10ブレイズ1

3392 【蒼穹】

「説明をしていただけますか?」

慇懃な態度で、協定監視局の技官はブレイズに問い掛けた。

その口元には固まったままの笑みが浮かんでいる。

このパンデモニウムの監視局は、地上の条約違反者や汚染者を捜し出して『除去』することを目的としている。

その審問官≪インクジター≫としてブレイズは生きている。

「No-22458とNo-18673は既に死んでいました」

ブレイズは答えた。

「管理記録には目視していないと表示されていますが、どう確認したのですか?」

まだ笑みを崩していない。直属の上司でもあるこの男の態度はブレイズを苛つかせていた。

「確実です。彼らの住居からセプターを回収しました。置いてどこかに行く筈もありません。埋葬記録もありました」

「墓を掘り返さなかったのは何故ですか?」

「必要が無かったからです」

「それを判断したのは?」

「私です」

「なるほど」

一拍置いて手元のコンソールを叩く。カシャリカシャリ、と機械音が暗い監視局技官の部屋に響く。光は技官の机と壁際のライトしかない。

外への窓はなく、中央の技官の机の他には、大きめの長椅子とテーブルのみが置かれている。部屋も家具も細部はパンデモニウムの街独特の装飾が施され豪奢だったが、配置によって人間味の無い印象の部屋となっていた。

「では、この件は注釈つきで解決としましょう」

勿体ぶった笑みはここでも崩れていない。

「あなたは素晴らしい結果を残してきています。これからも瑕疵のない作業を心得てください」

作業、か。こいつらの言葉選びはいつも的確だが不快だ、とブレイズは思った。

「このまま順調にいけば、妹さんも必ず元気になるでしょう」

「次の作業が確定するまで少し時間があります。会っていくといいでしょう」

脅迫さえも丁寧に語るこの男に、ブレイズは怒りを感じた。しかし感情を出しても無意味だと思い、黙って部屋を出た。

ブレイズは監視局の建物を出て、都市部の中心区にある病院施設へ向かった。

二頭立ての機械馬車は、快晴の空の下、パンデモニウムの中心街を進む。奇怪な彫塑によって飾られた石造りの高層建築と青い空が、奇妙なコントラストをなしていた。

天高く浮かぶパンデモニウムは常に快晴だ。エンジニアの作り出した空飛ぶ楽園とも言える。街をゆく人々の姿は清潔で落ちついているが、地上のような活気はなかった。

しかし、ブレイズはこの街が嫌いではなかった。とにかく青い空の美しさに惹かれていた。

中心区の公園の傍にある中層階の建物が、妹のいる病院だった。

ブレイズの妹はベッドに横たわったまま動かない。ずっと仮死状態のまま、三年もの歳月が過ぎていた。ベッドは透明なシートで覆われていた。

抵抗力が極端に落ちているための隔離措置だという。病室の閉じられた窓の向こうには、眩しく輝く空があった。

そっと、シート越しに彼女の手を握った。

暖かみが伝わり、ブレイズの心に微かな喜びが広がった。

この檻から彼女を出すためならばどんなことでもしようと、改めて心に誓った。この世界には、もう彼女しかいないのだ。

病院を出て再び馬車に乗ると、中に仮面の男が座っていた。

月の光が城に陰鬱な影を投げかけていた。

風は冷たさを増し、夜の空気は緊張を孕んでいた。

パンデモニウムから飛び立ったこの飛行船は、誰にも悟られずに、二人の男を城近くの高台に降ろした。

遠目にはぼろを纏った修道僧に見える外套を羽織った男達は、月の光が作る影をゆっくりと引き摺りながら城を目指した。

ブレイズと仮面の男は城の中に入った。彼らの姿を隠す光学装置は、月夜では十分に役立っていた。

影から影に進み、広間に出る。高い位置にある窓からは月が見えている。

その光の落ちる位置に、一人の男が立っていた。

黒太子と呼ばれる男だった。

王子は剣を抜き、構えた。ブレイズがよく知った構えだった。

ブレイズも剣を抜く。マスクの男は数歩下がり、壁沿いに立つと再び闇に消えた。

きらりと刃が光り、王子の剣がブレイズを捉える。その切っ先はブレイズの頭部を切り裂かんとする。

刹那、光りの残像を残して、ブレイズの位置は一瞬で王子に回り込む。

鋭い突きが今度はブレイズから放たれる。胴を捉えようとしたその剣を、王子はすんでで払い除ける。

一瞬の攻防だった。再び間を取って二人は対峙した。

ブレイズの剣から光が放たれる。その光は球状になって王子を包んだ。

光が引くと、王子の手から剣が叩き落とされていた。膝を落とす王子の前にブレイズが立っていた。

その剣先は王子の眼前にある。

「グリュンワルド、腕を落としたな」

「殺すがいい、ブレイズ。他の仲間にやったように」

「私を裏切り者と言いたいようだが、そんなものはこの歴史の中では些細なことだ。私には私の正義がある」

「何人殺した?」

「始末するまでもない。殆どが自滅していた。己の力に飲み込まれてな。結局『汚染者』は長くは生きられない」

ブレイズは嘘を吐いていなかった。彼が探し出した多くの仲間は、平和な世界では持て余した力との間で自滅していた。ある者は薬物や酒に溺れ、ある者は自ら死を選んだ。

「抵抗する者は少ない。今のお前のようにな」

剣先がグリュンワルドの首元に当てられた。

「死に場所を失った戦士が生き続けるのは、難しいらしい」

「お前だってそうだろう、ブレイズ」

「私は生きる必要がある。まだな」

「立て、グリュンワルド。今宵はお前を殺しに来た訳ではない」

ブレイズは剣を収め、グリュンワルドに手を貸して立たせた。

「パンデモニウムでの暮らしは悪くない。あの都市はあれでいいところがある。奇怪な街ではあるがな」

グリュンワルドは広間の端にある、上階へと続く階段に座っていた。

その背に立ったブレイズは、グリュンワルドに向かって話を続ける。

「あの頃は単純だった。レジメントの聖騎士として戦い、死ぬ。そして永遠に戦史に刻まれる。そう思っていた」

ブレイズ自身も過去ではそう思っていた。

「もう世界は変わった。元には戻らない」

力なく階段に座ったグリュンワルドは無言のままだ。

「何かを得ようと思えば何かを代償にしなくてはならない。それを決めるのは自分だ」

「私はそれをもう決めている。お前はどうだ?グリュンワルド」

問いかけにも反応はなかった。

暫くすると、暗闇からマスクの男が現れた

「仕事が済んだようだ。帰らせてもらおう」

グリュンワルドの肩に手をかけ、ブレイズは語り掛けた。

「私は知っている。お前の剣先が何を望んでいるのかを。 覚悟を決めることだ。お前の苦しみは誰も肩代わりできない」

ブレイズはマスクの男と共に城を去ろうとする。

「お前の仕事はうまくいったようだな、マックス」

マックスの手には銀色の筒が握られていた。

「記録を残したければ残すがいい。王子を始末しなかった、とな」

マックスからの答えをブレイズは期待してはいなかった。

ブレイズは呟くように言った。

「いずれ決着は付く」

「―了―」