3383 【揺籃】
パランタインが治療に向かってから数ヶ月が経っていた。首都レイヴンズデールに迫った革命軍は王国軍の頑強な抵抗に遭い、前線では数週間の膠着状態が続いていた。
元々寄せ集め集団である革命軍の士気は、長く続く戦闘で随分と落ちており、このままでは総崩れも有り得ると噂され始めていた。そこにもたらされたのが、指導者パランタイン帰還の報せだった。
革命軍を創り上げてきた指導力に変わりはなく、程なくして革命軍の状況は士気を含めて好転の兆しを見せ始めた。
◆
パランタイン帰還の報せを受け、久し振りに革命軍の野営地を訪れたアーチボルトは目を疑った。病を治して帰還した筈のパランタインはやつれ果て、とても健康体には見えなかった。
「ウィル、もっと休んでおいた方がいい。他の要因で死んでしまっては元も子もない」
「治らない筈の病を治したんだ。すぐに元通りという訳にはいかんさ」
話しながら胸ポケットから錠剤を取り出し、水で流し込む。
「大事な仕上げの時だ。 引き下がる訳にはいかない」
充分な休養を促したアーチボルトの言葉に耳を傾ける様子はなく、そのぎらついた瞳の見る先を覗い知る事はできなかった。
病を治して帰還してきたというパランタインの姿は明らかに異常をきたしていたが、革命軍はパランタインに頼ることを止められるほど余裕のある状態ではなかった。
特にパランタインが直接指揮を執る部隊は連戦連勝の負け知らずで、寡兵で挑まざるを得なかった時でさえ、それは揺るがなかった。
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革命軍や王国軍の中で一つの噂が立ち始めた。パランタインはグールド病を克服する事で勝利を引き寄せる特殊な力に目覚めたのだ、と。
そんな噂がアーチボルトの耳に入り始めた頃、シェイラに呼び出された。
「ウィルを助けて」
傍目には万事順調に事が進んでいると思われている中、アーチボルトはシェイラにそう懇願された。
「アーチも気付いているでしょう。あの変わり様は普通じゃないわ。外見だけじゃない、上手く言えないけど、内面まで変わってきてしまっている気がするの」
語っているシェイラの瞳が潤み、今にも涙が溢れ出しそうだった。
「もう以前の彼には二度と会えないんじゃないかって……」
アーチボルトは以前警告した時、簡単に引き下がってしまった事を後悔した。自分がウィルにできる限り付き添い、無理をしそうになった時は必ず止める、そう伝えてシェイラを戻した。
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「探しものはこれか?」
懐から取り出した小瓶をパランタインに示す。小瓶の中には錠剤が詰まっていた。
「この薬、本当に治療のために必要なのか?」
「当たり前だ。 ソレがなければ俺は前に進むことはできん」
パランタインが小瓶の薬に執着していることはわかっていた。内容物はエンジニアから渡されているとしかわからない。
「もう一度、治療に専念すべきじゃないのか」
「いや、それはできない。シェイラと子供と離れるのはもうごめんだ」
パランタインは頭を振った。
「アーチボルト、お前には教えてやる。 俺は変わった。 良い方にな。 家族と治療によってな」
「変わったのはわかってる。 だが、シェイラはお前を心配している」
「シェイラ……彼女は最高の贈り物を俺にしてくれた。 家族さ。 俺はこの世界を家族のため、未来のために作り変える必要がある」
そう語る表情は、以前から知っているパランタインのものとは全く違っていた。
「俺には未来が見える。そしてその未来を自由に選択できる。 自由にだ」
パランタインは毟り取るように取り返した小瓶を自身の懐に入れると、よろよろと去っていった。
◆
革命は成功した。頑迷に抵抗を続けていた一部の王侯貴族はもういない。体制は変わった。パランタインは自らを護国卿と名乗り、終戦間近の活躍も相まって、民衆からの支持は絶大なものになっていた。
近しい者から見たパランタインは少しばかり様子が違った。日に日に情緒不安定具合が増しており、特に家族に対しては異常ともいえる拘りを見せていた。
我が子が入れられた揺籃に近づいた若い兵士を、激昂して撃ち殺した事さえあった。
しかし、そんなパランタインだったが、政策に関する選択には誤りが無かった。まるで結果を知っているかのようであった。予め必要となる各地に物資を配置し、天候を読み、王侯派のテロさえも事前に防ぎ、人心を掌握した。
◆
アーチボルトはパランタインの居室に向かった。中が騒がしい。危険を察知したアーチボルトは扉を蹴り上げて乗り込む。
「アーチ、この子を助けて」
ひどく顔に傷を負ったシェイラが子供を渡す。
「どうしたんだ、ウィルがやったのか?」
「もう彼は戻らない。だから最後に私、この子だけでも守ろうと……」
「どこだ。薬を隠したってわかるぞ。……俺の息子だけは渡さんぞ!」
叫び声を上げながらパランタインが現れた。その目は正気を失っていた。
「アーチボルトか……お前がシェイラに何か言ったのか?」
「薬はエンジニア共から貰える。子供の世話は誰にやらせてもいい、だが息子だけは……」
パランタインは銃を構え、撃った。
咄嗟にアーチボルトは抱いていた子供を庇う。
しかし予想していた衝撃は来なかった。隣でゆっくりとシェイラが倒れていく。
「シェイラ!」
「行ってアーチ。その子を守って……」
「黙れ!」
二度目の銃声が鳴り、シェイラに当たる。
「ウィル、貴様!」
「子供を返せ。 お前にはもう関係の無いことだ。 この国の未来も、息子も、すべて俺のものだ」
アーチボルトが銃を抜こうとすると、銃声を聞きつけた衛兵達が居室に殺到した。
「アーチを……その男を捕らえろ! 裏切り者だ! 妻を殺しただけでなく、俺の子供まで奪うつもりだ!」
パランタインに命じられた衛兵達は、状況を理解しきらぬままアーチボルトに斬り掛かる。
振り上げられた剣に銃弾を浴びせ、追撃の意思を挫く。アーチボルトに彼等と争うつもりはない。
パランタインの絶叫にも近い怒号が響き渡ったが、衛兵達がアーチボルトを追ってくる様子は無かった。
革命軍の凱歌が今だ響く首都レイヴンズデールを、アーチボルトは赤ん坊を隠すように抱えて駆け抜けていく。頭の中では変わり果てた親友の絶叫が反響していた。
◆
シェイラとした会話を思い出していた。産後間もない、パランタインも治療中だった時の事だ。その頃はパランタインにもシェイラにも明るい前途が見えていた筈だった。
「出産おめでとう、シェイラ。ウィルの奴はまだ戻ってきてないが、その子の名前は決めたのか?」
「実は既に彼と決めてあるの。ジェッドよ。いい名前でしょう」
「―了―」