3391 【力】
ウェイザーと進路や日程を確認し、ついに『施設』へ向けて旅立つ時が来た。
「いよいよですね。トビアス様達もお待ちになっているかと」
「うん、だいぶ時間が掛かっちゃったけどね」
エクセラと話していると、部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。
「お姉さん、入ってもいい?」
ドアの向こうから養護院で暮らすメリーの声がする。怪我の療養を受けている間に仲良くなった女の子だった。
エクセラを鞄へ入れ、ドアを開ける。
すると、メリーは飛び掛かるように抱きついてきた。
「お姉さん、もう行っちゃうの?」
誰かから出立の話を聞いたらしい。メリーは寂しそうに私の顔を見る。
「全部終わったら、また戻ってくるよ」
「ほんと?」
「うん、約束する」
メリーの目を見て、私ははっきりと言い切った。
この養護院には随分とお世話になったし、全てが終わったら、改めてお礼をしに訪れよう。
◆
馬車で一週間ほど掛けてやって来た『施設』は、遠目にもわかるほどに広い場所のようだった。
入り口らしい巨大な門の前に到着したものの、機械式の門は固く閉ざされており、クリッパーか何かを使って上空からでないと中の様子はわからなさそうだ。
守衛らしき人影も見当たらないし、呼び鈴のようなものも見つからない。一晩中待ってみたが、誰かが出てくる様子もない。
不気味なくらいに、この場所は静かだった。
その間、エクセラは門のシステムにアクセスできないかをずっと調べていた。
「申し訳ありません。私の権限ではここのシステムにアクセスすることはできないようです」
「どうしよう……」
夜明け近くになってエクセラにはっきり無理と言われ、途方に暮れるしかなかった。
父さんと母さんがこの『施設』の中にいる筈なのに。
「ジ・アイの跡地へ行ってみよう。この施設は《渦》を消滅させるための場所なのだから、跡地で調査や作業をしている人がいるかもしれない」
「……だったらいいんだけど」
気落ちする私を励ますように、ウェイザーは提案してくれた。
◆
そうして、さらに一日を掛けて、私達はジ・アイの跡地付近まで足を伸ばした。
やっぱりというか当然というか、付近で作業をしているエンジニアの姿は見当たらない。
施設に行っても施設の中に入る方法がわからず、施設を出入りしている人もいない。施設に辿り着く前日に父さんと母さんに連絡を入れておいたが、それに対する返答も無かった。
「エクセラ、これからどうしようか……」
「ここは一旦、住居に戻るべきかもしれません」
鞄の中のエクセラとこれからの話をする。協定審問官に追われながら誰もいない住居へ戻るのは、気が重いどころの話ではない。
「どうするかな……」
「ならば、僕の組織に来るといい。君の不思議な力が欲しいと思ってたんだ」
悩む私達に、ウェイザーが俄には理解し難い提案を持ち掛けてきた。
「組織? 一体何の話だ?」
「実は、僕は君のような凄い力を持つ人材を集めて新しい世界を作ろうとしている組織の者でね」
「……何を言ってるんだ?」
「いま言った通りさ。僕の組織で君はその力を振るう。協定審問官なんかに手出しはさせないから、君の安全は保障される。それに、沢山の人手を用意できるから、君のご両親を探すのだってもっと簡単だ」
出会ったときと変わらない人好きのしそうな笑みを湛えたまま、ウェイザーはおかしなことを言い募る。
協定審問官の手から逃れられるといったことや両親を探す人手を増やせるといったことはとても魅力的な話に聞こえるけど、それ以外の話は突拍子もなさ過ぎて、到底受け入れられるものではない。
「ルディア様、この人物は――」
エクセラの言葉に警戒音が混じる。エクセラもウェイザーの話が奇怪なものだと判断したみたいだ。
「エクセラ、その言葉は冗談じゃなさそうだね。それに……」
いつの間にか、周囲を黒いローブを纏った連中に囲まれていた。
突然現れたこの連中の存在こそが、ウェイザーが言った言葉に偽りがないことの証明のように思えた。
「君のような力の持ち主は、今ではとても希少なんだ。是非にでも我々の組織の一員として迎えたい」
「こんな奴らまで用意して……。こんなことされて、ハイそうですかと頷くわけないだろ」
「ふむ。ここまでしても駄目なのか」
「言うことを聞かなければ力づくでっていうこと? 僧侶が聞いて呆れるな」
いい人であるという所感は、どうやら思い違いだったらしい。
「僕は僧侶である以前に組織の一員なんでね。さあ、もう一度聞こう。我々の組織に来る気はないか?」
「お断りだ!」
こんなところで奇っ怪な組織に与するわけにはいかない。
甘い顔をしつつ一度も断ることを許さない組織なんて、絶対に信用できない。
そもそも拒絶を許さないなんてところは、協定審問官そっくりで身の毛がよだつ。
何とかしてこの場所から逃げなくては。
逃げ果せたとしても、待っているのは今よりも苛酷な逃亡生活だろう。だけど、ウェイザーのいいなりになるのは絶対に間違ってる。
◆
突然、前に見た黒い靄のようなものが足にまとわりついてきた。
ここから脱出できるのなら何でもいい。せめて黒いローブの連中の囲みを突破できれば。
高周波ブレードを構えて勢いよく走り出す。武器を構えた私が真っ直ぐに突進すれば、奴らはまず最初に回避するしかないだろう。
そう考えて私は地を蹴った。筈だった。
ぐっと身体が何かに引っ張られるような感覚に襲われ、気が付けば、私はローブの連中の囲みを突破していた。
「逃がすな!」
ウェイザーが叫ぶ。ローブの連中が一斉にこちらに向かって駆けてくる。
ローブの連中が命令に従順なところを見ると、ウェイザーは若い割に高い地位にいるのだろう。
◆
さっきの原理不明の跳躍がどれくらい使いものになるかわからない。でも、一番の目標は無事にこの場を逃げることだ。
もう一度、さっきと同じように足に靄をまとわせるイメージをして、この場を離れようとしてみる。だが今回は引っ張られるような感覚には襲われず、ただ単に走るだけだった。
(ああなるには、何か条件があるのか……)
だけど、その条件が何かをゆっくり考えている暇はない。ローブの奴らがざっと道を空けるように広がった。
その一番奥でウェイザーが手を振り翳している。遠目でよくわからないが、何か攻撃を仕掛けようとしているのかもしれない。
ブレードの周辺に靄がまとわりつくのが見えた。自然と自分を庇うようにブレードを構える。
それと同時に、ブレードに強い衝撃が走った。
「いっ痛ぅ……」
ブレードを持っていた手が痺れる。ウェイザーの手が輝いた時に何かが発射された。それだけはわかった。
ウェイザーがこちらへ向かってくる。また手を振り翳している。
次の瞬間、風と衝撃が走り、目の前の地面に穴が開いた。
「衝撃波?」
その衝撃波の正体が何かを考える間もなく、二つ、三つと私の周りに穴が開く。警告のつもりなのかもしれない。
ブレードの靄がより一層黒く、濃くなる。反撃できるかもしれない。本能的にそう感じた。
「次は当てる」
ウェイザーはいつの間にか声が届く距離にまで近付いている。そして、再び手を振り翳した。
ウェイザーの動作に合わせて、私は高周波ブレードを振り抜いた。
ブレード越しに衝撃が伝わってくる。ウェイザーの衝撃波を切ったか弾き返したか、そのどちらかの筈だった。
◆
突如、ブレードにまとわりついていた靄がうねり、空中に螺旋を描く。
それはそのまま停滞し、さながら黒い《渦》のようになった。
「何!?」
ウェイザーが驚いたような声を上げる。
《渦》のような何かの出現は、彼にとっても予想外の事態らしい。うねる黒い《渦》からは、私が使う力と同じような黒い靄が湧き出ていた。
「うわぁっ!?」
《渦》から出てきた黒い靄は私の足やブレードにまとわりついていた靄と融合し、私の全身を包み込むように絡まってくる。
身体が浮き上がる感覚がして、視界が上昇していく。
靄は全く離れる気配を見せない。私は《渦》に引き寄せられていく。
「く……」
「ルディア!」
ウェイザーが駆け寄り、手を伸ばしてきた。靄に絡め取られた私を助けようというのだろうか。
だけど、彼の手が私に届こうとした瞬間、私は反射的に藻掻いて彼の手を撥ね除けた。
彼の行動の本心が何であれ、私は彼に助けられたくなかった。
彼に助け出されたが最後、私は彼の組織に囚われてしまうだろう。
◆
私は《渦》から出現した黒い靄に引っ張られるように、その向こう側へと引き摺り込まれていった。
この世界で最後に見たのは、ウェイザーが驚愕で目を見開いている姿だった。
◆
「―了―」