3386 【訓練士】
「どうしたフリードリヒ、ガキの世話か。 いっそ引退して訓練士《ラニスタ》に専念しろよ」
「うるせーよ、羨ましいなら代わってやるぜ」
通りがかった同輩の隊員が、訓練生を見守るフリードリヒに声を掛ける。
初めは乗り気の無かったフリードリヒも、訓練生相手の講師も悪くないと思い始めていた。
「よーし、今日はこれまでだ。全員、飯はしっかり喰えよ」
フリードリヒの言葉を聞くと同時に、何人かの訓練生が地面にへたり込む。去年の終わりに入隊してきた十五期を含めた訓練生達は、逞しくなったものの、その表情にはまだあどけなさが残っていた。
こんな少年が戦わなければならない。そのこと自体は異常である。しかし、それを「異常だ」と喚き立てたところで、世界が『渦』に浸食されつつあるという状況が改善される訳ではない。ならば、せめて死なぬよう、死ににくくなるよう鍛え上げることが、フリードリヒにできることだと思っていた。
ひ弱に見える訓練生の中にも、強さを身に付けつつあるものもいた。特に、三年ある訓練期間の後半に入ろうという十三期のアベルやレオンなどは、既に何度か支援部隊として作戦に参加したこともあった。
◆
事件はその日の夕方に起きた。
訓練生達は昼過ぎまでフリードリヒやその他の教官に附いて訓練を行い、その後は自由時間が与えられていた。自主練を行う者、外出する者、読書やゲームといった趣味に興じる者、その使い方は様々だった。当然、同期同士や性格の合うもの同士がグループを作る。隊にいても素は血気盛んな少年達であり、互いにトラブルになることも多かった。
フリードリヒは食堂で遅い昼食を取っていたのだが、中庭で訓練生達が小競り合いしているのが見えた。
「……またやってんのか。 しかたねえな」
そう独り言を言いながら、フリードリヒは窓を開けて外の様子を観察し始めた。
◆
「お前、生意気なんだよ。 すこしは愛想笑いでもしてみろよ」
そう言って、背の低い少年がエヴァリストの肩を強く押した。少し離れたところには、アベルなどの十三期生を中心に、隊の生活にも慣れた訓練生達が遠巻きにエヴァリストへの難癖を眺めていた。
エヴァリストは少しふらつくが、それでも倒れることはなかった。少年を一瞥すると静かに目を閉じ、傍にいるアイザックに声を掛けた。
「……行くぞ、アイザック」
「待てよコラ、メガネ!」
仲間の前で無視されて馬鹿にされたと感じたのか、少年は逆上してエヴァリストに殴りかかった。
「……っ」
とっさに体を捻るが、少年のパンチはエヴァリストの眼鏡を弾いた。それを見た少年は、ニヤリと笑って眼鏡を踏みつぶした。
「おっと悪いな。大事なモンだったか?」
少年の行為を離れて見ていた集団が笑い声を上げる。それを聞いたアイザックは、グッと拳を握りしめた。
「……おい、貴様」
「放っておくんだ、アイザック」
「何だお前、こいつとできてんのか?」
素早くアイザックは少年の腹へ蹴りをいれた。エヴァリストが制止できるスピードではなかった。
「ぐぇぁっ!?」
みぞおちに重い蹴りを食らい、少年は体をくの字に曲げて地面に蹲った。口から嗚咽を漏らし、顔中を鼻水と涙で濡らしている。駆け寄ってきたレオンが少年を助け起こした。
「やろうってのか、新入り」
アベルはアイザックに詰め寄り、顔を近づける。アイザックは一歩引いて、腰に帯びていた模擬刀を抜いた。
「おもしろい。俺と勝負しようってのか」
同じく腰に差していた模擬刀をスラリと抜き、アイザックに突きつける。二期上のアベルは訓練生の中でも一二を争う剣の使い手だった。訓練士にも一目置かれている。
「アベル、やっちまえ!」
「そんな奴ら、一撃だぜ!」
囃し立てる取り巻きを無視して、エヴァリストはアイザックの腕を押さえる。
「やめろ、たいしたことじゃない。熱くなるな」
「……離せよ」
アイザックはエヴァリストの手を払った。
◆
「おっと……これはまずいな」
一部始終を眺めていたフリードリヒが腰を上げた。
アベルとアイザック、両人の技量をフリードリヒは理解していた。ただ、アベルはアイザックを過剰に下に見ている、そしてアイザックは熱くなりすぎていた。
手合いが悪い。模擬刀とはいえ、本気で斬り合えば怪我では済まない。
◆
「どうした、かかって来いよ」
「…………」
フラフラと模擬刀を揺らめかせるアベルとは対照的に、アイザックは構えたままじっとアベルを見ている。
「どうした。びびってるなら、こっちから行くぜ」
動かないアイザックに焦れたのか、アベルが剣を大きく振りかぶった。その瞬間、アイザックが構えた模造刀の切っ先が揺れ、アベルの喉元を襲った。
「うぉっ……」
思いもよらぬ気迫の籠もった一撃に、アベルは反応できなかった。そのまま剣がアベルの喉に突き刺さると誰もが思った。
その時、銀色の閃光が煌めいた。
フリードリヒの剣が間一髪でアイザックの剣を受け止めていた。
「そこまでだ。剣の訓練もいいが、それはまた明日な」
「……ちっ」
顔を青くしたアベルが悪態をついて剣を納める。それを見たアイザックも大きく息を吐き出すと、剣を腰に戻した。
「覚えていろ」
そう言うとアベルは、取り巻き達とともに離れていった。
「行こう、アイザック」
エヴァリストは壊れた眼鏡を拾うと、フリードリヒに一礼した。そして、アイザックとともに宿舎に帰っていった。
「やれやれ、やっぱりガキだな」
フリードリヒはひとり呟いた。
◆
その夜、アイザックはフリードリヒに呼び出され、教官室に姿を見せた。
部屋ではフリードリヒがひとりワイングラスを傾けている。
「お、来たな。まあ座れよ」
「………………」
アイザックは動かない。両手の拳を握ったまま、フリードリヒの目を見ている。
「安心しろ。別にお前をどうこうしようという気は無い」
「それなら、なぜ呼んだんですか」
「とにかく座れ。そんなところに立たれてたら、話もできん」
フリードリヒに再度促され、アイザックは渋々腰を下ろした。
「飲むか?」
フリードリヒはグラスにワインを注ぎ、アイザックの前に置いた。
「呼び出された理由は何ですか」
「やれやれ、そう固くなるな」
ワインを飲み干すと、フリードリヒはグラスを置いた。
「お前、昼間アベルを殺す気だったな」
「はい」
「そして、自分が死んでもいい、そう思っていた」
アイザックは無言だ。
「殺す覚悟は誰でもできる。ただし、とっさに死ぬ覚悟をできるヤツは、そうはいない」
「その歳で大したヤツだよ、お前は」
「……お話はそれだけですか」
それなら、と立ち上がるアイザックを手でなだめ、フリードリヒはさらに話を続けた。
「俺はお前をかってるんだぜ、アイザック」
「お前の命はひとつしかない。それをあんなケンカに賭けるな」
「………………」
アイザックは答えない。しかし、その表情には落ち着きが戻っていた。
「もっと大きな場所がある。その時まで大事に取っておけ」
「……わかりました」
「そうか。なら行っていい」
「失礼します」
アイザックは一礼すると、教官室を出て行った。
フリードリヒはもう一杯ワインをあおった。
「そろそろ実戦が必要かもな。 俺にもあいつらにも」
とひとり呟いた。
「―了―」