3390 【ドクター】
シェリが目を覚ますと、見覚えのない天井があった。ベッドと扉以外何も無い小さな部屋に、自分以外の者は見当たらなかった。まるで、どこか異世界で唯一人きりになってしまったかのような気持ちになった。
部屋の様子を窺うようにベッドから半身を起こし、自分の腕に巻かれた包帯を眺める。そっと傷口に触れてみたが、痛みは無かった。しばらく無心のまま座っていると、かすかに扉の向こうから吐息のような音が聴こえてきた。今までに殺めた死者が復讐しにやって来たのかもしれない。そんな奇妙な考えがシェリの頭に浮かんだ。
ゆっくりとベッドから降り、その奇妙な音のする方へ進んでいった。そして扉の前に立ち、ゆっくりと扉を引いた。
すると、何かが勢いよくシェリの胸元に飛び掛かってきた。シェリは驚いてバランスを崩し、尻餅をつく。犬のように見えるツギハギだらけの小さな物体が、尻尾を振りながらシェリの体にしがみつき、せっせと顔を舐め回してくる。シェリは突然の出来事にしばし呆然となり、なすがままにされていた。しばらくして我に返ると、その物体を無理矢理引き離し、袖口で顔を拭った。触った感触はまるでぬいぐるみのようだったが、仕草や行動は生きている犬そっくりだった。その物体はシェリの周りをくるくると回っている。
奇妙な犬と一緒に部屋を出たシェリは、誰もいない建物の中を歩いていった。廊下は簡素な作りだったが、清潔で明るかった。
◆
しばらく歩くと、より明るい部屋に辿り着いた。大きな部屋の中心には木々が生い茂り、その周りには奇妙な工具や書類が積まれた銀色の大きな机があった。そして、何より眼を引いたのが、壁際のガラスケースに立て掛けられた多くの人形らしきものの姿だった。
「ギブリン翁から連絡を受けたときは何事かと思ったが、その様子なら、もう大丈夫そうだね」
立ち並ぶ人形のケースの影から、白衣を着た男が現れた。
シェリの前まで辿り着くと、傍から離れない物体に気が付いた。
「おや、ロブに気に入られたのかい。来客は勿論、僕にも懐かないような困った子だったんだが……」
「せっかくだから仲良くしてやってくれ。ロブには君に負けない、面白い機能がたくさんあるからね」
そう言うと、白衣の男はまた踵を返して人形達の立ち並ぶ作業台に向かう。
「あの、ここはどこですか? そしてあなたは……」
シェリは去ろうとする男に話し掛けた。
「おっと、何も知らないのも当然だね。君がここに来たのは初めてだったのを忘れていたよ」
振り向いた男は話を続けた。
「君、シェリとそのロブを創ったのは僕だ。私はドクター・ウォーケン。 ドクターでいい」
「君は体液を多めに流出し、長時間意識を失っていたのさ」
シェリは自傷した腕に無意識に手を当てた。
「そして、ギブリン翁からの連絡で機能停止に陥った君を回収、修理したわけだ」
「だからここは君の故郷、生まれた家と思って、自由にしていていい。 僕はすこしやらなきゃいけない作業があるので、またあとでお茶でも飲みながら話をしよう」
そう言ってまた、ドクターは作業台へと戻っていった。
聞かされた状況がはっきりと飲み込めないまま、ロブと呼ばれた犬とシェリはその場に取り残された。
◆
明るい天窓の下にある白いテーブルに、二つのカップが置かれていた。暖かい紅茶とミルクを、白い服を着たシェリと同じような年格好の少女が運んできた。
「君はそもそも死んだりはしないんだ」
ドクターは少女が運んできた紅茶を口に運びながら語った。
「機能停止することはあってもね。 直せば、いまのようにまた動く」
押し黙って話を聞きながら、シェリは注がれた紅茶を眺めていた。
「それにしても、自傷できるなんてまったく予想外だったね。しかし、これは嬉しい誤算だ。そこまで自意識を成長させることができる、ということだから」
「生き続ける意味はあるのですか?」
シェリは呟くように言った。
「いい質問だ。 ただ、それは私には答えられない。 私だってなぜ自分が生きているのか意味などわからないのだからね。 いつか自分で意味があるんじゃないかと思えれば、それでいいんじゃないかな」
「無責任かもしれんが、まあ、得てして創造主というのは無責任と相場が決まっているものさ」
他人事のような口調で語ったあと、後ろを振り向いて声を掛けた。
「ドニタ、こっちに来なさい」
「はい、ドクター」
さっき紅茶を運んできた少女がドクターの元に来た。
「彼女はドニタ。 君の姉妹だ」
「よろしく、シェリ。 ワタシは多分あなたのお姉さんよ」
「修理の他にもいろいろ調査をしたいし、新しい機能も試してみたい。 君にはしばらくここで暮らしてもらうことになる。 わからないことがあったらドニタに聞いてくれたまえ」
そう言ってドクターは席を立ち、また自分の仕事場へと戻っていった。
「ここでいま稼働している自動人形は、ワタシたち二人だけよ。 楽しくやりましょう」
ドニタは笑顔を浮かべながらシェリに話し掛けた。
◆
ある日、来客があった。大きな木箱がいくつも外へ運ばれていく。来客は制服らしきものを着ていたが、シェリが今までに見たことのない姿だった。
木箱の中に入っているものをシェリは知っていた。
自身と同じ自動人形という事もあって何度か話し掛けてみたが、返事があった事は無く、いつしかシェリはそれらをモノとして見るようになっていた。
そっと、ドクターと来客との会話に聞き耳を立てた。
「僕の子供達は元気にやっていますか」
「最初のロットは期待以上だったよ。 また追加が欲しいと監視局の連中は言っている。最近はパンデモニウムでも兵隊不足でね」
「あのタイプならいくらでも作れますよ。いつでも発注してください。 ただ欲を言えば、もうすこし精巧なものを創ってみたいですがね」
「なら、ちょうどいい話がある。ある人物に似せて人形をつくってもらいたいんだが……」
「あら、お掃除さぼって何してるの?」
ドニタがその場に突っ立っていたシェリに声を掛けた。
掃除など別にドクターは命じたりしないのだが、ドニタはシェリに甲斐甲斐しいメイドの様に働くことを求めていた。
「尽くすのがワタシたちの仕事よ。 何もしないでぼーっとしてるなんてよくないわ」
ドニタはとにかく忙しない少女だった。ドクターは、最初に読んで聞かせた童話のせいかもしれない、と笑って言っていたが、なるべく静かにしていたいシェリとはあまり気が合わなかった。
急にせき立てられてぼうっとしているシェリの足下で、ロブがドニタを威嚇する。
「あら、この子ホントに行儀が悪いわね。 ちょっと痛い目にあわないとわからないのかしら?」
もっていた箒を振り上げてロブを叩こうとする。その振り上げた手をシェリが掴む。二人はバランスを崩して机にぶつかり、上にあった本や機械が大きな音を立てて床に落ちた。
「君たち、遊ぶなら他でやってくれ。 仕事中なんだ」
音に気が付いたドクターが、シェリ達に声を掛けた。
「ほら、あなたのせいで怒られたじゃない」
「違う、私のせいじゃない」
二人は手を離し、向かい合った。
「怠け者に幸せなんて来ないわよ」
ドニタはそう言ってシェリから離れていった。
「……幸せ、ね」
シェリは呟きながら、自分の足下でくつろいでいるロブを見つめた。
「―了―」