09マックス1

—- 【LogType:DEBUG】

……ID:M00003

……起動時間:115678

……ログ種別:DEBUG

―起動不可

―起動不可

―起動不可

―起動不可

コンソールに並ぶログを眺めながら、ウォーケンはカップに手を伸ばした。暗い研究室の施術台には、赤茶けて泥にまみれた人型のオートマタが横たわっていた。たくさんのコードが、その頭部からコンソールへと接続されている。

ウォーケンがコンソールを操作すると、オートマタの『記憶』がグラフとして表示された。ウォーケンは矢印で結びついた有向グラフの中から、最も結線されたノードを選択した。コンソールの画面が切り替わり、指定したオートマタの記憶が動画として再生された。

ウォーケンが試作品――プロトタイプ――として作り出した人形は暗闇を進んでいた。ウォーケンが彼に与えた目標は廃墟の調査だった。複雑なコミュニケーションを伴わない単純な作業だが、人型オートマタであれば有利に進められるとウォーケンは見越していた。

ログを眺めるウォーケンの顔は、コンソールに浮かぶ画像の照り返しでちらちらと明滅していた。

画面に表示されているプロトタイプの視界に、赤く輝く二つの目が映った。しかし、瞳以外の姿はぼやけてよくわからない。動画の横に表示されたログには、危険を認識した時に生ずる、人間にとって恐怖の情動に対応するグラフが高く表示された。

再生されている画像は、記憶として圧縮される課程で大まかな印象としてしか保存されない。しかし選択的な注意機構によって選別された部分は、細部まできちんと表示される。この動画では赤い二つの瞳だけが鮮明に映し出されていた。

プロトタイプの視界から赤い瞳が消え、一瞬間を開けて画面が激しく揺れた。情動を表すグラフが激しい反応を見せている。

画像が大きく乱れると、そのまま変化が無くなった。どうやらこの赤い目の持ち主にプロトタイプは破壊されたようだった。

機能停止の文字が現れ、ログの表示は停止した。

ウォーケンは暫くそのまま画面を見つめていた。

そしてもう一度、同じ記憶を再生させた。赤い二つの目の場面で動画を止める。

ウォーケンは荒れた画像の向こうにいる赤い目を持つ『何か』の輪郭を追った。

「これは……」

ウォーケンはそう呟くと、持っていたカップ置き、すぐにプロトタイプの修理のために立ち上がった。

……ID:M00012

……起動時間:74220502

……ログ種別:DEBUG

―起動成功

「ドクター。 この子、起きたわ」

ドニタは無機質な仮面を付けたプロトタイプの顔を覗き込んでいる。

「いま再起動させた。テストの開始だ。ちょっと手伝ってもらうよ」

ウォーケンはプロトタイプの傍でコンソールを操作している。プロトタイプは身体を起こし、自分の足で立ち上がった。

「ねえ、なんでこの子は喋ったり表情を変えたりできないの?」

創られたばかりのドニタは、子供のような好奇心をこの仮面のオートマタに向けていた。プロトタイプの顔前で手を振って反応を試している。

「君とは違って、そういう機能を持っていないんだ」

ウォーケンはコンソールから目を離さずにドニタと会話をしている。

「私もこの子も、ドクターが創ったんでしょう」

「ああ、もちろん。 ただ、技術の出発点も目的も違ってね。 特に君の基本頭脳は特別なんだ」

「特別?」

「そうだ。 さて、センサーのテストをはじめる。 彼の前で動いてくれないか?」

会話をしながら、ウォーケンはプロトタイプのテストを始めた。

「こんな感じ?」

ドニタはまるでおもちゃの兵隊のように、両手両足を高く上げてプロトタイプの前を歩いてみせた。

「良い感じだ、ドニタ。 君の頭脳はある『設計図』をもとに創った。 このプロトタイプが見つけたコデックスから取り出したものだよ」

「ふうん」

「だから、君の真の能力は私でもわからない部分がある」

「なんか、ちょっと気持ち悪い話に聞こえるわ」

ドニタは戯けた様子を改めて、真剣な顔になった。

「そうかな? かけがえのない驚異を持っていると、君は思ってくれれば良い」

ウォーケンはドニタに優しい視線を向けた。

「その私の『設計図』って、どこから来たの」

「昔さ。 ずっと昔、オートマタがいまよりたくさん作られていた時代のものだ」

「私みたいなのがたくさんいたの? その昔には」

ドニタの表情が明るくなる。その感情は普通の少女のように自然なものだ。

「そう。 今ではとうに忘れ去られているがね」

「私はその時代にも生きてたのかな」

「それはもう少し調べないとわからないな。 さあ、準備ができた」

ウォーケンはコンソールの前から立ち上がった。

「そんな過去の歴史を知るためにも、もう少し探索が必要だ。 彼を連れて探索に行ってもらえるかな」

「はーい」

ドニタは無邪気に答えた。

……ID:M00024

……起動時間:755368789

……ログ種別:DEBUG

―自爆判定中断

マックスの演算器は自爆を選択しようとしていた。少なくともエヴァリスト、上手くいけばそれを庇うであろうアイザックも殺すことができると、尤度演算を終えていた。

「ここではない。 マックス、一旦退け」

頭蓋に響く声はブレイズのものだ。ブレイズはマックスによるエヴァリスト襲撃の顛末を監視していた。マックスが自爆しようとしていることもモニターされている。マックスは了解のコールサインを電子音で返す。

アイザックが追撃者を放つとなると戦闘は長引くが、マックスはブレイズの命令を優先した。

剣を下ろし、踵を返すようにその場から立ち去った。マックスは夜の帝都を舞うように走った。夜風が彼の深紅の外套をたなびかせる。

追撃者はいなかった。

走りながら、マックスは心の中にうっすらと郷愁に似た情動が湧き上がるのを感じていた。

襲撃地点を眺めることができる高い尖塔の一角で、ブレイズは待っていた。ただ、その傍にマックスの認知していない黒衣の人物が立っていた。

「我々の力、理解してもらえたかな?」

ブレイズが黒衣の人物に話し掛ける。黒いフードを被ったその人物は、表情がまったく見えない。

「奴らの力も、貴公らの力も確認できた」

黒衣の人物が答える。その言葉には、どこかたおやかな響きがあった。

「取引は成立か? それとも無かったことにするのか?」

ブレイズは黒衣の人物に聞いた。

「成立だ」

そう答えた黒衣の人物に月明かりが差すと、男もまた仮面をしていることをマックスは認識した。

……ID:M00016

……起動時間:193216567

……ログ種別:DEBUG

―正常終了

「これでいいのかね?」

パンデモニウムのエンジニア、ソングの声が研究室に響いた。傍には、起動したが横になったままのプロトタイプが施術台に乗せられている。

「奇妙な話だ。 あなたが人間の体を求めるなんてね」

プロトタイプの隣に、黒髪に細身の青年が横たえられている。

「試さなければならない。 君達の要求でもあるのだろう?」

ウォーケンはこれから始める作業のための道具を確認している。

「そうだ、どうしても戦力が必要なのだ。 だが、こんなことでそれが可能なのか?」

「求められるスペックを納期通りに満たすには、これしか方法はない。 決して私が望んで行うわけではない」

ウォーケンは感情を抑えた調子でソングに言い切った。

「こちらも用意できました」

ドニタがプロトタイプの前に現れる。プロトタイプの視界の外で機器の準備をしていたようだ。

「では、一度プロトタイプのパワーをオフにしてくれ」

「はい」

ドニタの声を最後に、プロトタイプの意識は暗闇の中に溶けていった。

「―了―」