3398 【悔恨】
フロレンスは実の父親と並んで歩いている。
父親が着込んでいる鎧には無数の傷が走っていた。その傷こそが、ブラフォード卿を守っていた証のように見えた。
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父親は連合国兵として戦った戦士だった。兵士に志願した理由は聞けずじまいだったが、誇りを持って務めていたことは確かだ。
母親という存在を夢物語でしか知らないフロレンスにとって、父親は唯一の肉親であった。様々な軍務で忙しい父親だったが、フロレンスと一緒の時は、限りのない愛情を注いでくれた。
「お父ちゃん……」
父親に語り掛けた声は、フロレンス自身でも驚くほどに幼いものだった。
しかし、父親はフロレンスの方を振り向かない。その横顔は何も語らない。
フロレンスは前を向き、父親と並んで歩く。
「お父ちゃんが死んじゃってから、色々な事があったんだよ」
フロレンスは子供のような口調のまま、父親に話し始めた。
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「私はルビオナ王国軍に入隊したいと思っています」
十五歳の時、フロレンスは養父にはっきりとそう告げた。
実父のような強い戦士になりたい。それがフロレンスの夢であった。
少しでも実父に近付きたい。軍人になって国を守りたい。
幼い頃からの夢は、貴族の養子となっても変わらなかった。
「確かに、我々貴族には軍に入隊する義務がある。がしかし、女子であるお前はその限りではないのだぞ?」
養父の口ぶりは、フロレンスの意志を認めつつも、貴族として負うべき義務を為す方法は他にあると言いたげだった。現に、義姉のイライザは慈善団体での活動に従事している。
「お心遣い感謝します。ですが、私は目指すべき場所を見つけているのです。これを譲ることはできません」
「……わかった。お前が納得しているのなら、私は止めぬ。だが忘れるな。お前は私達の家族だ。もしお前に大事が起きれば、皆が心配し、悲しむだろう。そのことは必ず覚えておいて欲しい」
「お養父様……」
気高く慈悲深い養父。民族のしがらみに囚われることなく、実父と変わらぬ愛情を注いでくれた養父。養父の役に立ちたい。養父が忠誠を誓う国と女王へ貢献することで、今までの恩返しとしたい。
過去からの夢と現在の願い。それらが両立できることこそが、ルビオナ王国軍への従軍であった。
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実父の隣を歩き続ける。実父は自分に歩調を合わせてくれているように思えた。
「オーロール隊ってあるでしょ?」
やはり何も話さない実父に、フロレンスは今までのことを語り続けた。
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王宮兵に配属されてから数年が経った頃のことだった。フロレンスは大隊長の執務室に呼び出されていた。
「オーロール隊への配属試験、ですか?」
「そうだ。近々任期が切れる者が出るため、新たに隊員を選定したいとのことだ」
オーロール隊はルビオナ王国軍の中でも特別な王宮守護部隊だ。当然、一握りの腕利き兵士のみで構成されている。つまり、オーロール隊に配属されるということは、軍の中でも一際有能であると認められるに等しいのだ。
しかし、求められる技量や家柄などの水準は非常に高く、加えて、部隊長か佐官以上の軍人からの推薦が必須であった。
「配属試験は厳しいが、君ならば必ず突破できると信じて推薦したい」
「光栄の至りに存じます。何処までできるかわかりませんが、ご期待に応えられるよう、全力を尽くします」
フロレンスは言下に頷いた。これは紛れもなく出世の道であり、偉大な実父と養父に近付くことができる。フロレンスは王国軍最高峰の部隊を目指して、決意を新たにした。
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「でも、戦争は無慈悲だった。しかもその後のテロのせいで、王国も少数民族を排除しようとした」
トレイド永久要塞が陥落し、オーロール隊の副隊長となってからは苦難の連続だった。
民族同士の軋轢に苦しめられるだけでなく、自身の誇りも汚された。
「それでも、お父ちゃんが敬愛した人達と国を守りたかったんだ」
養父達に迷惑が掛からぬように出奔し、その先でメルツバウの大公に出会ったことも話す。
「リュカ大公って知ってる? メーアの皆のことを受け入れてくれて、住居と仕事をくれたんだよ」
少数民族の排斥が始まってからさほど経たない段階で、フロレンスの出身部族であるメーア族はルビオナを追われ、東方の国であるメルツバウへと移住していた。
部族の皆のことは気掛かりだったが、今更どのような顔で会いに行けばよいのかわからず、結局は会えずじまいだった。
皆が無事に暮らしていることがわかっただけでも、満足だった。
「リュカ大公は、どんな民族も関係なく平和で平等に暮らせる世の中を作ろうとしてるんだ」
リュカの理想は、フロレンスの悩みであった『民族間の争い』を解決するために必要なものであった。
そしてリュカは、その理想を叶えるに相応しい実力と権力を持ち合わせている。
「リュカ大公のお考えはブラフォードのお養父様と一緒。だから、私は大公の護衛になった。大公は敵が多い方なんだ。民族の融和なんて不要だっていう人が大勢いたからね」
リュカを狙うテロリストは後を絶たない。幾度もリュカは命の危険に曝されていた。
そんな危機からリュカを守る家臣団。その一団に加わりたい、少しでも力になりたい。その対価としてルビオナの情勢に関する仔細を求められたが、国と民族に平和をもたらすためであれば、道義も構っていられない。
フロレンスはそう思い、進んでリュカの護衛となった。
「リュカ大公を死なせるわけにはいかなかった。大公以外に連合王国を平和に導いてくれる人はいないもの」
だから、自分の命を投げ打ってテロを防いだのだと。実父に語った。
「私、お父ちゃんみたいになれたの……かな?」
実父の歩く速度が早くなった。
「お父ちゃん……」
フロレンスの呼び掛けに、実父はやはり何も応えなかった。そして、フロレンスのことを一顧だにしないまま、遠ざかっていった。
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不意に、一定の間隔で鳴り響く音がフロレンスの耳に届いた。
目は開けることができなかった。痛みは無いが、自分の身体がどうなっているのかわからない。声すら出すことができない。そんな幾許かの体力さえも、フロレンスにはもう無かった。
自分のいる場所がおそらく病室であろうということは見当が付いたが、それだけだった。
むしろ、意識が戻ったことが不思議でさえあった。
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「無様だな」
アスラの声が聞こえた。
彼がここにいるということは、あの夜に尾行したのは、やはりアスラだったのだ。
アスラのことは、無駄を嫌い、効率と合理を求める者だと聞かされていた。
であればこそ、自分の生死を確認に来ている。
あの時の尾行はやはり気付かれていたのだ。テロリストとの関わりを知る者は確実に消すつもりなのだろう。
腕に何かが触れる感触があった。痛みは感じなかったが、自分の身体に何かを入れられたことはわかった。
何もできずにこのままアスラに殺される。そのことをはっきりと自覚した。
それを思うと自然と涙が零れ落ちた。意識が遠のいていく。
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しかし、フロレンスは死に恐怖してはいなかった。
フロレンスの胸中には、唯々悔しいという思いだけがあった。
――エイダのように誇り高きオーロール隊の職責を全うできなかった己。
――アスラが腹の底に抱える悪意をリュカに知らせることができなかった己。
あぁ、こんな自分だからこそ、微睡みの中の実父は自分のことを見てくれなかったのだろう。
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「貴様は弱い。故に何も守れない」
アスラの冷たい声が聞こえた。
その言葉が、たまらなく悔しかった。
悔しさだけを噛み締めたまま、フロレンスの意識は闇に沈んでいく。
その意識は、二度と浮上することはなかった。
「―了―」