16ドニタ1

3377 【灯り】

チッ、チッ、チッ、チッ……。

継続的に同じ間隔で刻まれる音だけが、ドニタの脳内にこだましていた。

視界には何も映っていない。暗闇に音だけが響いていた。

自身の名前も知らず、何も無い空間の中でひたすらに待ち続けていた。何が、いつ来るのかもわからないままに。

しばらくすると様々な『知識』が流れ込んできた。だが、動かせる体の無い彼女は、それらを見る事も、そして触れる事もできなかった。

『知識』は増えても、自身はこの何も無い空間から動く事ができなかった。

暗闇の中、繰り返し響く音。ぐるぐると世界が回り続けるような感覚が続く。

チッ、チッ、チッ、チッ……。

唐突に世界が開けた。

「おはよう」

目の前にいる人間が自分をあの空間から救い出してくれた事を、ドニタは直感的に理解した。

言葉と共に視界に入ったものは白衣の人間、そして壁際のガラスケースに立て掛けられた多くの人形らしきものの姿だった。決して広くはないその部屋は、これまでいた空間とは比べ物にならないほど刺激に満ちたものだった。

「お…はよう…ござ…います」

たどたどしいながらも声を出す事ができた。その様子を見て満足気に頷いた白衣の男が言葉を続ける。

「ドニタ。これが君の名前だ。ボディが全て出来上がるまで、まだ時間が掛かる。それまでは不便をかける事になるが、我慢しておくれよ」

確かに身体は出来ておらず、動く事はできなかった。しかし暗闇から抜け出せたことは、ドニタにとって純粋に喜びだった。

「自己紹介を忘れていたね。私はドクター・ウォーケン、君を創り出した者だ」

「よろしく……おねがいします」

今度は比較的上手く発声を行えた。

「すばらしい挨拶だ。 どうだい、何か気になるところはないかい?」

「音が、聞こえる。 繰り返し。 ずっと」

「どんな音だい」

「チッ、チッ、チッって。 この部屋のどこかから聞こえてくる」

脳に響く音を拙い声で真似してみる。

「ふうむ、選択的注意モジュールの設定ミスかな、または聴覚素子の不良か」

「わかった。 もう一度眠ってもらう。 すまないね」

また暗闇に戻るのかと思うと憂鬱な気分が生じたが、その気分が表情へ伝わる前に、ドニタの回路から電気信号が途絶えた。

それからは部屋とドクターだけが、ドニタにとって世界の全てになった。

徐々に自身の体が出来上がっていく過程は、どれだけ見ても飽きなかった。作業の合間にはドクターが話をしてくれる事もあった。今までに作った作品の紹介やそれについての失敗談、いずれもドニタには新鮮で楽しい事ばかりだった。自動人形の登場する童話を読み聞かされた事もあった。つくり話とはいえ、自身と同じ自動人形が活躍する様には心が踊った。

手が使えるようになってからは、自ら本を読むようになった。ドクターが書庫から持ってきてくれた本を昼夜違わず読み耽っていた。

ドクターからは、夜は何度も休まなければいけない、と注意を受けていた。

「どうして、ワタシは人間じゃないのに眠らないといけないの?」

「君は人に似せてつくった特別なモデルだからね。 君の高性能な脳は日々得た膨大な情報を再構成するために、一定期間休ませなければならないんだ。人の脳と同じように」

「ふうん。つまんない。どうにかならないの?」

「いまのところならないね。寝なくても、そりゃあ人間のように死んだりはしないけど、君の人工脳の成長が著しく阻害されてしまう」

「ワタシ、寝るの大嫌い。夜も大嫌い。ずっと本を読んでいたい」

「わがままだね。でも仕方ないことなんだよ。寝ないなら強制的にこちらで切るよ」

「それは絶対嫌。……寝るわ」

「オーケー。良い子だ」

「ねえ、ドクター。ここの部屋の電気だけは点けたままでもいいでしょう?」

「ああ、かまわないよ。でも、電灯の光なんか君には……」

ドニタの知覚力ならば、人にとっては暗闇でも全く影響など無かった。それに睡眠モードに入れば外界の光など関係ない。

「とにかく嫌なの」

ドクターのわかりきった説明を遮り、ドニタは言い切った。

「わかったよ。おやすみ、ドニタ」

「おやすみ、ドクター」

ドニタは薄明かりの付いた作業用ベッドの上でゆっくりと目を閉じた。そしてあの暗闇の音が聞こえないように、すぐに自身を睡眠モードに切り換えた。

ある日、ドクター以外の人間を初めて見た。肌の浅黒い、メガネを掛けた男性だった。

「こちらはソングさんだ。ドニタ、挨拶をしなさい」

「はじめまして。ソングさん」

ドニタは普通の少女のように微笑みを浮かべながら、挨拶をこなした。

男がデッキの上に置かれたドニタを眺めて、ドクターに視線を戻す。

「すばらしいな。 ここまであのコデックスを解読するとは」

「時間は掛かりましたがね。 完成の暁には、お宅のカウンシルのメンバーにもお見せしましょう」

「それは楽しみだ」

ドクターとソングと呼ばれた男は部屋の隅にあった椅子に座り、テーブル越しに向きあうと話題を変えた。

「で、取引の件、考えていただけましたか?」

「探索の件ですね。 正直迷っています。 今の私にとって利益があるのかと」

「必ずありますよ。 こちらは腐ってもパンデモニウムです。 ここに無い資材、資料はいくらでも揃えられる」

「カウンシルが管理しているもの全てにアクセスできますか?」

「私が説得しましょう」

男の焦りは、端で聞いているドニタにも伝わってきた。

「私達には貴方の技術が必要だし、貴方には組織のバックアップが必要だ」

改めてソングは断言した。

「わかりました。ただし、カウンシルの管理資料へのアクセス権は必ずいただきます」

ドクターは考える素振りをやめ、そう答えた。

ソングと呼ばれた男が滑稽なほど安堵の表情を浮かべたのを見て、少しドニタは可笑しくなった。

「行くわよ」

ドニタはもう一体の自動人形に声を掛けた。しかし反応は無い。そう作られていないからだ。この自動人形をドニタは見下し、嫌悪していた。この無骨な格好で喋る事すらできない存在と同じ自動人形であるという事が、ドニタには耐え難かった。

物言わぬ自動人形を従え、ドニタは研究所を出発した。

世界は朝焼けの中だった。

外に出るのは初めてだったが、全く恐れはなかった。ただ高揚感だけがドニタを包んでいた。

「―了―」