—- 【決断】
三三九四年。女王アウグステの急逝により、新女王として王位継承第一位のアレキサンドリアナが新女王に即位した。
アレキサンドリアナはオーロール隊に所属する腕利きの戦士、フロレンス・ブラフォードを護衛騎士として、政の世界へ足を踏み入れた。
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とはいえ、弱冠十二歳の新女王に国の運命を全て託すことはできない。執政は周りの有力公家が行い、現在はあくまでも奉られるだけ。
それでも、アレキサンドリアナはただ奉られるだけをよしとはせず、執政を行う公家や貴族に師事し、女王として相応しい知性と力を備えようと奮闘していた。
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そんな中、執政を行う大臣の一人が、アレキサンドリアナに相談役を置くことを勧めてきた。
「相談役、ですか?」
「はい。我が家系の者でございますが、特に政治的知識に秀でた女子がおります。この者であれば陛下と年齢も近く、よき話し相手にもなろうかと」
「フロレンス、どう思いますか?」
「私に助言できることは何もありません。陛下の御心のままにお決めください」
「……そう」
フロレンスは腕利きの戦士であり、国への忠誠心も人一倍強い。女王を守護する護衛騎士としての実力は申し分ない。しかし、女王の護衛騎士としての職務を全うしようとするフロレンスに、アレキサンドリアナは少しだけ物寂しさを感じていた。
今のアレキサンドリアナには長年の信頼や絆を持った家臣がいない。その身には大きすぎる玉座を、兄弟姉妹のように親身に支えてくれる者が欲しかった。
「では、その者と会ってみましょう」
「畏まりました。随伴させておりますので、しばしお待ちください」
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程なくして、大臣は白髪に白皙の美貌を持つ女性を伴って現れた。
「ノイクロームと申します。女王陛下、お目にかかれて光栄です」
「女王として至らぬ私ですが、何卒よろしくお願いしますね」
「陛下に忠義を尽くします」
ノイクロームと名乗った女性は、アレキサンドリアナに傅いた。
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ノイクロームは大臣が大きな自信をもって推薦した女性なだけあり、非常に優れた知見を持っていた。通常ならば返答に困るようなアレキサンドリアナの質問にも、様々な視点の解釈を交えて答え、女王の政治的観点が偏ったものにならないように導いた。
こうして、執政を行う公家の手を煩わせることなく、アレキサンドリアナは国政について更に深く学んでいくこととなった。
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「この字は……」
政務の最中、見覚えのある筆跡の承認書類が目に留まった。
「陛下? 書類に何か不備でもありましたか?」
承認書類を眺めたまま手が止まっているアレキサンドリアナ。そんな彼女を不思議に思ったノイクロームが声を掛けた。
「あ……ごめんなさい、懐かしい字が見えたのです」
「文字だけで弁別されるとは。余程親しい方なのですね」
「エイダ……、いえ、今はラクラン卿と呼ばねばなりませんね。ラクラン卿はフロレンスの前に私の護衛騎士を務めていた者です」
随分と久しぶりにその名を口にした気がした。アレキサンドリアナは懐かしい名前を噛み締めながら目を伏せた。
エイダはつい一年ほど前までアレキサンドリアナの護衛騎士を務めていた人物だ。アレキサンドリアナが幼い頃から護衛として、そして良き話し相手として傍に仕えていた。
だが、エイダの父であるラクラン卿が急死したことを受け、父親の跡を継ぐために護衛騎士を辞していた。現在は執政補佐官として実務に携わっていると聞いていた。
「ラクラン卿は元気にしているでしょうか」
「あの方でしたら、同年代の中でも出世頭として有名です。今は地盤固めに奔走しておられるようですが、早ければあと十年少々で国議会員としての姿が見られるだろうと、もっぱらの噂ですよ」
「そう。私もそれまでには、きちんと国を動かせるようになっていなければなりませんね。エイダに恥ずかしい姿は見せられません」
「陛下は誰よりも勤勉でいらっしゃる。そう遠くないうちに実現できるでしょう」
「そうだとよいのですが……」
「自信をお持ちください。陛下が胸を張らなければ、国民も不安に思います」
「その通りね。ごめんなさい」
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それから数ヶ月後、ルビオナ連合軍がトレイド永久要塞にて大敗を喫したとの緊急連絡が舞い込んできた。
トレイド永久要塞にはオーロール隊も戦列に加えられており、防衛体制は完璧だと考えられていた。そのトレイドでの敗報である。王宮は揺れた。
生還したフロレンスや兵士の報告によれば、グランデレニア帝國は不気味な技術を使い、死者の軍勢を生み出してトレイドを死で染め上げたのだという。
『死者の軍勢』という不気味なものの存在に、ルビオナは恐れ戦いた。
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トレイドでの敗北により、ルビオナ王国軍は再編を余儀なくされた。
特に王宮、王族を守護するオーロール隊を完全な形に再編することは急務であった。
トレイドから唯一生還したフロレンス・ブラフォードを隊長に据えての再編が順当であると思われたが、ここで大きな問題が発生した。
「確かに彼女はブラフォード卿の御息女であるのは間違いない。しかしだ、彼女は少数民族の出身であり、そういった出自の者を王宮守護部隊の隊長とした前例は無い」
ルビオナ王国の貴族達は非常に保守的であった。フロレンスはその出自のみが問題視された形となった。
「他に適任はいない。オーロール隊の隊員はあの者を除いて全員が戦死したのだからな」
「陛下の護衛騎士でもあったし、順当だろう」
「あれは執政補佐官のエイダ・ラクラン卿の推薦があったればこそだ」
「いや、待て。ならばそのラクラン卿を復隊させるべきなのでは?」
「退役した者を軍に呼び戻すのか?」
「適任者がいないのだ。彼女はラクラン卿の立場を引き継いでからまだ間もない。軍へ呼び戻すのであれば今しかない」
「だが、退役軍人を復帰させることのリスクは無視できん」
軍再編の会議は、オーロール隊の隊長を誰に任せるかに終始した。
アレキサンドリアナもその会議に参加していたが、その時は黙って聞いていることしかできなかった。
◆
アレキサンドリアナは政務の間も、オーロール隊の件について悩んでいた。
「お顔の色が優れませんね、陛下。何か悩み事がおありですか?」
「ノイクロームは何でもお見通しなのですね……」
「何なりと私にお話し下さい。私はそのためにいるのです」
ノイクロームの言葉に、アレキサンドリアナは一度ゆっくりと深呼吸する。
「……エイダは強い意思でお父上の跡を継ぐと決めました。それを我々が捻じ曲げてよいとは、到底思えません」
「議会に異議を申し立てるおつもりですか?」
「私はなるべく犠牲を少なくしたいのです。エイダの選んだ道が閉ざされぬように、講和を含めて、一刻も早い戦争の終結を望むべきではないかと考えています」
「それは無理でしょう。トレイドが陥落した今、帝國は勢いづいています。その状況で戦争の終結を望むということは、この連合国が敗北することと同義です」
「説得や講和の余地すら無いのですか……」
「はい、ございません。そして敗北することで、民は苦難を強いられることとなります。陛下はルビオナ連合国の全てをその危険に曝せるのですか?」
いつに無く彼女の口調は厳しいものだった。甘い考えは捨てるべき、そのような心情が言葉の端々から窺える。
「陛下の家臣を思い遣るそのお心は美徳です。ですが、今はお捨てになるべきです。今は帝國の野望を食い止め、如何にして逆転し、勝利するか。それらを考えるべき時だと存じます」
ノイクロームは言い切った。彼女の言う通り、今の戦況に予断は許されない。
議会に反発されない者がエイダ以外にいないのであれば、彼女を軍へ復帰させるしかない。それしか道はないのである。
「甘えたことを言ってごめんなさい。私も覚悟を決めなければなりませんでした」
アレキサンドリアナは、ノイクロームの目を見つめて頷いた。
◆
「エイダ・ラクラン卿をルビオナ王国軍オーロール隊へ復隊させましょう」
翌日、再度開かれた再編会議で、アレキサンドリアナは静かにそう告げた。
新女王が執政へ意見したのは、これが初めてであった。
◆
アレキサンドリアナの招聘により、エイダ・ラクランのオーロール隊への復帰が確定した。
全てが決定したその三日後、新生オーロール隊の配属式が執り行われた。一年ぶりに見たエイダの姿は、以前にも増して凛々しく見えた。
「この身の全てを捧げる所存です」
「オーロール隊の活躍を、期待しています」
エイダを隊長、フロレンスを副隊長とした新生オーロール隊は、長い隊史上最も若い隊長と副隊長の就任をもって、ここに結成された。
◆
その瞬間だった。
「ここに、因果の歪みは正された」
ノイクロームの声と共に、周囲の空間が歪んでいく。
アレキサンドリアナも、エイダも、フロレンスも、時が止まったかのように動かない。
歪んだ空間は、ノイクロームの掌に白い球体となって収束していく。
「女王陛下の選択、お見事でした。陛下の意思が正しき因果を手繰り寄せたのです」
ノイクロームは芝居がかった口調で、アレキサンドリアナに向かい優雅に一礼する。
「では、陛下。いずれ訪れる正しき因果での再会を楽しみにしております」
アレキサンドリアナの全てが白く包まれる。
それはどこか、上等な羽毛に包まれるかのような、優しい柔らかさがあった。
「―了―」