3397 【庭園】
晩餐会以降、エヴァリストとアリステリアはしばしば会うようになっていた。
人気の無い夕方の回廊を二人は歩く。アリステリアがやや先を歩き、少し後ろをゆっくりとエヴァリストが追う。
二人で過ごす時間は僅かだったが、それでもその関係は次第に深まっていった。
「先の話、考えていただけたかしら?」
皇妃は振り向いてエヴァリストに話し掛けた。
「はい、私でよろしければ」
ためらいなくエヴァリストは答えた。
「それはよかった」
優しく微笑む姿は、傍目には美しく高貴な女性としか映らない。しかし、エヴァリストは皇妃の大きな瞳の奥に暗い愁いを感じることがあった。
「私にはあなたが必要です」
巨大な帝國の深部に位置する彼女の全てを信用している訳ではなかった。それでも、今は彼女と進むべきだと考えていた。利は自分にあると信じていた。
「光栄です」
皇妃と若い騎士の影は重なった。回廊には夕陽の光が満ちていた。
◆
「アホらしくなるぜ、間抜けすぎる。 オレに覗きの趣味はねえぞ」
皇妃との逢瀬を終えたエヴァリストは、アイザックと帝都内のある一室で落ち合った。
「悪かった」
逢瀬の場を見張らせていたことに愚痴をこぼすアイザックを、エヴァリストはなだめた。
「しかし、信用できねえな」
エヴァリストと皇妃との関係が深まっていくこと、皇妃の計画にこちらが乗ることについて、アイザックははっきりと疑義を口にした。
「すべてを信じている訳じゃない。 状況は十分にコントロールできる」
アイザックはエヴァリストの言葉を無視する。
「オレはお前と皇妃の周りを何度も探ったが、カストードどもの影が見えない。 おかしな話だと思わないか?」
皇族の護衛官たるカストードは、帝國において絶対的な戦闘力を持った集団だった。直に戦ったことはなかったが、アイザックでさえその力は認めている。
自分達の動きが彼らに全く通じてないとは考えられない。
「見透かされてるみたいだぜ……。 何もかも」
「何をだ? 過去か? 野心か? ここまで来て何を恐れる」
「そこだぜ。 エヴァ、お前にしては入れあげすぎじゃねえか?」
「皇妃にか? 計画にか?」
エヴァリストの語気に力が籠もっていた。
「どっちでもいいさ」
アイザックは捨て鉢に言い放ち、部屋を出た。
◆
もとより戦功・能力ともに十二分に持ち合わせているエヴァリストが、皇妃の後ろ盾をも得た事で、その影響力は日に日に増していた。
「エヴァリスト・ヴァルツを准将に任命します」
皇妃の手により新しい階級章がエヴァリストの軍服へ付けられ、会場は拍手の音で埋まる。
グランデレニア帝國の若き英雄は、表向きは総督府での活躍が認められて将軍として列せられることになっていた。しかし、皇妃の後ろ盾なくしてこの地位に就くことなど不可能なことは、列席者の殆どが理解していた。
その列席者の中に、常にエヴァリストの影のように寄り添っていたアイザックの姿は無かった。
◆
「精が出るな」
夜の庭園で鍛錬中のアイザックを見つけ、エヴァリストが話し掛ける。
かつて一つしか差の無かった階級は、今や大きな差が付いていた。
「閣下、わざわざご足労いただかなくても、呼ばれれば伺いますよ」
慇懃な態度を無視して、エヴァリストは話し掛けた。
「言いたいことがあるなら、ここで話せ」
「特に無いね。 言葉で言ったって無駄だろ」
エヴァリストは傍に並べてある木剣を握った。
「なかなか机仕事には慣れない。 久しぶりに腕試しをさせてもらおう」
エヴァリストが剣先を向けると、黙ってアイザックも剣を構えた。
夜の庭園に空を切る剣の音、ぶつかり合う剣の音が響きだす。
剣戟はしばらく続いたが、明らかにエヴァリストが押され始めていた。
二人の間合いが離れたとき、肩で息をしているエヴァリストに向かってアイザックは話し掛けた。
「随分となまっちまったみてえだな」
「いいや、まだだ」
振りかぶって力を込め、エヴァリストが打ち込む。次の一撃には特殊な力が込めてあった。
その技をよく知るアイザックだったが、意外な一撃に守勢に出てしまった。
「雷撃」と呼ばれている一撃は、受け止めた者の神経に作用する。
握った木剣から手に衝撃が走り、剣を取り落としてしまう。
「きたねーぞ! 技を使うなんて」
剣先をアイザックの眼前に向けて、エヴァリストは言った。
「油断する方が悪いな」
二人の暗黙の了解で、昔の技を使うことは殆ど無かった。どこに眼があるかわからないからだ。
「過去からは逃れられない。私は昔の事を忘れた訳じゃない」
エヴァリストは剣を放り投げ、膝を突いたアイザックに手を差し伸べた。
アイザックは差し伸べられた手を取らずに、自ら立ち上がる。
「オレだって忘れるものか」
叫ぶように言い放つ。
無言で見つめ合った二人だが、アイザックはかぶりを振った後、苛々をぶつけるように剣を地面に突き刺した。
「じゃあな、エヴァ」
そう一言残して、アイザックは去っていった。
「―了―」