3392 【枷】
「報告は以上です」
ブレイズはパンデモニウムに帰還し、任務の報告をしていた。
「事前の情報では、ロンズブラウには汚染者もいた筈です。そちらの処置はどうなったのでしょうか」
ブレイズの上司が柔らかく、しかし鋭い口調で問い質す。
どうやら、マックスは仔細を報告していないらしい。
束の間思案し、こう答えた。
「所在の確認だけは行えました。 間違いありません」
「確認しただけで戻ってきたのですか?」
「今回は例の物の回収が最優先でしたので、無用なリスクを控えたまでです」
ブレイズの返答に、笑みを絶やすことの無い上司が若干顔を曇らせた。
「……わかりました。 そういうことにしておきましょう」
会話の最中に鳴り続けていたコンソールを叩く音が止んだ。一応は納得したようだ。
「ご苦労様でした。 この後は妹さんと面会ですか?」
「なんでも先日、ついに目を覚まされたとか」
「一日でも早く全快されるとよいですね」
上司の顔が再び見慣れた、ブレイズを苛つかせる笑みに戻っていた。
「……ありがとうございます。では失礼します」
「これを持って行きなさい。回復祝いです」
上司がブレイズへ小袋を渡す。ずっしりと重い。
「そのまま妹さんへ渡されても、換金して何かの購入資金にされても構いませんよ」
ブレイズは深く礼をして、その場を離れた。
袋の中身は貴金属だった。しかも決して少量ではない。ブレイズは上司の意外な厚意に戸惑いつつも感謝した。
◆
ブレイズは逸る気持ちを抑え、妹のいる病院へ向かった。
目を覚ましたという連絡を受け取ってはいたものの、任務で地上にいた為に、会うのは今日が初めてだった。
パンデモニウムの病院施設でも、三年以上回復の兆しが無かった。命が繋がっている、それだけでいいと半ば諦めかけていた時でもあった。
ブレイズは病室の前に着き、一呼吸したのち、扉を開いた。もうそこにいるのは透明なシートで覆われた、物言わぬ妹ではない。
「メリア」
妹の名を呼ぶ声が、どうしても震えてしまう。
「……兄さん」
か細く、力ない声だったが、はっきりと彼女は声を発した。
「私のせいで色々と苦労をかけてるみたいで……ごめんなさい」
「いいんだ。 こうしてお前と再び話すことができただけで、私は幸せ者だよ」
メリアの手を握りしめる。今まではこちらから力を加えるだけだった。しかし今では、か弱いながらも握り返してくれる。
「私、治ったらお家に帰れる? 二人で帰りたいな……」
「ああ、必ず帰ろう。 また昔と同じように」
ブレイズはメリアの手を強く握った。
「ずっと一人にしてすまなかった。 これからはずっと一緒にいられるよ」
「よかった」
メリアの目からは涙が溢れ続けている。ブレイズはそれを優しく拭った。
「父さん母さん達と暮らしたあの家、どうなってるのかな……」
三年前、病が進行して生死を彷徨っている時に、彼女はここに移ってきた。
「帰ったら兄さんに料理を作ってあげるね。母さんには負けるだろうけど」
はにかみながら語ったそれは、ブレイズが数年振りに見たメリアの笑顔だった。
◆
「また来るよ」
エンジニア達の手足となって働き続ける事に葛藤が無い訳ではなかった。しかしそんな事は、彼女の笑顔に比べれば些事に過ぎなかった。
「うん」
あっという間に面会終了時間になり、後ろ髪を引かれる思いで病室を去った。
◆
病院の外に出ても、まだ夕暮れまでには時間がある。ブレイズは歩きながら今後の事を思案した。
◆
メリアが回復に向かっている事で、改めて今後を考える必要を感じていた。
確かにメリアは回復したが、本当はその気になればいつでもできたのではないのか。再び仮死状態に戻す事も、奴等には造作もない事なのかもしれない。
彼女を自分への枷としてエンジニア達が利用しているのはわかっている。
このままエンジニア達の下でインクジターとして過ごしていくべきなのか。いや、そもそも自分はインクジターを続けられるのか。
ブレイズは自問する。
◆
私達が暮らした家に戻りたいと彼女は言った。彼女の望みは自分の望みだ。昔の生活をできるだけ取り戻してやりたい。このままインクジターでいれば、それは叶わない可能性が高い。彼ら汚染者も私と同じ元レジメントの生き残りであり、また特殊な力を持っている。
今後は私も無事では済まない事とてあるだろう。
任務中に私が倒れたらメリアはどうなる。
奴らが治療を続けるとは思えない。
私が倒れればメリアの命も絶たれてしまう可能性が高い。
それだけは、それだけは避けなくてはならない。
汚染者の処置が終了したら、エンジニア達は私をどうするだろうか。
私とて汚染者の一人なのだ。
地上に戻れるとは思えない。よくてここでの軟禁生活、悪ければにべもなく『処理』されてしまうだろう。
◆
パンデモニウムは嫌いではなかった。しかし、それはメリアの治療が行われ、そして彼女にとって安全な場所であるからだった。
ここに彼女と自分の居場所はあるのか?
どうしてもそうは思えなかった。自分は使い捨ての駒だ。汚染者の始末を汚染者にやらせているだけだ。
何か手を打たなければいけない。このパンデモニウムから逃れるための方法を。
◆
緑あふれる公園を歩きながら思案しているブレイズの頭上には、今日も変わらない青空が広がっていた。いつもなら不安を打ち消してくれるような清々しさを感じるところだ。しかし今日は、自分と彼女に広がる未来を押し潰そうとする、重く青い天蓋のように感じられていた。
「―了―」