50ギュスターヴ3

2839 【国家】

二八三七年、ローゼンブルグ第十二階層スバース地区で起きたオートマタの反乱。

それを境に、世界は混迷の只中へ突き落とされた。

あらゆる災害や疫病をコントロールしてきた筈の統治局は、この状況を収拾できずにいた。

もはや日常と化したオートマタ暴動のニュースを聞きながら、ギュスターヴは盛大に溜息を吐いた。

「やはりこうなったか」

「君の予測が正しかったことが証明されたね。過去に君の論文を妄想と打ち棄てた統治局の面々は、どんな顔をしているやら」

ギュスターヴの秘書官を務めているクロヴィスが、苦笑交じりに答えた。

クロヴィスは優秀な国家保安局員であったが、統治局が行っていた市民コントロールの真実を知ってからは、ギュスターヴの同志となっていた。

同志となってから既に数十年が経っているが、ギュスターヴの専属秘書官という立場から特別に定期トリートメントを受けることができたため、未だ三十代中ごろといった容姿を保っている。

「そんなこと、統治局はとうに忘れているだろう。一度無意味と判断すれば、それは存在しなかったものと看做すのが奴らだよ」

オートマタの反乱が起きる以前に、ギュスターヴは一本の論文を発表していた。

ギュスターヴはゲイルの死後、黄金時代の技術者達が残した研究資料を解析して現在の世界の状況と照らし合わせていった。そして照合を進める内に、ある一つの恐ろしい予測を導き出したのである。

――レッドグレイヴによる、完全にコントロールされた治世。

――グライバッハによって作り出される、人に付き従うオートマタ。

――メルキオールが確立した、ケイオシウムエネルギーの活用。

確かにこれらは人類に繁栄をもたらした。だが、それは同時に人類が思考を放棄することに繋がり、最終的には停滞、ないし衰退を迎えてしまうのではないか。

そういう予測を導き出したのである。

予測を決定的な確信に変えたのは、グライバッハが二八一四年、自死の数ヶ月前に発表した論文だった。

その論文には、人間と同じく思考能力を有し、自発的に創造することが可能なオートマタに関する研究内容が書かれていた。

この論文を読んだギュスターヴは、人類の衰退に関する危機感を加速させた。

レッドグレイヴによって真に思考することを委棄した人類が、自らの意志で考えて動くようになったオートマタに反旗を翻されたと仮定した場合、的確な対処はほぼ不可能であろう。

であれば、このままグライバッハの論文と研究を使用して自意識のあるオートマタを製造するのは危険ではないか。

ギュスターヴが発表した論文はこれらの仮説について論じていた。だが、この論文は統治局によって危険な妄言であると断言され、以降、ギュスターヴは異端者であると見なされたのであった。

「こうなってしまうと、他国から戦争を仕掛けられている状況と変わらんな」

モニターの向こうでは、人間とオートマタが激しく争っている様子が映されている。

「オートマタが人間に等しい、とでも言いたげだね」

「自ら考えることが可能であれば、もはやそれは一つの生物と言っても過言ではない。相違点など、身体を構成するものが有機物か無機物かというだけだ」

「特に自動人形は人を模して姿形が作られているからね。であれば、ある意味人間と何ら変わりはない。むしろ頑強な機械である分、人より優れている部分もあるか……」

「こうなってしまった以上、それは人類にとって脅威でしかないな」

暴動の様子を映していたモニターの電源を落とすと、ギュスターヴは立ち上がる。

「さて、我々は我々が為すべきことをしよう」

ギュスターヴは自らが発表した論文が間違っているとは考えていなかった。

自らの考えを統治局が無視するのであれば、自らの手によって来るべき時に備え、万全の準備をしておくことが大事だと考えていた。

新たな拠点を南方の片田舎であるルーベス地区へと定め、広い土地を一つ買い取って、そこに最新設備を惜しまず投入した研究施設を作り上げた。

邸宅兼研究所の完成後、すぐにギュスターヴは今の邸宅を完全に解体し、慣れ親しんだ中央から旅立った。

そうしてルーベスに生活や主要研究の拠点を移してから数日後、同期のグラントが突如来訪した。

ゲイルの死後、グラントとは定例会で会った際に多少の会話を交わすものの、以前ほどは連絡を取り合っていなかった。

疎遠となっていた同期の来訪に少々驚くも、元は親交の深かった者である。ギュスターヴは快くグラントを招き入れた。

「ギュスターヴ、折り入って相談がある」

グラントは神妙な面持ちでギュスターヴと相対した。

「例の論文を改めて読ませてもらった。今の状況は君の予測に合致していると言わざるを得ない。統治局はもう限界だ」

そう言いながらグラントはギュスターヴに頭を垂れると、すぐに顔を上げる

「私も統治局とは違う視点で、君と共に世界の改善を模索したい」

グラントはギュスターヴの目を見る。グラントの真摯な眼差しに嘘偽りはない。ギュスターヴはそう考えた。

「ああ、もちろん構わない。むしろ、同志は多ければ多いほどいい」

「ありがとう……」

新たな同志を迎え入れ、ギュスターヴは少しずつ統治局からの脱却を目指していった。

しかし、ギュスターヴ達の予測を大きく覆す事態が起きてしまった。

メルキオールの開発したオートマタ鎮圧兵器が、ケイオシウムコアを暴走させたのである。

統治局の発表によれば、抵抗するオートマタによって鎮圧兵器が攻撃されたことによって引き起こされたものであるという。

更に、統治局は空中都市『パンデモニウム』に限られた人類を移住させ、《渦》の影響が及ばない空中へ逃避する計画を発動させた。

「世界の改善を謳う統治者が、自ら世界を捨てるとはな……」

統治局から届いた通達を見て、ギュスターヴは何度目かもわからない大きな溜息を吐いた。

通達された文面では『人類という種を残すため』ということであったが、結局は地上に残された大多数の人間を見捨てるということに他ならない。

「どうする?」

「決まっている。私は地上に残り、統治局とは違った方法で世界を改善してみせるまでだ」

「聞くまでもなかったな。私も同意見だ」

統治局の目がほぼ届かなくなった地上で、ギュスターヴは水面下で進めていた計画の大々的な開始を決定した。

しかし計画を実行するためには、何よりも自らの思想と研究を体言できる時間が必要であった。

遺伝子改良とトリートメント技術により、ギュスターヴは常人を遥かに超える若さと寿命を持ち得ている。バックアップとしてクローンも用意してあった。

だが、これらは不慮の死が極めて稀であった時代でのみ機能するものだ。安全という言葉が無意味になってしまったこの地上では、何が起きてもおかしくはない。

そういった不慮の事態を避けるため、ヒトの身体を根本的に改造、改良し、寿命に怯えることのないものを作り出す必要があった。

「グラント、君の力を借りたい」

「君のやろうとしていることは、人間を人間でなくする研究だ。それでもいいのか?」

「だからこそだ。この身では何もかもが足りない。人間であることで世界を改善できないのなら、私は人間でなくならねばならない」

ギュスターヴとグラントは、遺伝子と身体を改造する研究に着手した。

まずはテロメアの長さや細胞の老化を検査し、寿命を予測して数値化する技術を作り上げた。

次に寿命の短いマウスを実験体として、その寿命を十年単位で延ばすことに成功した。

その後も幾度かの動物実験を経て、ギュスターヴは自らを最初の改造体とすることとした。

寿命を司る細胞に手を加え、トリートメント技術を改良し、理論上は大幅に寿命を伸ばすことに成功した。だが五十年、百年と時間が経過することによって顕在化するかもしれない問題までは、仮定と予測に基づく他なかった。

改造体の作成に成功した後も実験を重ねたギュスターヴは、同様の処置をグラントやクロヴィスにも施した。

何とか時間の問題に光明が見えたが、それでも問題は山積していた。

障壁によって守られてこそいるが、《渦》が留まるところを知らぬ厄災であることに変わりはない。

ギュスターヴ達の頭脳をもってしても、得られた結論は「根本的解決を図るには何百年もの時間を必要とする」というものでしかなかった。

「……酷い有様だな」

淡い色彩で渦巻くものが、大きなモニターの画面を覆い尽くしている。

障壁の外の様子を観察するために飛ばした無人調査機から送られてきた映像だった。

ルーベスは障壁により安全が保たれてはいたが、その障壁の有効範囲は一つの都市を覆う程度の大きさしかない。

計画を推進していくには、人員も、土地も、何もかもが足りない。

土地の拡大に関しては資産の投入で解決できるが、拡大した土地を《渦》の脅威から守る術がない。工業都市インペローダから障壁生産技術を買い取ってはいるが、工業施設の乏しいルーベスだけで障壁を量産するには限界があった。

どうすべきか悩みながら、ギュスターヴは新しく製造された障壁の使い道を相談するために、ルーベス地区管理局を訪れた。

ルーベス地区管理局の局長に、障壁の生産を進めつつ、更に多くの人々を《渦》の脅威から逃すにはどうしたらいいかと訪ねてみた。地域を治めるための知識に明るい局長ならば、何か打開策に繋がるアイディアを持っているのではないかと考えたのだ。

この局長は黄金時代以前から存在する土着の宗教を代々信仰しているという一風変わった人物であったが、この地区に自費で障壁を導入したギュスターヴに対しても、強い信仰を捧げている。

「この地区を国家として樹立させませんか?」

「国、とな?」

「はい。以前、他地区の局長との通信を行った際、北方のローデ地区が独自の国家運営を行っているという話を聞きまして」

局長はギュスターヴが一つ頷いたのを見て、話を続ける。

「この地区も国家として名乗りを上げ、周辺地区に合併を呼び掛けるのです。それによって連携できる地区が増えれば産業の補完に繋がるでしょうし、《渦》による難民の救済も多少は容易となります」

「なるほどな。私は国を治める知識には疎い。この地区を国家として樹立させた後も、君が引き続き治めてくれると助かる」

「わかりました。不肖な身ではありますが、懸命に務めさせていただきます」

「そんなに畏まらないでほしい。私達は同志なのだ」

「ありがとうございます、ギュスターヴ様。やはり貴方こそが世界を救うお方なのです」

局長が信仰する命の神に仕えた従者の名前から、国号を「ミリガディア」と定めた。

かくして、ここに『ミリガディア国』が樹立されたのであった。

「―了―」