3382 【祝杯】
アーチボルト達が野営地のあった場所に辿り着いても、やはり人影は見当たらなかった。
「誰か、誰かいないか!」
瓦礫を掻き分けながら呼び掛けを行っても、反応が返ってくることは無かった。反乱軍の遺体も、王国軍の遺体も見つからない。
野営地は破壊しつくされているものの、両軍の戦闘が起こった気配は無いようだった。
攻撃を受ける前に上手く逃げ果せたのだろうか。
「ウィル」
「……こういう時に集まる場所はいくつか決めてある。そこへ連れて行ってくれ」
アーチボルトの問いを察したパランタインは、弱々しい口調で場所を告げた。
「わかった。近場から廻っていこう」
馬に疲れが見えるが、留まることなどできない。もし反乱軍が追撃されているようであれば、少しでも早く追いつかなければならない。幸いパランタインの病状は安定しているようだった。
◆
走る馬の上で、アーチボルトはパランタインに話し掛けた。
「なぁウィル。そのグールド病、治せるかもしれないと言ったらどうする」
パランタインは答える。
「どういうことだ?」
「少しでも可能性があれば、賭けてみても悪くないと思うんだがな」
地上の医療技術では治るあてが無くとも、空に浮かぶパンデモニウムに生きるエンジニア達の医療技術なら治せるかもしれない。アーチボルトはそう考えていた。
レジメントへ連れて行くことができれば、医療チームにパランタインを診てもらうこともできる。
「……もういいんだ。 王国も悪足掻きはしているようだが、革命は時間の問題さ」
「医者につてがあるんだ。 エンジニアのだ。 あいつらだったら……」
外から連れてきた一般人をエンジニア達が治療してくれるかはわからない。ただ、やってみる価値はある。
「悪いなアーチ。 俺は疲れてるんだ……」
パランタインはアーチボルトの提案を力なく拒否した。アーチボルトは説得するのを止め、黙って馬を走らせ続けた。
◆
アーチボルトは違和感に気付いた。
囲まれている。
先を急ぐ余り、「獣」への注意を怠ってしまったのだ。
ずっしりとした体躯にラッパのような耳、そして短いながらも鋭いツノ。渦の向こうからやって来た獣に違いなかった。
それも、相当に気が立っている様に見える。
自分の身一つだけなら如何様にも動けたかもしれないが、パランタインを乗せていては、派手な立ち回りをする訳にはいかない。
「しっかり掴まっていてくれよ」
ゆっくりと周囲を回りながら徐々に距離を詰めてくる獣達。アーチボルトも手綱を握りつつ銃を構え、その時に備える。
二十数アルレあたりまで迫ってきたところで、獣の一体が突進してきた。その巨大な体躯に似合わぬ瞬発力と速度で地面が揺れる。
それに合せるかのように銃声が一発。片手撃ちとは思えぬ速度と正確さで獣を撃ち抜く。
撃ち抜いたかに見えたが、銃弾は異界の獣の表皮を貫くことができなかった。
衝撃でよろめいたものの、速度はほぼ変わらずに突進が続いている。
アーチボルトは動揺することなく、瞬時に目標を変えた。獣そのものではなく足下にある影に。
何も無い地面に着弾した銃弾が獣の動きを止めた。突進は止まり、その場に倒れ込んだ。
他の獣達が状況を理解できず混乱している間に、馬に鞭を入れて倒れ込んだ獣の脇を抜けながら囲いを抜けた。
◆
アーチボルト達は馬を降り、木の柵で囲まれた小さな街を眺めた。
「ここでいいのか?」
「ああ。反乱軍とそれに賛同する者達で作った街なんだ」
訝しげにこちらを見ていた門番に近寄ると、パランタインが親しげに話し掛ける。
「パランタインだ。すまないが門を開けてくれ」
険しい顔をしていた門番は目の前にいる人物が誰なのかすぐに理解したようで、一気に明るい顔に変化した。
「……はいっ!」
街に入るやいなや、住民や兵士達がパランタインに駆け寄り、口々に歓声を上げる。
「パランタイン!」「パランタインが帰ってきたぞ!」「不屈の闘士のご帰還だ」
「おかえりなさい!」「よくぞご無事で!」「パランタイン様!」
街の成り立ちもあるのか、聞き及んでいた以上の人気ぶりに、アーチボルトは少々呆気にとられた。
パランタインは笑顔でそれらに応じている。病のつらさなどおくびにも出す様子が無い。
自身がいなくても革命は成ると言っていたが、やはりこの男は革命に必要なのだろう。
歓声を上げる人達をよく見ると、アーチボルトが見覚えのある顔も混ざっていた。
「あの野営地にいた連中は、どうやらここに避難できていたようだな」
「ああ。本当によかった」
人垣が途切れてきたところで、一人の女性が目に入る。それはアーチボルトのよく知っている人物でもあった。
「シェイラ」
「ウィル!」
名を呼び合うと、シェイラがパランタインのもとへ駆け寄り、力強く抱きしめあう。
「よかった。本当によかった。あなたが王国軍に囚われたと聞いた時には……」
「泣くな、シェイラ」
「体のほうは、どう?」
「正直、今回は疲れたよ。 発作の間隔が短くなってる。 長くはなさそうだ」
「大丈夫。 ここですこし休みましょう。 きっと良くなるわ」
抱擁のあとに見つめ合う二人には、強い信頼が見て取れた。そしてシェイラはアーチボルトに振り向いて言った。
「ありがとう、アーチボルト。あなたが私の無理な願いを聞いてくれなければ……」
シェイラは手紙でパランタインの危機を知らせてきてくれた。彼女に対面するのも久しぶりだった。
「なに、ちょうど顔を見たくなってきたところだったんだ。 気にすることはないさ」
「本当にありがとう。 これで家族が一緒になれた」
うつむいた彼女の腹部が微かに膨らんでいることに、アーチボルトは気が付いた。
「新しい家族か?」
パランタインが言う。
「子供か!」
「そう、新しい命。 あなたの子よ」
シェイラはパランタインに明るい笑顔で答えた。パランタインの顔に生気が戻ったように、アーチボルトは感じた。
再びパランタインはシェイラを強く抱きしめた。
◆
「いいのか。こんな夜にシェイラのそばにいてやらなくて」
夜の古ぼけた酒場で、アーチボルトはやって来たパランタインに言った。
「シェイラはもう寝たよ。あれで疲れていたんだろう」
「治療の話、もう一度考えてみろよ」
「そうだな……」
パランタインは逡巡していた。普段は決断力の固まりのような男が、こんな風になるのは珍しかった。
「シェイラと子供は残していけないだろ」
「ああ。 そうだな。 アーチ、頼んでいいか」
「もちろん。 何の問題も無い」
「すまんな」
「今夜は祝杯だ。 お前の新しい子供のために」
アーチボルトとパランタインの二人はグラスを掲げた。
◆
パランタインはエンジニアの所有する浮遊艇前で、最後の説明を受けていた。
「以上が大雑把な説明となる。ワシらとしてもグールド病治療は研究途上。何が起こるかはわからんぞ。それでもいいんじゃな?」
「かまいません、ラーム。 自分にはまだ見たい未来がある。 これに賭けてみたい」
パランタインとラームが浮遊艇に乗り込む。パランタインの足取りはとても軽いものに見えた。
「何から何まですまない、アーチボルト。 感謝してもしきれない」
「気にするな。 しっかり治してこい。 皆が待ってるんだ」
「―了―」