3399 【固執】
誰もいない広々とした謁見の間、その玉座にグランデレニアの不死皇帝が座っていた。
「……来たか」
不死皇帝は音も無く眼前に現れたアスラを一瞥すると、うすら笑いを浮かべた。
アスラは無言で不死皇帝に視線を向ける。
「我々はこれより、交易都市プロヴィデンスにガレオンを投入する」
感情が読み取れない不死皇帝の声が響く。
「貴様が為すべきことは何か、わかっておるな?」
アスラは不死皇帝の言葉に、静かに頷いた。
◆
不死皇帝の間者となった後も、アスラはリュカの下で使命を全うしていた。
忠義、忠誠、古の盟約、連合国、帝國、何もかも、アスラにとっては全てがどうでもいいものになっていた。
今のアスラにある欲念はただ一つ。ベリンダという強大な力が世界を覆い尽くすのを見届けることだった。
弱い者から死んでいき、最後に強い力だけが残る世界。その世界を見届けるために必要なのであれば何も厭わない。ある時は不死皇帝にルビオナの動向を告げ、またある時は帝國の動向をリュカに報告もする。
そうしてリュカも不死皇帝も欺き続け、ついにベリンダを手中に収める好機が巡ってきた。
◆
プロヴィデンスの広場に着陸しているガレオンの管制室で見つけたのは、白いフレームと複数のコードを露出させた、人間の形をした何かであった。
これが機械人形であることは、かつての経験からすぐにわかった。
「……これが死を操る女の正体か」
ベリンダが機械であったことには驚いた。だが、あれだけの強大な力だ。むしろ人間よりも機械の方が力を御し易いのかもしれない。
死者の力がどの様な仕掛けによるものなのかは不明だ。が、もはや理に意味など無い。世界を覆い尽くさんとする巨大な力が目の前に存在している。その事実のみが重要だった。
そのような思いを巡らせていたところ、管制室の外から声が聞こえてきた。
アスラは物陰に隠れ、気配を消して様子を窺う。
やって来たのはタイレル、サルガドという二人の男だった。タイレルの方はベリンダの製造者であることが、会話から窺い知れた。
二人が会話を交わしていた途中、突如ベリンダから光る何かが立ち上がった。
その事態に対応するためか、タイレルがベリンダに近付く。二人が離れた時機を窺い、アスラはタイレルを捕獲すべく襲い掛かった。
襲撃は奏功した。サルガドという男は殺し損ねたが、タイレルの拿捕には成功した。
宙を飛ぶ不思議な球体から攻撃されたものの、それさえ破壊してしまえば、後は簡単であった。
◆
捕らえたタイレルの腹部に、手始めとして拳を一発叩き込む。タイレルからくぐもった呻き声が漏れ出る。
アスラはそれに構うことなく尋問を開始した。
「吐け。ベリンダという女を御する方法は何だ」
「ああなった以上、ベリンダを制御する方法はありません。例え彼女を制御できたとして、あなたは何をするつもりなのですか?」
「あの力を手に入れる。それだけだ」
「彼女は死そのものと化しました……。常人に扱いきれるものではない」
「そのような事は聞いていない。吐け、どうすればあの力を手に入れられる」
「無駄です。既に彼女は僕の手から離れてしまった。それを再び制御することは……」
「強情な奴だ、死にたいか」
幾度とない暴力と尋問。だが、タイレルは同じ言葉を繰り返すだけだった。
そうする内にタイレルは気絶した。強い痛みに耐え切れなかったようだ。
殺してしまっては元も子もない。アスラは一旦タイレルを解放すると、ベリンダに近付いた。
◆
アスラがベリンダに触れようとすると、彼女を覆っていた光が移動し、管制室の壁と天井を覆った。
この光こそが死者を操るための鍵なのだろう。アスラは直感的に理解した。
そして、死を制御できるのはこのベリンダという機械だけであり、ガレオンとベリンダ、両方が揃って初めて、兵器として機能できるのであろうと考えた。
ならば、ベリンダをこの場から動かすことは得策ではない。
アスラは思案した。ベリンダをここから動かせないのであれば、やはりタイレルから全てを聞き出す必要がある。そう結論付け、意識を戻し始めたタイレルを再び尋問しようとした。
その時、獣に化ける少年スプラートと女の連合兵が管制室に入ってきた。
アスラは咄嗟に体を隠す。
タイレルと二言三言の会話を交わした女兵士が、タイレルを連れ帰ろうとする。いまタイレルを奪われる訳にはいかない。
「その男から離れろ」
女兵士に声を掛けてタイレルを引き剥がそうとする。沈黙が管制室を包む。
その沈黙はタイレルの言葉によって破られた。計画を変更し、女兵士とスプラートを葬ろうとしたが、スプラートの苛烈な抵抗によりタイレルは連れ去られてしまった。
◆
「餓鬼が……くそ……」
アスラは失血で動きが鈍くなったスプラートを引き剥がし、床に叩き付けた。そしてそのまま、管制室を覚束ない足取りで逸出した。
スプラートに負わされた傷の手当てが必要だ。その上、女兵士とタイレルを逃したことで、いつ連合兵がガレオンにやって来るかわからない。幸いにガレオンの周辺は市街地だ。身を潜められる場所はいくらでもあった。
アスラは連合兵の目を掻い潜り、一軒の民家に身を潜めた。
簡素ではあるが傷の手当を終えると、タイレルを奪回すべく、連合国の兵站に忍び込んだ。そこで、リュカとタイレルがガレオンの爆破計画を進めているという情報を耳にした。
ガレオンがベリンダ諸共に爆破されてしまうと、死者の軍勢の増加が止まってしまう可能性が高い。それは阻止する必要がある。
◆
アスラは再びガレオンに侵入して罠を張り巡らした。暫くすると、情報の通り、十数人の白兵戦装備を装着した兵士がガレオンに侵入してきた。
今回の相手はルビオナの精鋭だったということもあり、すんなりと事を進めることはできなかった。その上、死者の軍勢にも妨げられたせいで、エイダ達を取り逃がしてしまった。
ここに至り、アスラはガレオンの爆破を止めることは不可能だと悟った。足早にガレオンから脱出する。
ベリンダを失うことになるが、次の手を打つためには生き延びることが絶対条件だ。そう考えた末の行動だった。
◆
アスラは市街地を走り抜ける。背後で大きな爆発音が聞こえ、暴風がアスラの全身を撫でた。しかしそれらを一切気にすることなく、アスラは風に乗るように走った。
突然、物陰から一体の死者が飛びつくように襲い掛かってきた。
応戦しようとしたアスラだったが、先刻の戦闘でルビオナの精鋭を相手取ったことによって傷口が開いており、対処に一瞬の遅れが生じてしまった。
死者は長い髪を振り乱し、アスラのふくらはぎに歯を立て、その肉を食い千切らんとしていた。
「ふ、ひ、ひはは……!」
死者と揉み合いながらも、アスラは堪え切れない愉悦を露にして笑った。
ガレオンが吹き飛ばされてなお、死者の軍勢はその勢いを失っていない。己が見たいと願う世界は、未だ可能性を失っていないのだ。
アスラは歓喜に打ち震えながら、死者の攻撃に応戦した。
◆
一人の死者が襲ってきたのを皮切りに、何処に潜んでいたのか、何体もの死者達が一斉にアスラに群がってきた。
「く……」
アスラはひたすら応戦し続けた。だが、笑い声を上げる余裕は無くなっている。
凄まじい形相で食らいつく死者を振り払い、次々に襲いくる死者達の頭部に手持ちの武器を叩き付けた。しかし、頭部を潰されたにもかかわらず、死者は再び蠢き、アスラに襲い掛かってくる。
ついにアスラはバランスを崩し、死者の群れの中に倒れ込んだ。
死者達はその隙を逃すことなく、アスラに食いついた。
全身を激痛が走る。喰われていく感覚がアスラを襲った。
◆
(しかたない)
不意に、母親の声が聞こえた気がした。
(弱いから死ぬんだ。いや、弱い者は死ななきゃならない)
成人したときの自分の声が聞こえた気がした。
◆
――違う! それでは何のためにここまで!!――
◆
獣じみた呻きが自らの喉から発せられる。ここで終わる訳にはいかない。
何としても、何が何でも生き延びねば。世界の行き着く先をこの目で見なければ。
その意志だけで、アスラはがむしゃらに反撃した。
死者の群れを薙ぎ払い、生き延びようと必死に藻掻く。
「あ、ぐ、ぐう、お、で…ば……ご、んな……」
しかし、死者の軍勢はそれを許さない。
◆
アスラという人間の意志は、自分が喰われ逝く音と死者の群れの咆哮、それらの音に埋め尽くされていった。
「―了―」