07ジェッド2

3391 【ギルド】

解放の日が訪れたのも束の間、生活の辛さは日に日に増していた。

家から持ち出した食料と資金は早々に底を突き、空き巣やスリで日銭を稼ぎ、稼ぎが無ければ野犬と共に残飯を漁る日々が続いていた。

陽の光がいつも以上に暖かく感じられたあの日は、今や遠い昔のように感じられ、ジェッドから見た世界は再び灰色になっていた。

成功すれば当分は食うに困らないだけの金額が手に入る筈だった。が、考えが甘かった。抜き取る場面をはっきりと見つかってしまったのだ。

逃げるだけ逃げたが結局捕まってしまい、悪漢達に囲まれてしまった。

「汚ねえガキだな」

「俺等の金に手を出したら無事では済まない事は、この界隈じゃ常識だ。お咎めなしじゃ、逆に俺等がナメられる」

ジェッドは虚ろな目で悪漢達のやりとりを見続けていた。この場から逃げ出す気力も体力も既に無い。

「恨むなら」「テメェの」「不甲斐なさと」「不運を」「恨むんだな」

「泥棒は」「いけない事だと」「親に」「教わらなかったのか」「坊主」

「これに」「懲りたら」「ウチを」「狙うような」「事だけは」「止めるんだ」「な」

頭、顔、胸、腹、腕、脚……。一言毎に振り下ろされる重い一撃がジェッドの体を軋ませる。

口の中に血の味が広がり始め、意識が遠のいて行く。

以前にもあった感覚。あの時と同じような事が起きようとしているのをジェッドは感じた。

「……おい、息してねぇぞコイツ」

「少しやりすぎたか」

「どうせ孤児か何かだろう。 ゴミの山と一緒に置いとけば、誰も気にとめねぇよ」

理由はわからない。わからないが、あの日起こった事が夢や幻でない事をジェッドは確信できた。そして、それが今も起きていた。

今度はうまくタイミングを見計らって、彼らの金を盗むことに成功した。

前回の失敗を確実に回避したのだった。

そっと路地まで行くと、チンピラどもから掠め取った金を数えた。

これでどうにかまた生きていけるとホッとしていると、誰もいない筈の路地側から肩を掴まれた。

身構えたジェッドの目の前に、恰幅の良い男が立っている。長い黒髭と縮れた髪が目立つ異様な男だった。

「なかなかやるな。若いの」

男は逃げ出そうとするジェッドの肩をしっかりと掴んで離さない。

「まて、逃げるんじゃねえ、お前に悪い話じゃねえ」

ジェッドは男の迫力に観念し、逃げようとするのをやめた。

「良い子だ。 最近、ショバを荒らしてる若いのがいるって聞いてな。 探してたんだ」

「なに、捕まえてシメちまおうってわけじゃねえ。 俺たちしがねえスリにもルールってのがある」

男はこの辺りのスリやコソ泥達を束ねる頭領だと言った。要は盗んだものの一部を上納すれば、この辺りでの活動は許してやろうという提案だった。

「……それで、ボクになんの得があるんだい」

「得ときたかい。 その歳で損得勘定ができるってのは重要だ。 長生きできるぜ、坊主」

あらためてジェッドの瞳を覗き込むようにして頭領は語った。

「なに、俺たちの仲間に入れば、上がりの少ないときはメシぐらいは喰わせてやるし、下手打って捕まったりすれば、ある程度までなら金も出してやる」

「俺たちの仲間には誰でも入れるって訳じゃねえんだ。 下手糞な野郎が仲間にいれば、仲間全員が損するんだからな」

ジェッドの心は決まった。

「わかった。 仲間になる」

「よし、よく言った。 俺はお前を一目で気に入ってたんだ、うれしいぜ。 とりあえず仲間を紹介しよう」

スラムの路地をいくつも曲がり、地下を通り、橋を渡り、複雑な道順を通って、ある家に二人は入った。中は小さな酒場になっていた。

「ここが俺たちのアジトさ。 入るところを見られちゃいけねえぞ。 最初は誰か仲間と一緒にここに来い」

中には自分達の他に四人の男がいて、カウンターの後ろにはバーテンらしい老人が立っていた。

「おう、新入り」「よろしくな」「外で声かけんじゃねえぞ」

などと口々に声を掛けてくる。

ジェッドは初めて来た場所だったが、なぜか懐かしさを感じた。決して清潔でも明るくもない部屋だったが、暖かさがあった。

最後に頭領がバーテンの老人を紹介した。よく見ると老人は片腕が無かった。

「ここを仕切ってるフィリップじいさんだ。 お前の大先輩だからな。 腹が減ってたら何か頼め。 クソまずいがとりあえず腹は膨れるぜ」

「なにを言うか。 お前さんの腹の肉は、ほとんどこのワシのつくったメシでできとるくせに!」

ふざけた会話に思わずジェッドは吹き出した。

「ずいぶんと若いが、腕はいいのか?」

「ああ、あのめざといダービッド一家のチンピラどもから金を盗み取った。 度胸も十分だ」

「そいつは剛毅だ。 あのチンピラどもが悔しがってると思うとせいせいするわい」

ジェッドに初めて仲間ができた。半年もすると、すっかりギルドに溶け込んでいた。日々の生活は安定し、初めて楽しいと思える時間を過ごした。

ある日、ジェッドは頭領に自身の過去を話した事があった。

「父さんの事は実のところよく覚えてないんだ。母さんには優しく、ボクには甘い人だったと思う」

「母さんも昔は優しい人だったんだ。でも、父さんがいなくってから変わってしまった」

「徐々につらく当たるようになってきて、食事も満足にとれない日の方が多かった」

「それでボクは母さんを……」

思い出したくもない朧気で曖昧な話を、頭領は何も言わずに聞いていた。

話を聞き終えた頭領は言った。

「お前は生きたい、そう思ったんだろ。 なら正しいぜ。 お前のやったことは全部な」

そう言って、泣いているジェッドの頭を胸に掻き抱いた。

対立する一味からアジトが襲撃され、頭領と仲間が命を落とした事をジェッドが知らされたのは、自分の家で眠っている時だった。ギルドに加わって一年近く経ち、少しずつ貯めた金で部屋を借りていたのだった。

アジトに向かおうとすると、報告に来た仲間が止める。

「やめろ、相手はダービッド一家だ。 一人で行っても勝ち目はねえよ」

「勝ち目なんて知るか!」

ジェッドは仲間の手を振り解いてアジトへ向かった。

そして、遅れてアジトへ向かった仲間達が見たものは、折り重なった死体の上に立ち、涙を流すジェッドの姿だった。

「―了―」