3396 【仔】
真新しい軍服に、苦楽を共にした軍学校の同期達。厳しい面差しの上官が訓示を述べている。
ヴィルヘルムの意識はロンズブラウ軍に入隊した頃の夢を見ていた。
◆
組織からゴミ同然に捨てられたヴィルヘルムは、魔物か何かの手によって運ばれていった。
そこで魔物の餌になる筈だったヴィルヘルムを助けたのは、周辺の魔物討伐に派遣されていたロンズブラウの軍隊であった。
ロンズブラウに保護されたヴィルヘルムは、隊を率いていたルドガー・クルトという初老の男性に引き取られ、療養することとなった。
長きに亘る凄惨な実験の弊害なのか、ヴィルヘルムの身体は常人と同じ程度にまで修復速度を落としていたが、逆にそのお陰で、誰からも不審がられることはなかった。
◆
間もなくヴィルヘルムの傷は癒えた。療養中に得た知識によって、自身の故郷はおそらく《渦》に亡ぼされたのだろうという考えに行き着き、今後の身の振り方について悩むようになった。
「これからどうするつもりだね?」
「わかりません。故郷は《渦》によって滅んでしまいましたし……」
「ふむ。行く当てが無いのなら、我々の軍に入隊してみるのはどうかな?」
悩んでいたヴィルヘルムに、ルドガーは再び手を差し伸べた。
「軍隊、ですか? 今まで従軍の経験は無いのですが……」
「もちろん、無理にとは言わん」
詳細を聞けば、ロンズブラウ軍は《渦》から這い出てくる魔物から国と国民を守るために、常に兵を求めているのだとか。
「でも、何もしないよりはいいかもしれません。わかりました。入隊しようと思います」
少し悩んだ末、ヴィルヘルムはルドガーの提案に頷いた。
再び放浪したとしても、あの組織にまた捕まってしまうかもしれない。そのような危険があるのなら、ロンズブラウ軍に入る方が未来があると考えたのだ。
「とはいえ、いきなり従軍させる訳にもいかんな。確か王立の軍学校はまだ生徒を募集していた筈だ。まずはそこで勉強してみてはどうだ?」
「勉強もさせてもらえるんですか?」
「もちろん。こんな時勢とはいえ、学はあるに越したことはない」
「ありがとうございます!」
ヴィルヘルムは正式にルドガーの養子となり、ロンズブラウ王国の軍学校へと入学した。
ここまで親身になってくれたルドガーのためにも、勉学はもちろん、しっかりと従軍できるような資質を備えなければならない。
ただ、いまは他人と何も変わらない身体能力だが、いつ身体に宿る忌まわしい力が戻るかわからない。再び力が戻ったときに周囲に悟られぬよう、なるべく傷を負わないように強くなることを自身に課した。
そうした努力もあり、主席とまではいかないものの、ヴィルヘルムは好成績を収めた上で軍への入隊を果たした。
◆
従軍してから約十年。《渦》の魔物による所属部隊の危機などがあったものの、災厄に見舞われていたかつてとは比べ物にならない程に安定した日々が続いた。
だが、その日々もルビオナ連合国とグランデレニア帝國の戦争が始まり、トレイド永久要塞に派兵されたことで終わりを告げたのであった。
◆
ヴィルヘルムの目に見知らぬ木目の天井が映りこんだ。
「う……」
動く範囲で首を動かすと、サイドボードや花瓶に飾られた花が目に入る。
首を動かすと同時に、複数人の足音と声が耳に届く。
「大丈夫かな、あの人」
「目を覚ましてくれるとよいのだけれど……」
少女と大人の女性の声だった。少女の声は、一度目を覚ましたときに聞いた声によく似ていた。
◆
ヴィルヘルムが目覚めたことに気付いた周囲は、俄に慌ただしくなった。
町医者が呼ばれて軽い身体検査が行われ、今の身体の状態を聞かされた。
実験と呼ぶにはあまりにもおぞましい行為の痕跡が治りきらなかったらしい。幾重にも腹部に巻かれた包帯が、傷の重篤さを物語っていた。
無意識に力をコントロールしているのか、それとも実験の後遺症か。かつてロンズブラウ軍にいたときと同様に、傷の修復の速さは医者に違和感を覚えさせない程度に抑えられているようだ。
「まぁ、全治六ヶ月といったところでしょうな。とはいえ、若いからもう少し早いかもしれませんが」
「そうですか。ありがとうございます」
怪我を負って倒れていた自分を発見したという少女、メリーが足繁く見舞いに訪れる中、ヴィルヘルムはゆっくりと傷を癒していった。
「お兄さん、今日の具合はどう?」
「だいぶいいよ」
身体を修復する力をコントロールできるようになっているのか、力を意識的に使わないようにすれば、医者の見たて通りの治癒時間で治っていった。
◆
「ロンズブラウ、ですか……」
意識を取り戻したヴィルヘルムは、町医者が来る前に自身の身分を語ると、真っ先に現在の故郷ともいえるロンズブラウへの帰還を口にした。
しかし、聖堂の僧侶であるイザベルは困ったような、気の毒がるような表情をした。
「ロンズブラウで何か起こったのですか?」
「あの国は二年前から内乱が続いているんです。故郷に戻りたいというお気持ちはわかるのですが、その……、正直なところおやめになった方がよいのではと思います」
二年前といえば、トレイド永久要塞へグリュンワルドと共に出兵した時期である。あの凄惨なトレイドでの戦いから二年もの時が経っていることにも驚いたが、ロンズブラウが内乱状態にあることにも驚愕を隠せない。
「内乱? 詳しくお聞かせ願えますか?」
「ごめんなさい。私達も詳しいことはわからないのです。この辺りに届くニュースでは、王政が崩壊した結果の内乱であるとしか……」
老齢のロンズブラウ国王の容態が芳しくないということは、トレイドに出兵する以前から噂程度には耳にしていた。
王位継承権を持つグリュンワルドが助かることなく死亡、そして近い時期に王も崩御したのであろうか。であれば、規模の大きな混乱が起きてもおかしくはない。
だが、そもそも国の運営は国王が信頼する重臣達の手によって行われていた筈だ。王が存在しなくとも、すぐに王政が崩壊して内乱が続くような状況に陥るとは思えない。
「何故そんなことに……」
ヴィルヘルムの疑問は尽きない。だが、イザベルはその問いに答えられるだけの話を持ちえていなかった。
「ロンズブラウで内乱が起きてからは、ミリガディアやインペローダからロンズブラウ方面に出る連絡船は運行されていません」
「そう、ですか……」
「ルビオナとグランデレニアの戦争も酷くなる一方です。ですので、余程の理由がなければそちら方面への出国も叶わないのが現状です」
申し訳ないと言わんばかりの顔で、イザベルは話を続ける。
「内乱が収まってロンズブラウへの連絡船が再開されるか、もしくは戦争が終結するまでミリガディアに留まられるのが一番いいと思います」
「……わかりました。ありがとうございます」
現状、ロンズブラウに帰る手段は万に一つも無いに等しい。
そういうことならば、とヴィルヘルムは納得せざるを得なかった。
だが、同時に困ったことになってしまったのも事実であった。
国に戻れないのならミリガディアで生活をする他ない。だが、働き口や住居はどうすればいいのか。
聖堂が自分のような難民を受け入れる場所であるとは説明された。とはいえ、しばらくこの国に留まる以上は、きちんと働いて生活せねばならない。
働き口を探したいというヴィルヘルムに、聖堂は近場の植物園を紹介した。
この植物園はオハラという老人が一人で管理しており、若い働き手を求めているとのことであった。
オハラの植物園に住み込みで働き始めたヴィルヘルムは、とても真面目に働いた。
老齢のオハラでは難しい力仕事を手始めに、植物の世話の仕方なども意欲的に学んでいった。
働くならばやれる限りのことをしようというのもあったが、ロンズブラウに戻ったときに困らないようにという思惑もあった。
◆
「お兄さん、こんにちは!」
「やあ、メリー。今日の勉強は終わったのかい?」
「うん! 今日は何をするの?」
「今日はこの種を袋に詰めるんだ」
週に三度、聖堂が主催する子供向けの勉強会が終わった頃に、聖堂からメリーが植物園の手伝いにやって来る。
メリーは自分を発見してくれただけでなく、意識が戻ってからも献身的な看病をしてくれた恩人だ。ヴィルヘルムは彼女を子供だからと無碍に扱うことはせず、兄のように接した。
オハラに許可をもらい、ヴィルヘルムの指導の下で簡単な手伝いをするメリーは、ヴィルヘルムに同調するかのように真面目に手伝っていた。
「ああしている姿を見ると、仲の良い兄妹のようですね」
「そうですねえ。彼は真面目だし、とてもよく働いてくれる。メリーが手伝ってくれることも、他の子供達へのよい見本になっています」
「いやあほんと。彼さえよければ、いつまでもここで働いてもらいたいものです」
オハラとヴィルヘルムを保護した聖堂の者達は、真面目なヴィルヘルムの働きぶりを見て朗らかに笑った。
◆
植物園での労働は、ヴィルヘルムに従軍していた頃とは違う充足をもたらした。
そんな中で、ヴィルヘルムはハーブや薬草の栽培に殊のほか興味を惹かれた。
薬草類は特に管理が面倒だからとあまり栽培はされていなかったが、ヴィルヘルムは他の植物の管理を疎かにしないという条件の下、メリーにも手伝ってもらいながらそれらの栽培量を少しずつ増やしていった。
ロンズブラウ軍に従軍してからは《渦》の魔物の討伐に忙しく、《渦》が無くなってからは戦争へ駆り出された。
様々なことがヴィルヘルムの身に起き続けていたのだ。こんな風に争いも無く、そして生産性の高い作業に従事したのは初めてである。
ゆっくりと植物やハーブを栽培する時間は、ヴィルヘルムの心に確かな平穏をもたらしていた。
(いずれロンズブラウに戻った時に、今の経験を生かして植物園を経営するのもいいかもしれない。)
そんな未来を思い描きながら、ヴィルヘルムは植物の世話に没頭するのだった。
「―了―」