3377 【賊徒】
――芽月十五日 午後――
ルビオナ王国首都アバロンへと向かう隊商が率いる馬車の中で、ジュディスは地図と《渦》の予測図を広げていた。
「この時期なら、ここの山脈にある渦は非活性化状態よ。この山道を通るなら今の時期しかないだろうね」
「この山道を行けるなら、アバロンには予定よりも早く辿り着けるな。ありがとう、アンタのお陰だ」
隊商のリーダーであるストームライダーは、はにかむような笑みをジュディスに向けた。
「礼は無事に山道を通り抜けてからにしておくれ。渦はオンナみたいに気まぐれなんだから」
「はは、言うねえ」
リーダーの言葉を適当にあしらいながら、ジュディスは馬車の外を眺める。
いま通ってきたこの街道の先に、これから向かう山脈が見えている。
視界の端に大きな《渦》が見えた。ジュディスの目は《渦》の微細な変化を捉えている。
リーダー達には非活性化状態であると言っておいたが、あの《渦》は非活性から半活性状態へと移行しつつある。
今はまだ微細な変化である。余程《渦》に精通している者でなければ気付けないだろう。その変化をジュディスは見逃さなかった。
◆
――芽月十九日 早朝――
まだ夜が明けきらない薄明、ジュディスはリーダーが寝泊まりしている部屋を静かに出ると、宿から離れた場所に向かった。
周囲に人の気配がないことを確認し、懐から小型の機械を取り出す。
「アタシだ。隊商は予定通りに例の山道を通る」
「……了解した」
機械に向かって小声でそう告げると、機械から男の声が返ってきた。
「あとは計画通りに進めるんだよ。ヘマしたら承知しないからね」
念押しの言葉を投げ付けると、ジュディスは機械を懐に仕舞い込んだ。
宿から離れているとはいえ、長々と会話をしていれば誰かに気取られるかもしれない。これからやろうとしている事が自分のミスで失敗するのは避けたかった。
必要最低限のことだけを済ませると、ジュディスは宿へと戻っていった。
あと一時間ほどで隊商の連中は起き出すだろう。そうすれば間もなく出発だ。隊商が出発すれば、この窮屈な自分の役目も終わる。
それだけを楽しみに、ジュディスは足早に戻っていった。
◆
――芽月十九日 朝――
「どこに行ってたんだ?」
宿に戻ると、丁度リーダーが朝食を取りに起きてきたところであった。
「ちょいと外の空気を吸いにね。ごめんね、一人にしちまって」
自分でも気持ち悪いほどの猫撫で声で、リーダーに擦り寄る。
「い、いや。そういう訳では……」
ジュディスの積極的な態度に、リーダーはしどろもどろになるばかりだった。
「アハハ。今日は《渦》の近くを通るからね。少し気分を落ち着けたかったんだよ」
「そ、そうか。そうだな。気を引き締めなきゃいかんな」
ジュディスの言葉にリーダーは表情を一変させる。大きな隊商を率いるリーダーらしい顔つきになった。
「ふふ、頼りにしてるよ」
ジュディスはより一層リーダーに密着する。
「ああ、任せておけ」
その様子に、リーダーもまんざらではない顔で頷くのだった。
◆
――芽月十九日 昼――
馬車が急に止まる。ジュディスの予測が正しければ、そろそろ山脈に鎮座する《渦》が活性化する頃合いだった。
「おい、どうなってる! 渦は非活性状態じゃなかったのか?」
「何が起きてるんだ? おい、前から来るあの連中は何だ?」
隊商が動揺する声と、前方からの荒くれだった男達の雄叫びが聞こえる。
始まった。ジュディスは予定通りに事が進んでいることにほくそ笑むと、隠し持っている短剣の柄に手を掛けた。
「な、な、何だ? 何が起こったんだ?」
中年の男性が青ざめた様子でジュディスに顔を向けた。
この中年男性はルビオナ王国から遣わされた、荷主側の責任者であった。
「ジュディス、襲撃だ! 危ないから隠れていろ!」
リーダーが御者台から馬車の中へと入ってきた。
ジュディスはその様子を目にして俯いた。笑いそうになるのを必死に堪えているせいで、小刻みに肩が震える。
「大丈夫だ、心配するな。俺がついてる」
ジュディスの様子を恐怖で震えていると勘違いしたのか、リーダーは男気の溢れる言葉でジュディスを励ました。
リーダーは無防備であった。この混沌とした世界では決して武器を手放してはいけない。にもかかわらずこのリーダーは武器を持たず、両手をジュディスの肩に置いていた。
馬車の中には味方しかいない。その慢心がリーダーを殺す。
「ああ、アンタはやっぱり……」
生暖かい血液が短剣を伝ってジュディスの手を濡らす。そして、短剣が肉を切り裂いていく感触が伝わってくる。
「な! な、なに、を……」
「まったく。アンタはストームライダーのくせに、底抜けのお人好しだねえ」
ジュディスはよろめくリーダーの股間を蹴り上げる。悶絶するリーダー。その様を見下ろしながら、ジュディスはゆったりとした動作で自身の荷物から鞭状の剣を取り出した。
手首をスナップさせると、ワイヤーで連結されている刃がリーダーの体を打つ。
リーダーの体は切り刻まれ、血飛沫を上げる。
「ひいぃぃいいい!!」
切り刻まれていくリーダーの惨状を目にしたルビオナの責任者が、叫び声を上げながら馬車の外に飛び出していった。
それには構わず、ジュディスは目の前のリーダーをいたぶり続けた。
どうせ外には隊商を襲撃している本当の仲間達がいる。馬車から逃がした程度、どうということもない。
「旅の間、ずっとアタシをいいようにしたんだ。だからさ、次はアタシがアンタをいいようにする番なのよ」
ジュディスの顔が妖艶に歪む。
「あ、あ……な、何で……」
「あん? 何でかって? 何でもないわよ。最初からこうするつもりだっただけさ」
リーダーは絶望の淵に沈むような表情で、言葉にならない言葉を搾り出す。対するジュディスは事も無げに答えた。
全てはこの隊商がジュディス達に目を付けられたときから始まっていた。ルビオナに何か価値のありそうな荷物を届けるらしいということ、その一点のために、ジュディス達に狙われた。
リーダーは思い出した。ここ最近、価値のある荷物を運ぶ隊商が行方知れずになる事件が頻発していることを。だがそれは、そいつらが《渦》の進路を甘く見た結果だと笑い飛ばしていた。
しかしそうではなく、もしそれがジュディスのような人間に騙されて起きたものだとしたら?
行方知れずになった隊商は《渦》ではなく人間によって蹂躙され、最後は《渦》の中へ放り込まれていたのだとしたら?
リーダーはそのことに思い至ったが、もう遅かった。彼はジュディスの気まぐれと楽しみのためだけに蹂躙された。
◆
「根性があったのは下の肉だけかい? 情けないねぇ」
あらゆる場所を剣で嬲られたリーダーは、いつの間にか物言わぬ肉塊と化していた。
「あら? ちょっとやり過ぎちまったようだね」
広くはない馬車のそこかしこにリーダーの肉片が飛び散り、辺り一面が血の海と化していた。
この馬車にはリーダーと荷主側の人間が乗っていただけに、隊商達の普通の荷物以外にも、特に高価な宝飾品が保管されている筈だった。
紙屑を捨てるような気軽さで肉片と荷物を馬車の外へ放り出す。宝飾品の入った箱は荷物の中に埋もれるように隠されていた。
「ああ、あったあった。大丈夫そうだね」
荷物に隠れていたために血を浴びていない箱を取り出す。この分なら中身も大丈夫だろうと確信したジュディスは、再び荷物と肉塊を外に放り出す作業に取り掛かった。
◆
――芽月二十四日 夜――
薄暗い室内。ジュディスは背を丸めて紙束を確認している男の目の前に、宝飾品が詰まった袋を投げ付けるように置いた。
「相変わらず辛気臭いわね。ほら、今回の報酬だよ」
「ヘ、ヘヘ。どーも」
グランデレニア、ルビオナ、ミリガディアの三国に程近い位置にあるこの商業都市国家には、様々な取引の情報が飛び交っている。
それを非合法的な手段で収集し、ジュディスのような裏社会の住民に売り渡す。それが、情報屋と呼ばれるこの男の仕事であった。
報酬を確認する情報屋を尻目に、ジュディスは次の獲物を探すべく、様々な取引情報が書かれた紙に手を伸ばす。
「次はどれを狙おうかね」
「がっつくねえ。そうさなあ、姐さんが潜入しやすそうなのは……、うん、この辺とかどうだい?」
そう言って、情報屋は一枚の紙を差し出した。その紙には、とある資産家が完全な形で現存する青年型自動人形を買い付けたという情報が書かれていた。
「いいね。決まりだ。アンタはアタシの好みをよく知ってるよ」
美しいもの、珍しいものに傾倒するジュディスの目が剣呑に輝く。
自動人形といえば、人間には無い造形美を持つ、最高級の美術品だ。それは、ジュディスにとってこの上なく価値があるものである。
「ウヘヘ。姐さんと金のためなら、オレも頑張れるってもんだぜ」
情報屋は立ち上がると、粘つくような笑みを浮かべてジュディスの肩を抱き寄せた。
「はん、どこまでが本音なんだか」
皮肉めいた言葉を吐き出しながらジュディスも立ち上がる。そして、情報屋を誘うように、彼の寝室へと入っていった。
「―了―」