3378 【コデックス】
巨大な鎌を構えたドニタの後ろで、数体の獣が音もなく崩れ落ちた。
「これで最後ね」
その様子を確認することなく、ドニタは口の中で呟いた。
その表情には勝利の喜びも、自身の強さへの誇りも見えない。この辺りの荒野をうろつく獣を倒すことなど、彼女には他愛もないことだった。
「手間ばかり掛かるわ。数だけはたくさんいて……」
そう言うドニタの傍らには、物言わぬ自動人形が立っていた。
自動人形は、ゆっくりとした動作で自分の剣を納めた。
「あなたも、こういう時なら少しは役に立つみたいね。これで、自分で判断して動いてくれるともっと良いのだけれど」
少し非難めいたドニタの言葉にも、自動人形――ドクターは「プロトタイプ」と呼んでいた――はぴくりとも動かなかった。命令ではない言葉に、この自動人形が反応することは無い。
「反応なし、と。ほんと、つまらない奴ね。行くわよ」
ドニタはそう言うと、プロトタイプの先に立って歩き出した。
目指す先には巨大な建物がそびえ立っていた。
風雨に曝されて半ば崩れかけているその建物は、見ようによっては巨大なモンスターのようだった。その中央にぽっかりと空いている穴は、言わばモンスターの口といったところか。
その外見は見る者に本能的な恐怖を抱かせるものだったが、ドニタはそんなことを感じる様子もなく、まるで散歩にでも出掛けるように建物に入っていった。
◆
ドニタが足を踏み入れたのは、かつてケイオシウムを研究していた施設の成れの果てだ。地上にはこうしたトワイライト・エイジの廃墟が点在していた。ドニタはドクター・ウォーケンの命令により、ここで“ある物”を探していた。
建物に入ると、そこは大きな広場になっていた。薄暗く、微かにサビと腐った水の臭いがした。トワイライト・エイジの高度な技術によって作られたこの建物も、時間による腐食を完全に止めることはできなかったようだ。
「アレはいったいどこかしら。おそらく奥に仕舞われているのだろうけど……」
ドニタは首をくるっと回転させて広場を見回した。正面には奥に続く通路があり、右手には下へ降りる階段がある。左手には上りの階段があったようだが、崩れ落ちて登ることはできなさそうだ。
その光景を暫く眺めていたが、やがて心を決めたのか、ドニタはスタスタと正面の通路に向かって歩き出した。プロトタイプがその後を、僅かな軋み音を立てながら追い掛けていった。
◆
通路に入ったドニタは、見掛けた所を端から調査していった。しかし、多くの研究員を抱えていたであろうこの建物は、二人で探索するにはあまりにも巨大だった。
最初は、すぐに見つけることができるだろう、と楽観的に考えていたドニタも、時間が無為に過ぎていく探索にだんだんと焦りを覚え始めていた。
「手掛かり一つなし……。ここには無いのかな」
もういくつ目になるのかわからない部屋の探索を終えて、ドニタは深く溜息をついた。その表情はとても自動人形とは思えない、人間くさいものだった。
隙間から差し込んでいた陽の光はすでに薄れ、建物の中は暗闇が支配している。
「もうこんな時間」
自動人形であるドニタにとって、暗闇は探索の妨げにならない。彼女の目は通常の人間よりも遙かに高性能な作りとなっていた。
だがドクター・ウォーケンからは『一定期間ごとに必ず休息を取るように』と言われていた。さらに、二日間で発見できなかった場合には、ドクターの研究所に帰投することも。
「でも……それじゃあ探索は失敗してしまうわ」
休んでいたのでは、これだけ広い建物を探索することはできない。もしそうなったら……また、あの暗闇に帰らなくてはいけなくなる。
「……大丈夫。ワタシには休息など必要無い。このまま探索を続けられるわ」
ドニタは噛みしめた唇から決意の言葉を押し出した。
そして一度大きく頭を回転させると、傍らに佇むプロトタイプに声を掛けた。
「ほら、行くわよ木偶人形!」
弾かれたように動き出したプロトタイプと共に、ドニタは次の部屋へと足を向けた。
◆
やがて陽が昇り、そしてその光が再び陰る頃。
休むことなく探索を続けて埃とサビにまみれたドニタの顔に、ようやく明るい表情が浮かんだ。
「こ、これが……そうかもしれない」
朽ち果てた遺跡の最下層。濁った水が膝の高さまで溜まった部屋で、ドニタは一つの箱を手に取った。
ドニタが探していたモノ――それはコデックスと呼ばれる、失われた過去のテクノロジーが記された知識の塊。
コデックス、つまり写本と呼ばれてはいるが、その形は様々で、メモリーチップや音声レコード、時には人間の口伝という形で残っているものもある。他ならぬドニタがこの世に生み出されたのも、まさにコデックスに記載された知識からであった。
ドニタが見つけた箱の中には、複雑な形をした機械のパーツが入っていた。長い間汚水に浸っていたにもかかわらず、その表面にはサビも傷も見受けられなかった。
「これで、胸を張ってドクターのところに帰れるわ!」
自分が役立たずではない、ということが証明できるのだ。
「やった! やったわ!」
ドニタは喜びのあまり大きな声を上げた。その声は濁った水が溜まった部屋の中で反響し、やがて闇の中へと溶けていった。
◆
建物から出ると、もう完全に陽は落ちていた。
すでに活動を始めてから数日が経過していたが、ドニタは疲労を感じていなかった。
「やっぱり、眠らなくてもワタシは平気なんだわ」
そう考えると、心の中の暗闇が光で照らされたような、そんな感覚が湧き上がってきた。
喜びの笑みを浮かべるドニタの目に、遺跡に入る前に倒した獣の死骸が飛び込んできた。
今はもう意識を持たず、自らの意志で動くこともない、ただの肉塊。
それはドニタから懸け離れた存在で、そうした存在を見ることで、ドニタは一層喜びを覚えるのだった。
「ほら、この木偶の坊。ぐずぐずしないで行くわよ」
そう。
ワタシはこんな木偶人形や、まして物言わぬ肉塊とは違う。
自らの意志で、自らの行動を決める、完全な存在なんだ。
「ららー♪ らららー♪」
ドニタは鼻歌を歌いながら、今にも踊り出しそうな足取りで、朽ち果てた遺跡を後にした。
◆
「残念ながら、これはコデックスではないな」
探索から帰ったドニタに掛けられたのは、賞賛の言葉ではなかった。
「えっ、そんなはずは……」
「確かに、これはかなり高度な技術で作られているようだ」
そう言って、ドクターは箱の中にあったパーツを取り出して眺めた。
「しかし私が欲しかったのは、失われた技術によって作られた機械ではなく、技術そのものなのだ」
「……ワタシは」
ドニタの声が沈み、肩を落としたのを見て、ドクターが慌てたように声を掛ける。
「いや、このパーツ自体とても貴重なモノだ。研究すれば幾分かの技術も判明するだろう」
そしてドニタの頭に、ぽん、と手を置いた。
「良くやってくれたね、ドニタ」
それが帰ってきてすぐに掛けられた言葉であれば、ドニタは喜んだであろう。
もしくは、ドニタが愚かで、自分の意志を持たぬ人形であったならば。
しかし、ドニタにはドクターの言葉が偽りであることがわかっていた。慰めの言葉を掛けられたことが、却ってドニタの誇りを傷付けた。
「……申し訳ありませんでした」
このままでは役立たずになってしまう。
「ドクター、ワタシをもう一度……」
もう一度探索に行かせてほしい。そうすれば、きっと成果を上げてみせる!
しかし、ドクターは笑顔のまま首を横に振った。
「ドニタ、少し休みなさい。君には休息が必要だ」
「また……眠るの?」
「そうだ。長い間探索をして疲れただろう」
「いやっ、ワタシは疲れてない! 探索中もずっと……」
眠るのが怖かった。全てが暗闇に包まれる、その感覚が恐ろしかった。
一瞬、あの物言わぬ獣の死骸の姿がドニタの脳裏に浮かんだ。嫌悪と恐怖。
「ドニタ、良い子だから。ゆっくりお休み」
嫌がって身悶えるドニタに構わず、ドクターの手がスイッチに伸びた。
「ワタシはもう、眠るのはいや……」
◆
そう呟きが漏れた瞬間、ドニタの意識はぷつん、と切れた。
◆
それから、ドニタは幾度となく地上の遺跡を探索した。
しかしコデックスは見つからなかった。
「そんなに簡単に見つかるものではないよ」
探索に失敗して帰る度に、ドクターはドニタを慰めるように笑った。
だが、それはドニタにとって何の慰めにもならなかった。
何故なら、その後は必ず眠らされていたからだ。
睡眠はドニタにとって死と同じ。
自分が探索に失敗するから罰として死が与えられるのだ、と、いつしかドニタはそう思い込むようになっていた。
◆
そして、ドニタがさらに幾度かの死を体験した後。
その男は遺跡の探索を終えたドニタの前に現れた。
「あんたがドニタという人形か」
「……お前は誰だ」
「俺はお前を救う者だ」
「救う?」
「そう。お前を暗闇から救ってやろう。俺達に協力してくれるのなら、という条件付きだがな」
「暗闇から……」
何を馬鹿なことを言っている。
そう笑い飛ばそうとした。
しかしその男の言葉には、ドニタを惹きつける何かが籠もっていた。
「………………」
「どうする? お前次第だ」
「……話を聞くわ」
「―了―」