ、部屋を後にする。

静かになった部屋の中には、血の海に倒れ付す幹部達とデラクルスが残された。

「―了―」