3385 【丘の上】
丘の上を駆ける少年が二人。
「待ってよ、エヴァ。城壁の外は危ないから行っちゃダメだって言われてるんだよ」
「平気さ! 少しの間なんだから」
「だけど……」
「もういいじゃん。 今はさ」
不機嫌な体を装うエヴァリスト。アイザックはばつが悪そうに頷く。
「わかったよ、エヴァ」
二人の関係は、領主の息子とそれに仕える使用人の息子。二人でいるときは友達として付き合ってはいるが、もし怪我でもさせたらいけないと思い、気が気でなかった。
しかし、そんなことを気にするそぶりを見せること自体が、エヴァリストにとっては気に食わないことだった。
◆
丘を登り切ると、少年達の住む屋敷も含め街全体が見渡せる場所に辿り着いた。
その中でも一際巨大な建物が、彼等の住む場所だ。
「んー。やっぱりここからの眺めは最高だなぁ」
エヴァリストは大きく伸びをした後、草の上へ大の字になって空を見上げた。アイザックもそれに倣う。
やや退屈ながらも平和な時間。アイザックはそれが嫌いではなかった。
互いに何も喋らず、空と街を気ままに眺めながらゆっくりと流れる時間。
しかし、その時間は轟音と共に崩された。大地が揺れ、丘に散在する木々も大きく左右に揺れ続けているのが目に入る。まるで強風に煽られているかのようだった。
街の様子を確認しようとするも、あまりの揺れに立ち上がる事すら難しい。
アイザックとエヴァリストは座り込み、揺れが収まるのを待つ。
「何だ?」
「わ、わかんないよ」
揺れが収まり、ようやく街に目を向けるも、土煙に覆われて状況が判らない。
じっと目を凝らして土煙の中からうっすらと見えたもの。
それはアイザックとエヴァリストが見慣れた街並みではなく、瓦礫の山と化した家々の姿だった。
「父さん! 母さん!」
矢も盾もたまらず街へ向かって走り出すエヴァリスト。
あまりの事に頭の中が真っ白になっていたアイザックも、慌てて後を追った。
街の状況は、丘の上から見えた以上に惨憺たるものだった。
多くの家屋が倒壊し、かろうじて残っている建物も明らかに危険な状態だった。
痛みを訴える声、助けを求める声が瓦礫の中から聞こえてくる。
様々な声に聞こえぬ振りをし、アイザックとエヴァリストは立ち止まる事なく走り続けた。
◆
屋敷の周りには、衝撃による被害を免れたと思われる人達が集まり始めていた。
人だかりを掻き分け、やっとの思いで辿り着いた先には、瓦礫の山は無かった。
そしてアイザックとエヴァリストの暮らしていた屋敷もまた、そこに無かった。
「そんな……」
予想だにしていなかった光景が現れ、アイザックは膝をついた。
諦め切れないエヴァリストは、群衆に両親の所在を聞いて回る。
皆黙って首を横に振るだけで、誰もエヴァリストの聞きたい答えを言う者はいなかった。
◆
屋敷のあった場所にできていたものは、黒く昏い何か。それは少しずつ大きくなっているようにも見えた。
黒く昏い何かへ引き寄せられるように、辺りに集まる人の数は増え続けていた。
◆
「渦だ……」
誰かが気付いた時には遅すぎた。渦の中から見たことのない生き物が次々と現れ始めた。
緑色や青色の肌をした二足歩行の生き物。背丈こそアイザックやエヴァリストら子供達と大差無いが、瞳の無い大きな目と尖った耳、手には原始的な武器――斧や鉈を持っていた。
ヒト型は成していても明らかに人間ではなく、この世界には存在しえない生き物に違いなかった。
人間達の姿を認めると、てくてくてくとゆっくり近付いてくる。その様子には不思議と愛らしさが感じられ、目が離せず、その場を逃れようとする者はいなかった。
二足歩行の生き物は人だかりの前まで辿り着き、立ち止まると、口元をつり上げて最前列にいる人間を見上げた。
それを友好的な態度と判断した一人が群衆の中から歩み出て、視線の高さを合わせようとしゃがみ込んだ。
子供をあやすような笑みを浮かべ、手を差し伸べる。
しかし、その人物が次に出したのは、挨拶や歓迎の言葉ではなく、臓物と大量の血液だった。
地面に半身が転がり、残った体も静かに倒れる。小人が持つ武器は赤く染まっていた。
それを間近で見た者の悲鳴で群集は目を覚まし、渦と小人から少しでも離れようとした。しかし、パニックを起こして不可解な行動をとる者も多く、思うように移動できない。
一部の大人達は瓦礫から取り出した鉄棒や角材を手に取って小人への攻撃を試みたが、その素早さと力は常人が対抗しうる域ではなく、悲鳴と血の量が増える結果にしかならなかった。
◆
「アイザック! 何ボケっとしてるんだ。 逃げよう!」
混乱の中、呆然と佇むアイザックの肩を揺すって移動を促すエヴァリスト。
人混みに揉まれながらも、比較的損傷の少ない家屋を見つけ、そこに身を隠した。
「大丈夫、レジメントがきっとすぐ助けに来てくれるよ」
小声でアイザックを励ますエヴァリスト。連隊とだけ呼ばれる、渦と戦う英雄達。ニュースや本の中でしか知らない存在だが、今はそれに縋るしかなかった。
◆
いつしか辺りから悲鳴と怒号が消え、瓦礫を踏みならす音だけが響くようになっていた。
とうとう、足音が身を隠している家屋の前で止まった。もう逃げ場は無い。目を閉じ、その時が来ない事を祈り続けた。
ドサッという音と共に、生温い液体がアイザックの体を包む。
(エヴァ!)
次は自分の番だと恐怖に怯え、より体を強張らせる。
「大丈夫か、坊主」
恐る恐る目を開くと、そこにあるのは小人の死骸。隣にいるエヴァリストは無事だった。
体の震えが止まらず、喋ることもままならない。首を縦に振り、自身の無事を助けてくれた男へ伝える。
「家族は?」
今度は横に。
「ここに留まっていては危険だ。ついて来い」
「は、はい」
ようやく出せた声は、とても弱々しいものになっていた。
◆
助けてくれた男達の乗る浮遊艇から、変わり果てた故郷フォレストヒルを一望する。
眼下に広がる光景は信じがたいものだった。ほんの少し前、丘の上から見ていた綺麗な街並みはどこにも無い。
屋敷が無い。学校が無い。公園が無い。パン屋も無い。時計屋も無い。花屋も無い。鍛冶屋も無い。
ただ、異界へと繋がる闇が渦巻いている。
もうあの場所に戻ることはできない。帰る場所は無い。
アイザックとエヴァリストは、事の重大さを改めて思い知らされた。
◆
「ミリアン、この子達はどうしますか」
浮遊艇の中で眠りについてしまったアイザックとエヴァリストを指しながら、部下が隊長に判断を仰ぐ。
「このままじゃ避難キャンプ行きだな。 他に身寄りがあればいいが」
身寄りのない子供が避難キャンプで生きていくのは厳しかった。
「まあ、慣れればレジメントに来るのも悪くはない。 たしか、お前もそうだったよな。 ベルンハルト」
レジメントには、故郷が渦に飲み込まれてしまったが故に参加したメンバーも少なくない。
声を掛けられた戦士は剣を肩にかけて瞑目していた。二人を助けた男だった。
「もしそうでも、選ぶのはこの子らさ」
そう言ってまた、ベルンハルトは瞑目した。
「―了―」