16ドニタ2

3378 【コデックス】

巨大な鎌を構えたドニタの後ろで、数体の獣が音もなく崩れ落ちた。

「これで最後ね」

その様子を確認することなく、ドニタは口の中で呟いた。

その表情には勝利の喜びも、自身の強さへの誇りも見えない。この辺りの荒野をうろつく獣を倒すことなど、彼女には他愛もないことだった。

「手間ばかり掛かるわ。数だけはたくさんいて……」

そう言うドニタの傍らには、物言わぬ自動人形が立っていた。

自動人形は、ゆっくりとした動作で自分の剣を納めた。

「あなたも、こういう時なら少しは役に立つみたいね。これで、自分で判断して動いてくれるともっと良いのだけれど」

少し非難めいたドニタの言葉にも、自動人形――ドクターは「プロトタイプ」と呼んでいた――はぴくりとも動かなかった。命令ではない言葉に、この自動人形が反応することは無い。

「反応なし、と。ほんと、つまらない奴ね。行くわよ」

ドニタはそう言うと、プロトタイプの先に立って歩き出した。

目指す先には巨大な建物がそびえ立っていた。

風雨に曝されて半ば崩れかけているその建物は、見ようによっては巨大なモンスターのようだった。その中央にぽっかりと空いている穴は、言わばモンスターの口といったところか。

その外見は見る者に本能的な恐怖を抱かせるものだったが、ドニタはそんなことを感じる様子もなく、まるで散歩にでも出掛けるように建物に入っていった。

ドニタが足を踏み入れたのは、かつてケイオシウムを研究していた施設の成れの果てだ。地上にはこうしたトワイライト・エイジの廃墟が点在していた。ドニタはドクター・ウォーケンの命令により、ここで“ある物”を探していた。

建物に入ると、そこは大きな広場になっていた。薄暗く、微かにサビと腐った水の臭いがした。トワイライト・エイジの高度な技術によって作られたこの建物も、時間による腐食を完全に止めることはできなかったようだ。

「アレはいったいどこかしら。おそらく奥に仕舞われているのだろうけど……」

ドニタは首をくるっと回転させて広場を見回した。正面には奥に続く通路があり、右手には下へ降りる階段がある。左手には上りの階段があったようだが、崩れ落ちて登ることはできなさそうだ。

その光景を暫く眺めていたが、やがて心を決めたのか、ドニタはスタスタと正面の通路に向かって歩き出した。プロトタイプがその後を、僅かな軋み音を立てながら追い掛けていった。

通路に入ったドニタは、見掛けた所を端から調査していった。しかし、多くの研究員を抱えていたであろうこの建物は、二人で探索するにはあまりにも巨大だった。

最初は、すぐに見つけることができるだろう、と楽観的に考えていたドニタも、時間が無為に過ぎていく探索にだんだんと焦りを覚え始めていた。

「手掛かり一つなし……。ここには無いのかな」

もういくつ目になるのかわからない部屋の探索を終えて、ドニタは深く溜息をついた。その表情はとても自動人形とは思えない、人間くさいものだった。

隙間から差し込んでいた陽の光はすでに薄れ、建物の中は暗闇が支配している。

「もうこんな時間」

自動人形であるドニタにとって、暗闇は探索の妨げにならない。彼女の目は通常の人間よりも遙かに高性能な作りとなっていた。

だがドクター・ウォーケンからは『一定期間ごとに必ず休息を取るように』と言われていた。さらに、二日間で発見できなかった場合には、ドクターの研究所に帰投することも。

「でも……それじゃあ探索は失敗してしまうわ」

休んでいたのでは、これだけ広い建物を探索することはできない。もしそうなったら……また、あの暗闇に帰らなくてはいけなくなる。

「……大丈夫。ワタシには休息など必要無い。このまま探索を続けられるわ」

ドニタは噛みしめた唇から決意の言葉を押し出した。

そして一度大きく頭を回転させると、傍らに佇むプロトタイプに声を掛けた。

「ほら、行くわよ木偶人形!」

弾かれたように動き出したプロトタイプと共に、ドニタは次の部屋へと足を向けた。

やがて陽が昇り、そしてその光が再び陰る頃。

休むことなく探索を続けて埃とサビにまみれたドニタの顔に、ようやく明るい表情が浮かんだ。

「こ、これが……そうかもしれない」

朽ち果てた遺跡の最下層。濁った水が膝の高さまで溜まった部屋で、ドニタは一つの箱を手に取った。

ドニタが探していたモノ――それはコデックスと呼ばれる、失われた過去のテクノロジーが記された知識の塊。

コデックス、つまり写本と呼ばれてはいるが、その形は様々で、メモリーチップや音声レコード、時には人間の口伝という形で残っているものもある。他ならぬドニタがこの世に生み出されたのも、まさにコデックスに記載された知識からであった。

ドニタが見つけた箱の中には、複雑な形をした機械のパーツが入っていた。長い間汚水に浸っていたにもかかわらず、その表面にはサビも傷も見受けられなかった。

「これで、胸を張ってドクターのところに帰れるわ!」

自分が役立たずではない、ということが証明できるのだ。

「やった! やったわ!」

ドニタは喜びのあまり大きな声を上げた。その声は濁った水が溜まった部屋の中で反響し、やがて闇の中へと溶けていった。

建物から出ると、もう完全に陽は落ちていた。

すでに活動を始めてから数日が経過していたが、ドニタは疲労を感じていなかった。

「やっぱり、眠らなくてもワタシは平気なんだわ」

そう考えると、心の中の暗闇が光で照らされたような、そんな感覚が湧き上がってきた。

喜びの笑みを浮かべるドニタの目に、遺跡に入る前に倒した獣の死骸が飛び込んできた。

今はもう意識を持たず、自らの意志で動くこともない、ただの肉塊。

それはドニタから懸け離れた存在で、そうした存在を見ることで、ドニタは一層喜びを覚えるのだった。

「ほら、この木偶の坊。ぐずぐずしないで行くわよ」

そう。

ワタシはこんな木偶人形や、まして物言わぬ肉塊とは違う。

自らの意志で、自らの行動を決める、完全な存在なんだ。

「ららー♪ らららー♪」

ドニタは鼻歌を歌いながら、今にも踊り出しそうな足取りで、朽ち果てた遺跡を後にした。

「残念ながら、これはコデックスではないな」

探索から帰ったドニタに掛けられたのは、賞賛の言葉ではなかった。

「えっ、そんなはずは……」

「確かに、これはかなり高度な技術で作られているようだ」

そう言って、ドクターは箱の中にあったパーツを取り出して眺めた。

「しかし私が欲しかったのは、失われた技術によって作られた機械ではなく、技術そのものなのだ」

「……ワタシは」

ドニタの声が沈み、肩を落としたのを見て、ドクターが慌てたように声を掛ける。

「いや、このパーツ自体とても貴重なモノだ。研究すれば幾分かの技術も判明するだろう」

そしてドニタの頭に、ぽん、と手を置いた。

「良くやってくれたね、ドニタ」

それが帰ってきてすぐに掛けられた言葉であれば、ドニタは喜んだであろう。

もしくは、ドニタが愚かで、自分の意志を持たぬ人形であったならば。

しかし、ドニタにはドクターの言葉が偽りであることがわかっていた。慰めの言葉を掛けられたことが、却ってドニタの誇りを傷付けた。

「……申し訳ありませんでした」

このままでは役立たずになってしまう。

「ドクター、ワタシをもう一度……」

もう一度探索に行かせてほしい。そうすれば、きっと成果を上げてみせる!

しかし、ドクターは笑顔のまま首を横に振った。

「ドニタ、少し休みなさい。君には休息が必要だ」

「また……眠るの?」

「そうだ。長い間探索をして疲れただろう」

「いやっ、ワタシは疲れてない! 探索中もずっと……」

眠るのが怖かった。全てが暗闇に包まれる、その感覚が恐ろしかった。

一瞬、あの物言わぬ獣の死骸の姿がドニタの脳裏に浮かんだ。嫌悪と恐怖。

「ドニタ、良い子だから。ゆっくりお休み」

嫌がって身悶えるドニタに構わず、ドクターの手がスイッチに伸びた。

「ワタシはもう、眠るのはいや……」

そう呟きが漏れた瞬間、ドニタの意識はぷつん、と切れた。

それから、ドニタは幾度となく地上の遺跡を探索した。

しかしコデックスは見つからなかった。

「そんなに簡単に見つかるものではないよ」

探索に失敗して帰る度に、ドクターはドニタを慰めるように笑った。

だが、それはドニタにとって何の慰めにもならなかった。

何故なら、その後は必ず眠らされていたからだ。

睡眠はドニタにとって死と同じ。

自分が探索に失敗するから罰として死が与えられるのだ、と、いつしかドニタはそう思い込むようになっていた。

そして、ドニタがさらに幾度かの死を体験した後。

その男は遺跡の探索を終えたドニタの前に現れた。

「あんたがドニタという人形か」

「……お前は誰だ」

「俺はお前を救う者だ」

「救う?」

「そう。お前を暗闇から救ってやろう。俺達に協力してくれるのなら、という条件付きだがな」

「暗闇から……」

何を馬鹿なことを言っている。

そう笑い飛ばそうとした。

しかしその男の言葉には、ドニタを惹きつける何かが籠もっていた。

「………………」

「どうする? お前次第だ」

「……話を聞くわ」

「―了―」