3376 【怒り】
「こんなことやってても、いつか皆やられちまうんだ。人間の住む街はどんどん減ってきてる。俺たちの街だって渦が来て……」
グリッドがぶつぶつと独り言のように文句を言った。いつもの恐怖を紛らわすための儀式だと思って、他のメンバーは聞き流していた。
「黙れよ。あんたの泣き言なんか、聞きたくねえよ」
グリッドの独り言をリーズが断ち切った。
カナーンの守備隊は『魔物』を見たという住民の報告を受け、街を囲む城壁を超えた、街道からも離れた森を探索していた。
メンバーは二十人程で、様々な年齢の男達の集団だった。
「リーズ、ガキのお前はわかっちゃいねえんだ。 ずっとずっと前から人間は減り続けてるんだ。 俺が子供の頃は隣街のメルギスへだって行けたが、今はどうだ? メルギスの街自体が渦に飲み込まれちまった」
グリッドはリーズに向かって早口で捲し立てた。
他の守備隊のメンバーはこの男の愚痴にうんざりだったが、魔物と戦わなければいけない、という緊張からか、敢えて誰も止めに入らなかった。
「ここに来るまでに難民達を見ただろ。城壁にへばりつくように生きてる奴ら。あれがメルギスの住民さ。少しずつ魔物に喰われていってるんだ。哀れなもんだ」
「黙れって言ったぜ、おっさん」
リーズは足を止めてグリッドの胸倉を掴んだ。グリッドの背はリーズよりだいぶ低く、胸倉を掴まれるとつま先立ちになっていた。
「は、離せ。小僧が」
「哀れなのはあんただよ。 少しは口を閉じてまっすぐ歩け」
投げるようにしてリーズが手を離すと、グリッドは無様に地面にころがった。
「ば、馬鹿野郎、粋がりやがって。お前の親父だって……」
「それ以上言ったら、お前を先に殺すぞ」
リーズが剣に手を掛けた
「おい、やめろ。構うな。 怖いんだよ、こいつは」
副長格のバックがリーズを止めた。
「こんな奴、連れてこなきゃよかったんだ」
リーズはバックに従って隊列に戻った。
◆
リーズは若くしてこの守備隊に入った。いまは十八だが、十代の前半からずっと戦っている。
元々守備隊を率いていたのは彼の父親だった。街を守るために、守備隊として魔物が近付くのを防いできた。しかし二年前の戦いで大怪我を負い、隊長を退いた。今は悪くなった足を庇いながら、細々と暮らしている。
そんな悲劇を目の前にしても、リーズが守備隊を辞めることはなかった。
自分の目の前で父親が襲われたが、それを助けたのもリーズだった。瀕死の父親を一人で救い出し、その後も前線に立ち続けた。
そんなこともあり、リーズは若いながらも守備隊で一目置かれていた。
恐怖を知らないのではないか、と囁かれることもあったが、リーズ自身、恐怖を感じていない訳ではなかった。自分の前で父親が襲われた時、心底恐ろしかった。
しかしそれ以上に、自分の中に魔物に対する怒りが沸いた。
恐怖より怒り。
リーズを駆り立てるのは、その感情だった。
そんなリーズを父親は、しばしばきつく諌めることがあった。
「怒りをコントロールしろ。抑えろとは言わん。自分が怒りに駆られていることを意識し続けろ」
自分の怒りを制御すること。
グリッドの苛立たしい態度に切れた後、リーズはそんな父親の言葉をもう一度思い出していた。
◆
隊列が止まり、部隊に緊張が走った。合図があり、部隊は訓練通りに展開を始める。指を差し、見つけた魔物の位置を確認し合う。
魔物には色々な種類がある。守備隊では全く敵わない強力な生物が出てくればどうしようもないが、そうでなければ、逃がさずに倒さなければならない。
そうしなければ、渦の化け物共は増え続け、街を飲み込むだろう。
「蛇だ」
誰かの声がした。
15アルレ《約20メートル》はあるかという巨大な蛇だ。ただ、蛇といっても地上にいるような顔つきではない。十対もある目をぎらぎらと輝かせる、悪夢のような化け物だった。しかし、倒せない訳ではない。
皆で慎重に敵を囲む。逃がす訳にはいかない。
隊長の合図と共に銃声が響く。しかし蛇の動作は速い。
鎌首を高く持ち上げたかと思うと、素早くその尻尾で部隊を薙ぎ払う。とたんに銃声が止んだ。
蛇の尻尾に吹き飛ばされた男達が呻き声を上げる。怯んだ隊員は体勢を立て直そうとするのに精一杯となっていた。
再び鎌首を持ち上げて辺りを睥睨する蛇に、皆が恐怖していた。
蛇は口を開けて、舌なめずりをした。
この空間、この瞬間、恐怖が辺りを支配するのをリーズは感じた。しかしそれに囚われることなく、リーズは蛇の前に飛び出した。
呆気にとられる隊員の前で、リーズは蛇の首を切り落とした。
驚くべき剣技だったが、それよりも、一瞬で相手の懐に飛び込む胆力こそ、リーズが凡百の男でないことの証左だった。
部隊から歓声が上がる。
「よくやった、リーズ」
隊長から声を掛けられる。
「なに、皆があの化け物の注意を引きつけてくれたからさ」
本心ではなかったが、部隊の士気を挫かないために、リーズはあえてそう言った。
◆
部隊は街に戻った。化け物を倒したことで、ちょっとした凱旋騒ぎになっていた。
夜になると酒場で宴が始まった。
リーズはそんな騒ぎから距離を置きつつも、一応参加していた。
「俺は銃を構えてよ、バババっとあの大蛇を撃ちまくったのよ。そしたら蛇の野郎、しっぽを巻いて逃げだしやがってよ。そこへリーズがとどめを刺したって訳よ」
すっかり上機嫌になったグリッドが、隣に座った酒場の女に自慢話をしている。
「やれやれ。グリッドの野郎、後ろの方で縮こまってたくせにな」
副長のバックが、カウンターの端にいたリーズの傍に来て言った。
「まあ、言うだけならタダだ」
「しかしリーズ、すまなかったな。お前にばかり手を煩わせて」
最近の出撃では、リーズの腕で隊が救われることが多かった。
「別に構わない。親父もやってきたことだ」
「親父さんも、それはいい戦士だった。だがリーズ、お前には驚かされてばかりだ」
バックとリーズの父親とは、若い頃からの友人だった。このカナーンの街で生活し、街を守ってきた。生業は別に持っていたが、街を守るためにずいぶんと修羅場をくぐってきた男だった。
「ずっと、このままいけると思うか?」
バックが尋ねた。
「どういう意味だ?」
「最近、魔物が街道近くに現れる回数が増えてきてる。渦自体が近くに現れたという話は聞かないが、渦からあふれた化け物どもがこの街に迫ってきてるんだろう」
「そうだな。これからは油断できなくなる」
「ああ。もっと守備隊は増強しなきゃならない。いまの人数と能力じゃ、冗談みたいなもんさ」
「協力するよ」
リーズも今の守備隊の能力には疑問があったので、同意した。
「でもな、俺の本音を言えば、このままじゃこの街は守れないと思ってる」
バックは目を伏せて自分のグラスを眺めている。
「グリッドの愚痴もな、あれはあれで真実をついてるんだ」
「俺はそうは思わないよ。親父もあんたも、この街を守ってきた。これからだって大丈夫だ」
リーズは冷たい炭酸水の入ったグラスをあおった。酒は好きではなかった。怒りをコントロールできなくなるんじゃないか、という不安からだった。
「順番なのさ。だんだんと人間の住める街は少なくなってきてる。これは確かだ。洪水に沈む街みたいなもんさ。高台にある家はなかなか沈まない。しかし水かさが増せば、その高台だって沈む」
「俺はそうは思わない」
「渦はな、今まで一個だって消滅してないんだ。水かさは増し続けてる」
「だからって、黙って溺れ死んだりしないぜ。俺は」
バックのらしからぬ態度と言葉に、自分の中にざわついた気持ちを持ち始めていた。
「そう、黙って死ぬことはない。この街でな。リーズ、お前は若いんだからな」
バックの言葉の意味がとれずに、リーズは眉を顰めた。
「アバロンから来たっていう隊商がいただろう」
アバロンは大国ルビオナの首都であり、この大陸で最も繁栄している都市の一つだ。
「その中に変わった男がいてな。俺達守備隊にわざわざ会いに来た、と言うんで話したんだ。俺より歳を食っていたが、そいつはグランデレニア帝國の元兵士だが、今はとある組織の一員だって言うんだ」
バックの話し方は熱を帯びていた。
「なんでも、その組織は渦自体を攻撃、消滅させる部隊で、勇士を集めてるって話をし始めた。隊長はそんな話を一笑に付して追い返したんだが、俺は興味があって続きを聞いてみたんだ」
バックの言葉をリーズは黙って聞いていた。
「エンジニア達がわざわざ地上に降りてきて作った部隊らしい。それに、もう少しで渦を消滅させることができるところだって言うんだ。 ただ、戦いに長けた人材を集めるのに苦労してるらしい。 まあ、当たり前の話だがね。生きるためにぎりぎりの戦いをしてる奴らに、そんな雲をつかむような話に乗れっていうのが無理な話だ」
バックは一息ついて改めて言った。
「でもな、俺はそいつの話、信じられるような気がしたんだ。いや、信じたいって思ったのかもしれん」
また間を置いて、バックはリーズを見つめ直した。
「初めて水が引くかもしれない、ってね」
バックの話が見えてきた。
「リーズ。お前、行ってみないか」
「突拍子もない話だな」
リーズの心のざわめきは、別の感情を表し始めていた。
「ああ。でも、もし本当なら、この街を救うにはその方法しかないって思うんだ」
「でも、親父はなんて言うかな」
「悪いが、親父さんには俺が先に話した。俺と同じ考えだったよ。長い間一緒に戦ってきたんだ。今の状況が袋小路だって話はずっとしてたんだ」
リーズが迷っているように見えたのか、バックは続けた。
「お前には才覚がある、リーズ。特別なんだ。 お前はこの酒場にいる連中とは違うものを持ってる」
隊員達は皆、酔い、歌い、騒いでいる。緊張の裏返しの開放感に浸っていた。
「自分じゃわからないね」
「俺は運命だのなんだのは信じちゃいない。でもな、この巡り合わせには何かあるって、そう思ったんだ」
「で、行くならどうすればいいんだ」
バックの熱を帯びた調子とは対照的に、落ち着いてリーズは答えた。
「行く気になったのか?」
「決めちゃいない。でも、悪くない話だって思っただけさ」
「その男は、まだベルの宿屋にいる。お前ならきっと認めてもらえる。明日会いに行こう」
バックは破顔すると、また酒をあおった。
◆
「若くて経験もある。すばらしい人材だ」
組織の男はヘイゲンと名乗った。リーズを一目見て気に入った様子だった。
「さっそく本隊に向かってもらおう。連絡は先につけておく。心配せずに行ってくれ」
書面に何かを記入しながら、ヘイゲンは言った。
「次の西に向かう隊商とソーズバーグまで行くんだ。そこの支部から本隊に送り出してもらえ」
ルビオナの王国銀行保証の小切手を一枚、直ぐに切った。続いてもう一枚、金額を記入した小切手を切った。
「これは経費とは別の契約金だ」
金の為に行くのではなかったが、断る理由も無いので、リーズはそれを受け取った。
かなりの金額だったが、特に興味は持たなかった。親父が受け取ってくれればいいがと、ぼんやり思った。
◆
西に向かう隊商が出発するまで三日程あったが、リーズはまるで普段通りに暮らした。
父親には旅立つことを告げたが、深く問われることはなかった。
「隊長にはバックがうまく話をつけるってさ」
「ああ、俺からも言っておく」
母親を幼い頃に亡くしてから、二人きりで暮らしてきた。戦い方も生き方も、全て父親に教わってきた。
今の父親は、失った足を庇いながら鍛冶屋を手伝っている。食べるには困らないだろう。
守備隊の長だった父親はリーズの誇りだった。そしてその地位を失っていても、リーズにとってはずっと大切な父親だった。
会話は得意でない二人だったが、互いを理解していた。
◆
旅立ちの日になった。
父親は小切手を受け取らないだろうと思って、黙って机の中に隠しておいた。いつか見つけてくれればいい。
玄関先で、荷物を持ったリーズを父親は見送った。まるで、ちょっとした旅に出るかのような、何気ない別れだった。
「行くよ」
「ああ、うまくやってこい」
「もちろん」
それだけ言葉を交わすと、隊商の待つ城門へと向かった。
二度と会えないだろうと思ったが、リーズは振り向かなかった。
「―了―」