01エヴァリスト3

3389 【脱出】

「アイザック……」

地面に突き刺さった木剣を引き抜き、元にあった位置へ戻す。

二本並んだ木剣を眺めながら、エヴァリストは昔を思い出していた。

レジメントがその総力を挙げて向かった最初にして最後の戦い。最大の渦《プロフォンド》たる眼『ジ・アイ』の処置。

その甲斐あって、ついに眼『ジ・アイ』はその姿を消そうとしていた。

ところが、中心部へ向かったレジメント達は一向に戻ってこない。

「遅い。 何をやってんだ。 このままじゃまずい事になるぜ」

苛立ちを隠そうともしないアイザック。

「そう焦るな」

それでも眼下にある眼『ジ・アイ』が消えようとしている事は、作戦は成功したという事だ。

エヴァリストは仲間達の帰還を疑ってなどいなかった。

経験の浅さ故、突入メンバーにこそならなかったものの、中心から外れた場所とて危険である事に違いなかった。

中心部に向かったメンバーをやや外側で待ち、撤退経路の確保を行う。それがエヴァリスト達若手の役目だった。

「くそったれ、隊長達はまだか!」

渦《プロフォンド》の消滅が近付き、活発になった異形達を迎撃しながら仲間を待っていたが、限界は近付いていた。

「このままでは俺達も消滅に巻き込まれかねない」

「退こう!」

後ろ髪を引かれる思いで離脱しようとした時、ついさっきまで駆動音を鳴らしていた浮遊艇がまるで動かなくなっていた。

「そっちの浮遊艇はどうだ」

「駄目だ、動きゃしねぇ」

それも自分達だけではなく、他の隊でも同様の事が起こっているようだ。

「エヴァ!」

エヴァリストの死角より迫っていた異形の攻撃を、アイザックが防ぐ。

初撃は防ぐ事ができたが、次を受け流しきる事ができなかった。

呻き声と共に右目を押さえるアイザック。

「アイザック!」

「大したことはない、かすり傷だ」

アイザックは上着を脱ぎ、裾を破ると右目に当てた。布はすぐさま赤黒く染まる。気休め程度にしかなっていない。

レジメント達が「足」を失った事を察した異形達は、数と勢いを増して彼等を追い詰めだした。

「乗れ!」

聞き覚えはあるが、ここでは聞こえない筈の声。

その声の先にいたのは、作戦の現場に現れる事はない、上級工学師『テクノクラート』のラームだった。

「どうしてここに!」

エヴァリストの疑問を遮り、老人は早口で捲し立てる。

「すまないが今は話をしている時間が惜しい。今の我々に用意できるのはこれが精一杯でな」

上級工学師の乗ってきた浮遊艇に飛び移る。

「後はお主らの足で逃げ切ってくれ。 わしは一人でも多く回収しなくてはならぬ」

渦の外縁部に二人を降ろすと、再び中心部へ向かい飛んで行く。

去り際にラームは言った。

「とにかくレジメントには戻るな、姿を隠せ」

意図を問い質す間もなく、エヴァリスト達は取り残された。

眼『ジ・アイ』から少しでも遠くへ。気持ちは焦るが、アイザックの足取りが重い。

「ぐあああ……!」

異形より受けた傷が、普通と同じである筈がなかった。

いつもなら医療班の治療で事無きを得るのだろうが、今回はそうもいかない。

アイザックが呻き声を上げ続ける。

右目から流れる液体は赤黒いものだけでなく、黄色い液体も混じるようになっていた。

このまま傷を放っておく訳にはいかない。

「街に着くまでの辛抱だ。一刻も早く医者に見せよう」

「医者か。 医者ね……。 ここまで悪化したら、パンデモニウムに行かない限り、どうしようもないんじゃないか? ならばいっそ……」

アイザックは右目を覆っていた布を外す。

「中途半端に期待するのがいけねぇ。そうは思わないか、エヴァ」

エヴァリストの目に映ったアイザックの右眼周辺は既に本来の色を失い、目を背けたくなるようなものへと変貌していた。

アイザックの右手が右目へ伸びていき、眼球に触れ、掴む。

断末魔に近い叫び声を上げながらも、手が止まる事はない。

アイザックの眼球だったものが地面に投げ捨てられていた。

「これで少しは痛みから解放されるといいがな」

そう言うと、アイザックはつい先程まで自身の顔に埋まっていたものを踏み潰した。

二人は辺境を彷徨い続けた。食料を自分達で確保し、導師ラームの言う通り、人目に付かぬように過ごした。

時が経つにつれ、少しずつ状況が理解できるようになった。辺境の街にもニュースは届いていた。ついに渦が全て消滅したこと、そして自分達レジメントが全滅したことも。レジメントは世界を命懸けで救った英雄達ということになっていた。隊員達は全て最後の戦いで死んだ、と。

エヴァリストは、自分達は見捨てられたのだとはっきり悟った。どんな工作が裏にあったにせよ、自分達は疎まれ、見捨てられたのだと。

不思議と怒りは感じられなかった。皆、死ぬ覚悟はできていた。生きて名誉や財産を得ようとは誰も思っていなかった。

しかし、今の世界が自分達を必要としないのならば、その世界を変えてやる。そう強い意欲が沸いてきた。誰の死も無駄にはしない。自分達が生き残ったことには必ず意味がある筈だから。

森の端、地平線に城郭が見えた。

「明日には、ようやく街へ着けそうだ」

エヴァリスト達は、グランデレニア帝國の末端に辿り着いていた。

「これからどうする」

アイザックが聞く。

「もう帰る場所は無い」

「ああ、そうだな」

「この街じゃ新兵を募集してる。 経歴不問でな」

帝國は戦争の準備を始めていた。渦の無くなった今、城塞都市に籠もっている謂われは無い。拡大のための戦力を帝國は準備し始めていた。

「傷の具合はどうだ」

「待っていても目玉が生えてくるわけじゃないしな」

「来てくれるか?」

「勿論。 お供いたしますよ」

ややあって、笑い合う。久しぶりの笑顔だった。

故郷を失った時、レジメントを失った時、常にアイザックはエヴァリストの傍らにいた。

残酷な世界に自分達を認めさせるために、二人だけで戦ってきた。

だが、世界が自分達を認めようとしている時、二人の間には距離ができていた。

それでも歩みを止める事などできない。今立ち止まれば、また全てを失ってしまうのだから。

「―了―」